見もの・読みもの日記

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生存者の長い戦後/東京大空襲の戦後史(栗原俊雄)

2022-04-25 13:09:18 | 読んだもの(書籍)

〇栗原俊雄『東京大空襲の戦後史』(岩波新書) 岩波書店 2022.2

 「東京大空襲」と呼ばれるのは、1945年3月10日未明に東京東部の住宅街に対して行われた無差別爆撃である。死者は10万人に及び、100万人以上が罹災したといわれている。早乙女勝元氏が被災者の証言を集めて執筆した『東京大空襲』(岩波新書、1971年)が有名だが、本書は早乙女氏の著書と違って「空襲当日/直後」の記録ではなく、生き残った被災者たちが、その後の長い人生をどのように苦しみながら生きたか、なぜそこに公的な救済が行われなかったのか、が主題となっている。

 第二次世界大戦末期には、米軍による無差別爆撃が日本全国で繰り返され、多数の民間人の命を奪っただけでなく、生き残った者にも甚大な被害を与えた。たとえば、戦災孤児については、全国で少なくとも12万人という数字が残っている。

 多くの孤児は浮浪児となって、物乞いをするか盗むか拾うかしなければ、食べものを手に入れることができなかった。親戚に引き取られても、虐待されたり、たらい回しにされたり、財産を横取りされることもあったという。成長期の栄養不足を原因とする疾患に長く苦しんだ人もいた。彼らは、差別や偏見を避けるため、孤児であることを隠し「心を殺して」長い戦後を生きてきた。

 私(1960年代生まれ)の両親は下町育ちで、3月10日の東京大空襲を経験している。母は、このとき父親(私の祖父)と生き別れになったと聞いているが、ほかの家族が無事で、一家離散にならなかったのは、幸運の部類に入るのだろう。しかし今更のように思ったのは、私の同級生の保護者には、戦災孤児として苦労した人もいたのかもしれない。彼らが口をつぐんでいただけで。

 民間人の戦争被害者が国に保障を求める動きは1960年代に始まる。1976年には名古屋大空襲の被害者が名古屋地裁に提訴した。国が元軍人・軍属には補償を行いながら、民間人に同様の立法措置を取らないのは法の下の平等に反する、という問題提起であったが、元軍人・軍属には国の使用者責任があり、それがない民間人を補償から外すことは不合理ではない、という理由で退けられた。この裁判は最高裁まで争われたが、1987年、最高裁は原告の訴えを棄却している。判決文は「戦争犠牲ないし戦争被害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」(受忍論)だと述べる。いやちょっと、これが理由として成り立つことにびっくりするが、民間人戦争犠牲者に補償を行うかどうかは、裁判所ではなく「国会の裁量的権限に委ねられているべき」(立法裁量論)という主張は理解できなくもない。

 2007年には東京大空襲の被害者が東京地裁に訴えを起こしたが、上記と同様の理由で棄却され、最高裁では法廷も開かれないまま原告敗訴が確定した。一方で、被害者たちは立法運動(議員への働きかけ)も開始する。2010年には全国空襲被害者連絡協議会が結成され、翌年には超党派の国会議員連盟(空襲議連)が発足した。

 こうした活動は「解決済みの過去」を蒸し返すもので、無意味だとか、不快に感じる人もいるだろう。しかし本書を読むと「解決済み」と思われている問題でも、繰り返し司法判断を求めたり、国会質問で首相や政府関係者の認識を質すことで、少しずつ「変化」がもたらされる場合があるのだ、ということを感じた。

 2010年には民主党・鳩山政権下で「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(シベリア特措法)」が成立した。この評価は分かれるだろうが、少なくとも「戦後処理問題は解決済み」という従来の政府の方針を打ち破ったことに意味がある、と著者は評価する。

 いま、空襲議連の中心となり、補償問題に取り組み続けている議員としては、柿沢未途が紹介されている。地元選挙区(江東区深川)の問題だから当然とはいえ、ちょっと感心した。それから、2015年に安倍晋三が、歴代首相として初めて空襲被害者の慰霊法要に参列し、その後の衆院予算委員会で柿沢の質問に答えて、補償問題は立法府や行政で考える余地があるという認識を示したことも初めて知った。自民党は好きではないが、これは素直に評価しておく。

 戦後処理というと、慰安婦、徴用工など、対外問題がクローズアップされがちだが、国内にも「解決済み」の見直しを求める人たちがいることは意識しておきたい。日に日に貧しくなる日本で、十分な補償は難しいと思うが、せめて犠牲者の調査と名前の記録・公開は実現してほしいと思う。そこに私の祖父の名前もあるはずである。

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