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見もの・読みもの日記

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明治の狩野派、大正の大和絵/日本画の歴史. 近代篇(草薙奈津子)

2019-02-25 22:14:16 | 読んだもの(書籍)
〇草薙奈津子『日本画の歴史. 近代篇:狩野派の崩壊から院展・官展の隆盛まで』(中公新書) 中央公論新社 2018.11

 巻末附録の年譜は万延元年(1860)の横浜絵流行に始まり、昭和20年(1945)の終戦(日本、無条件降伏)までをカバーしているが、主題は幕末維新から大正期まで。昭和戦前期は、大正期の余光に少し触れているが、詳しくは姉妹編の「現代編」に譲っている。考えてみると、西洋の美術史や音楽史は「世界史」の一部として、ある程度、学習したことがある。小林秀雄の『近代絵画』は国語の教科書にも載っていた。それに比べると日本の絵画史は、浮世絵の北斎、広重が知られているくらいで、近代の日本画なんて、ほとんど日本人の教養の範疇にないと思う。残念なことに。

 私は、もともと日本美術も西洋美術も好きだったが、年齢が上がるにつれて関心の中心が日本美術に移り、特に近世から近代の日本画を好んで見るようになった。本書に登場する画家や作品は、だいたい知っていたが、画家どうしの影響関係とか、それぞれの活躍年代が全く頭に入っておらず、混沌としていた知識が、本書のおかげでスッキリ片付いた。

 本書は、一般市民を対象に平塚市美術館で行った館長講座に加筆したものだという。冒頭の3章「明治・大正の南画」「幕末・明治の浮世絵」「忘れられた明治の日本画家たち」は加筆部分にあたるが、この部分にこそ本書の妙味が表れている。特に南画と浮世絵は、近代日本画史から省く場合が多いのだが、著者は敢えて取り上げている。南画の章に登場するのは、女流画家の奥原晴湖と野口小蘋(二人とも、かつて山種美術館で作品を見た)、それに富岡鉄斎など。浮世絵の章には、小林清親、月岡芳年が登場する。

 「忘れられた明治の日本画家たち」には河鍋暁齋、渡辺省亭。いや忘れられてないだろ?と思ったが、著者は「近年(略)再び脚光を浴びるようになってきた」と書いており、少なくとも一時期、今のように注目を集める存在でなかったことに気づかされる。他には、松本楓湖、小堀鞆音、梶田半古、荒木寛畝、幸野楳嶺、久保田米僊。彼らは、自身の画業もそうだが「近代を担う第二世代の画家たち」今村紫紅、速水御舟、安田靫彦、小林古径、前田青邨などを育てたという点で忘れてはならないという。この世代間のつながり、初めて理解した。

 第4章からの大筋は、これまで聞きかじった美術史のとおり。若き秀才フェノロサが著書『美術真説』において、洋画に対する日本画の優位を説く。フェノロサの知遇を得たのが狩野芳崖と橋本雅邦。対照的な性格の二人が盟友だったというエピソードはドラマのようで好き。フェノロサらとともに日本美術学校の開設にかかわったのが岡倉天心。西洋画科増設をめぐる天心と黒田清輝の対立。怪文書事件。五浦への都落ちと日本美術院の創設。熱しやすく冷めやすい天心に翻弄されながら、独自の世界を極めていく日本美術院の画家たち、横山大観、下村観山、菱田春草ら。

 この日本美術院第一世代は、設立当初の東京美術学校で狩野派を中心に学んだが、次世代の画家たちは市中の画塾で学び、伝統的な大和絵に新しい西洋画の技法を取り入れ、時には浮世絵の影響も受けていた。「狩野派の武張った感じではなく、色彩豊かな、そして軽やかな描線で、明るくのびのびした作品」を描いたというのはすごくよく分かる。紫紅いいよねえ。天心に「故人では誰を学びたいですか」と聞かれ、紫紅が即座に「宗達」と答えた話が嬉しかった。「当時、宗達の名はまだよく知られていませんでした」という解説に驚く。さらに、大正初期には院展系の誰もが紫紅的な作品を描いたというのにも驚いた。そんなに影響力のある画家だったのか。

 1907(明治40)年に始まった文部省美術展覧会(文展)には、東京画壇、京都画壇、松岡映丘の新興大和絵運動、上村松園などの美人画家等、多様な傾向を持つ作家たちが集まった。また京都の竹内栖鳳門下の、新しい日本画に意欲を燃やす若手画家たちは文展を離れ、国画創作協会を設立した。ああ、去年、和歌山県立近代美術館で見た展覧会『国画創作協会の全貌展』が記憶に新しい。「自由を謳歌し、ロマン主義を標榜し、人間性に深く関心を示した大正という時代性」と大いにかかわっているというのは、とてもうなずける。偉大な明治というけれど、私たちがもっと学ばなければいけないのは、大正の時代精神ではないのかしら。
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