見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

高野山開創1200年記念大法会(1):壇上伽藍・金剛峯寺・霊宝館

2015-05-09 11:19:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○5/4(月)天王寺→難波→高野山(壇上伽藍・金剛峯寺・霊宝館)→九度山→慈尊院・弥勒堂ご開帳→京都泊

 関西周遊旅行に行ってきた。書いておきたいことがたくさんあるので、順不同でレポートを書いていく。まずは今回の最重要目的であった高野山訪問から。前日は大阪・天王寺のホテルに泊まった。「高野山開創1200年記念」の特別仕様で走っている南海電鉄の特急こうやに乗りたかったのだが、出発直前に調べたら、午前中の便はもう満席。宿坊も全く取れなかった。

 しかたないので、できるだけ早起きして難波駅から急行に乗る。しかし車内は、思ったほどの混雑ではなかった。みんな車で行くんだな、と納得する。ケーブルカー、バスと順調に乗り継ぎ、檀上伽藍(中門)に到着したのは9時半頃。

 中門は平成22年(2010)10月に再建工事が始まり、このたび平成27年(2015)4月2日に落慶法要が行われた。私は初めて高野山に来たのが2010年8月で、二回目が2013年9月なのだが、全く記憶に残っていない。今回初めて、朱塗りも鮮やかな中門の存在を認識した。道路に面した側の左右には、黒光りする江戸時代の持国天と多聞天を安置。寺の境内側の左右には、新調された広目天、増長天が安置されている。広目天の胸にはセミ、増長天の胸にはトンボの装飾がつけられているのがポイント。→壇上伽藍中門再建





 蝉は「威嚇」を表し、蜻蛉は「後ろにしりぞかない」という姿勢を表しているのだそうだ。確か中国の石仏に蝉の飾りの冠をかぶった仏様があって、清廉の印だったように記憶しているが、それとは違うのだな。

 門をくぐると、金堂拝観と納経所のどちらにも列ができていた。迷ったが、納経所から並ぶ。西国三十三所などで並んだ経験からいうと、そんなに長くかかると思わなかったのだが、1時間以上かかってしまった。書いていたのが若いお坊さんばかりで、やっぱり筆文字に慣れないのかな。さて、金堂に並ぼうと思ったら(法会が始まるらしく)「12時半まで入れません」と止められた。仕方ないので、西塔、御社、三鈷の松、根本大塔、愛染堂(めずらしく開扉して修法中)などに立ち寄りながら移動し、先に金剛峯寺を拝観する。持仏間の襖が開いて、秘仏ご本尊(弘法大師像)が公開されていたが、遠くてお姿はよく分からなかった(あとで霊宝館でポスターを見て、これか!と納得する)。

 続いて、霊宝館にも寄る。開創1200年記念展『初公開!高野山の御神宝』(2015年4月2日~7月5日)に併せて、開創法会期間限定特別公開『高野山三大秘宝と快慶作孔雀明王像』(4月2日~5月21日)も開催中。新館第1室の、不動明王がたくさん並んでいることが多い展示スペースに、いきなり孔雀明王像がおいででびっくりした。展示位置がすごく高いので、拝観者は、明王でなく乗り物の孔雀に見下ろされる状態になる。顔先に突きつけられた嘴が怖い。翼の、少したわめた広げ方にも力がみなぎっている。これまでいくつかの博物館や展覧会で、この孔雀明王を見てきたが、これほど感激したことはなかった。孔雀明王の孔雀は単なる乗り物ではなくて、むしろこちらが「本体」であると感じた。その背中にふわりと影向した明王の軽さ、小ささ。薄い藤色(に見えた)背景パネルも、邪魔にならず、孔雀の羽の金色と明王像の赤味がかった肌を引き立てていた。

 第2室が『特別公開 高野山三大秘宝』。三大秘宝とは「諸尊仏龕」「聾瞽指帰」それに「金銅三鈷杵(飛行三鈷杵)」をいうのだそうだ。第3室では壇上伽藍御社(だんじょうがらんみやしろ)に祀られる地主神、丹生・高野両明神ゆかりの神宝を見る。さっき、御社に参拝してきたばかりなので感慨深い。もとは丹生・高野明神二柱だったところに、北条政子が気比明神、厳島明神を勧請したという説明を読んで、狭いお宮でぎゅうぎゅう詰めの同居を迫られた神様たちを想像して、同情を感じてしまった(こういうとき、別のお宮を建てないのが不思議)。

 本館の展示室だったと思うが、垂髪・十二単の『丹生明神像』(金剛峯寺所蔵)を見ることができて嬉しかった。八大童子像もこっちにあった。左側から(順路が左→右)指徳、恵光、制多迦、矜羯羅。不動明王を挟んで、恵喜、清浄比丘、烏倶婆伽、阿耨達(龍に乗っている)童子の順。サントリー美術館で見たときのメモと比べると、四人ずつのグループ編成は変わらないが、順序はかなり異なっている。あと地味だが、文書類にけっこう面白いものが出ていた。『白河上皇高野御幸記』『明恵上人金剛峯寺巡礼次第』など。最後の展示室まで来て、深沙大将立像がないと思ったら、2015秋まで修復中だという。対になる執金剛神立像は展示されていた。

 さて、再び中門をくぐって、金堂を目指す。拝観者の長い列ができていたが、御朱印の列より動きが早く、あまり待たずに中に入れた。御本尊の薬師如来坐像は、「高野山開創1200年記念大法会」のホームページでは「初公開」をうたっているが、お坊さんたちは「80年ぶり」と解説していた。大仏師・高村光雲作。現在の金堂は昭和9年(1934)再建というから、だいたい80年になる。白木の木彫で、素焼きの土のような温かみのある色をしている。円形の光背は、部分的に火焔のような模様が施してあるが、化仏や天女などの装飾がなく、スッキリした印象である、向かって右に不動明王、左は降三世明王だろうか、動きが派手で色彩が鮮やかで、ご本尊と好対照をなしていた。また左右には曼荼羅もかかっていた。

 天気を心配していたが、時折、折りたたみ傘を開くくらいで何とかなったのは幸運だった。奥の院は割愛し、九度山の慈尊院に向かう。昼食も…割愛。(続く)
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