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見もの・読みもの日記

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忤(さから)うなきを宗(むね)となす/ま、いっか。(浅田次郎)

2012-06-14 23:19:39 | 読んだもの(書籍)
○浅田次郎『ま、いっか。』(集英社文庫) 集英社 2012.5

 小説はほとんど読まない。したがって、小説家のエッセイも読まない私だが、浅田次郎氏の『蒼穹の昴』『中原の虹』シリーズは全部読んでいる。余勢を駆って『浅田次郎とめぐる中国の旅』なんて、中国紀行エッセイまで読んでしまった。今回は、ちょっと一息つけるような本を探していて、ベストセラー・コーナーで本書を見つけた。

 2006~07年頃に書かれた雑誌連載を2009年に単行本化し、文庫化された新刊である。ぱらぱら開いてみると、どの回も、書き出しの一文が実に巧い。さすが小説家だなあ…と感心した。たとえば「星を見ながら口笛を吹く癖がある」(星と口笛)。この一文で改行である。そりゃあ、誰だって、次の一文に読み進みたくなるだろう。

 「秋の深まるころ、北京から上海まで列車の旅をした」(夜汽車)。「ニューヨークの常宿はプラザのパーク・ヴューである」(42番街の奇跡)。「初めてネクタイを贈られたのは、まだ十代のころであった」(あなたに首ったけ)。ふむふむ、それで…と、続きを読まずにいられなくなる。最初の一文で読者の首根っこを掴む、手練(てだれ)の技を味わい尽くしたくて、本書を買ってしまった。だから、本当を言うと、内容はどうでもよかった。

 実際、冒頭に集められた話題は、老化と容姿。男の背広。福袋の秘密。義理チョコについて。春のスーツの選び方(著者は、婦人服業界に三十年近くもいて、作家になってからもしばらくブティックを経営していた)。このへんは、読んだ端から忘れていくような内容だった。

 中ほどの章で、著者の祖母が「深川の粋筋の出身」だったことが語られる。へえ、と思っていると、しばらくして、その祖母がまた顔を出す。昭和三十年代前半、著者の祖母は、正月三が日は日本髪を結い、おはぐろをして過ごしたという。博奕打ちだった祖父。妾宅に入り浸って帰ってこなかった父。身なりに厳しかった江戸前の気風。十六歳の家出。終盤に行くほど、さまざまなピースが合わさって、著者の肖像が見えてくる。まるで、よくできた小説みたいに。

 どこか投げやりな「ま、いっか。」のタイトルとは裏腹に、一途に小説家になることだけを目指してきた半生。著者はそれを「花の笑み、鉄の心」とも言い為す。また別の解説は、ネタバレになるが、「文庫版あとがき」にあらわれる。聖徳太子の十七条憲法第一条。「和を以て貴しとなす。忤(さから)うなきを宗(むね)となす」。ああ。私は、この前段のみ印象に強くて、後段を忘れていた。

 「和を以て貴しとなす」は美しい言葉だ。しかし、著者も言うように「誠実さは時にいさかいを招く」。だから、本当に必要なのは、後段なのかもしれない。性急に「和」を実現しようとするのではなくて、諍いを避けるための「ある程度のいいかげんさ」。そこで、著者は「以和為貴」に「ま、いっか。」のルビを振る。震災や原発事故や、格差や貧困問題など、強く正義を求める人の多い今日だからこそ、そこを敢えて「ま、いっか。」とへらへら笑っていよう。鉄の意志をもって。
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