見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

特別な画家/ゴヤ 光と影(国立西洋美術館)

2012-01-29 23:16:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立西洋美術館 『プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影』(2011年10月22日~2012年1月29日)

 この記事は、レポートというより個人的懐旧談。まだ時間があると思っていたら、いろいろと忙しくなって、最終日になってしまった。このまま見過ごそうかとも思ったが、やっぱり行ってよかった。

 私は、1971(昭和46)年、同じ国立西洋美術館で開催された「ゴヤ展」にも行っている。…というか、「美術館で絵画を見る」という最初の体験が、40年前の「ゴヤ展」だったのではないかと思う。小学校の美術班の面々(4~5人)を、休日に上野まで連れていってくれたのは、大好きだった図工(図画工作)の先生だった。わたなべあつこ先生、お元気ですか。検索で得た情報では、「絵画39点、素描55点、版画56点、工芸5点、参考作品1点、計156点」だったという。『着衣のマハ』と『裸のマハ』が来ていたこと、「黒い絵」と呼ばれる作品群の一部があったこと、「戦争の惨禍」「ロス・カプリーチョス」などの版画が大量にあったことは覚えている。

 当時、後援の新聞社が朝刊に連載記事を書いていて、『我が子を食うサトゥルヌス』は、会場に行く前に紙面で見た記憶がある。もしかすると、記事には、実際に出品されない作品も取り上げられていたかもしれない。1971年の展覧会のおかげで、ゴヤは私にとって特別な画家になった。会場で買った『裸のマハ』『着衣のマハ』のポスターを、私は長らく自分の部屋に貼っていた。「新潮美術文庫」の『ゴヤ』は、調べたら1974年刊らしいが、中学生にも買える手頃な画集で、私は手元に置いて、飽きずに眺めた。堀田善衛の『ゴヤ』全4巻が刊行されたのは、1974~77年。こちらは、完結後に大学の図書館で借りて読んだ。図版多数(白黒だが)。見られる限りのゴヤの作品を追いかける作家の執念をすごいと思った。

 90年代に入ってから、ついにプラド美術館に行って、『カルロス4世の家族』『5月3日』『5月4日』などの傑作を見た。しかし、これらの作品に対して、あまりにも親しみ過ぎていて、自分が初見なのかどうかもはっきりしなかった。そんなわけで、40年前の「ゴヤ展」の記憶は、至って曖昧である。

 今回の展覧会は「プラド美術館から出品される傑作『着衣のマハ』を含む25点と、素描40点、版画6点、資料(書簡)1点に、国立西洋美術館などが所蔵する版画51点を加えた計123点」で構成されている。え?これだけ?という感想が先に立ったのは、40年前の展覧会の印象が、いろいろと補強され過ぎているせいかもしれない。

 冒頭に聴覚を失ったあとの有名な肖像画。それから、タピスリーの原画となった明るい風俗画が10点弱。そして『着衣のマハ』。やっぱりいいな~。よくぞ再び日本に来てくれました。絵具の筆捌きの跡が、照明の下でキラキラ光って、サテンの質感を表している。同じコーナーに、小品『魔女たちの飛翔』があった。これは堀田善衛さんの著書で知った作品で、ゴヤにしては「どす黒さ」の薄い、清潔感のある幻想的な作品である。

 肖像画のコーナーでは、さすがに超一級の有名作品は来ていなかったが、カルロス四世単独の肖像、王子を描いた習作(未完成)が来ており、『ホベリャーノスの肖像』は、啓蒙派の官僚を好意的に描いたもので、上述の「新潮美術文庫」に掲載されていたのを覚えている。『レオカディア・ソリーリャ』は、むかしは妻ホセファとされていたものだ。でも、憎々しいゴドイの顔や、色っぽいアルバ公爵夫人の姿がないのが寂しい。ゴヤのおかげで、当時のスペイン宮廷の人々を身近に感じ過ぎである。

 あとは、ほとんど版画で、途中に油絵作品の宗教画が少しあった。これだけ?ではあるが(版画は複製芸術だから、日本でも「ホンモノ」を見る機会がそれなりにある)、ところどころ、プラド美術館所蔵の『素描集』が埋め込まれて展示されていて、これに初めて知る図像があったことは収穫だった。でも、個人的な希望として、ゴヤの生涯を追うときは、最後に(パネルでもいいから)『ボルドーの乳売り娘』がないと、カタルシスを得られなくて困る。

 次は40年後まで待てないだろう。仕事を辞めたら、プラド美術館へゴヤの作品に会いに行きたいと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする