○東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展『北京故宮博物院200選』(2012年1月2日~2012年2月19日)
「休日はやめたほうが無難」という忠告を受けていたのだが、平日に休暇を取れるかどうか分からないので、とりあえず行ってみた。朝、10:30頃到着したら、すでに入館待ち50分、『清明上河図』を見る列は230分待ちの列だという。うえ~日本人って、こんなに中国好きだったっけ?と怪しむ。
まあ(今日は)『清明上河図』は見られなくてもいいや、ほかにもたくさん名品が来ているようだし、と気を取り直して、会場に入る。第1室は、いきなり中国文明の「至宝」ともいうべき宋代の書画。書は、宋の四大家、蘇軾・黄庭堅・米芾(べいふつ)・蔡襄のうち、後三者の作品を見ることができた。いや~眼福で、テンション上がりまくり。いちばん好きなのは、黄庭堅の『草書諸上座帖巻』かな。7メートルに及ぶ長大な書巻だが、文字を追っていて、飽きない。2008年、江戸博の『北京故宮 書の名宝展』でも見ているので、二度目になるが、やっぱり好きだ。巻末の自跋は読みやすい行書なので、「拍盲小鬼子往往見便下口、如瞎驢喫草様」など、分かったような分からないような気持ちで、眺めていた。
前日、この展覧会の混み具合の偵察に来たのだが、平常展で、日本の三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)の書を見た。私はスピード感のある佐理の書が好きなのだが、この黄庭堅の書には、なんとなく似たものを感じる。敢えて言えば、力業(わざ)でねじ伏せる感のある道風の書は米芾(べいふつ)に似ていて、誰が見ても端正で美しい行成の書は蔡襄かな、なんて結びつけてみた。これは素人の戯れ事なので、ご寛恕を。それにしても、彼らの書に比べると、徽宗の書は(画も)神経質で癖があるなあ。なんでこんな芸術家が天子に生まれちゃったんだか、と思う。
宋の絵画は、いかにも日本人好みな(東山御物です、と言われたら納得してしまいそうな)小品あり、画巻や大画面の作品もあり。『夜合花図冊』は前者の例で、団扇形の画面に、トキワレンゲの白い花が写実的に描かれている。しばらく眺めていて、葉の一部が虫食いで茶ばんでいることに気づいた。葉脈とか、細い枝の節くれだった様子とか、描写が細かい。
李迪の『楓鷹雉鶏図軸』は、大画面に獲物の雉を狙う鷹と、狙われて叢に逃げ込む雉の緊迫した場面を描いたもの。雪村に似たようなモチーフの絵がなかったかな。そうそう、『鷹山水図屏風』だった(ウサギを狙う鷹の図)とあとで調べて思い出した。
隣室も引き続き、書画。時代は少し進んで元代。解説によれば「中国絵画の本家中の本家となった元代文人画は、皇帝たちの愛するところとなり、それゆえほとんど(日本に)伝来することなく現在に至り、その存在や価値も知られることがありませんでした」という。なるほど。確かに、日本で元代絵画を見る機会は(仏画を除き)宋代絵画以上に少ないかもしれない。代表的な作家は趙孟頫(もうふ)/子昂。南宋の皇族でありながら、元朝に仕えたことで、裏切り者の汚名を着せられた。そのため、却って江南文化の伝統を重んじ、特に書は王羲之の正統的な書法を継承した。そう言われて、『行書洛神賦巻』を見ると、丸くてコロコロした感じの「一」とか「之」が、王羲之の書体に似ているような気がする。
絵画は、趙孟頫の『水村図巻』、朱徳潤の『秀野軒図巻』など、高い山に囲まれない、ひろびろと開けた眺望が新鮮。遠近法をねじまげたような高い木を前景に置くこともしない。こういう元代文人画(13-14世紀)が、18世紀日本の池大雅や与謝蕪村の淵源となるらしいが、その間には、もうひとひねりかふたひねりの歴史がなければならないだろう。
さて、第1部の最終コーナーが、”神品”『清明上河図』の特別展示室である。展示ケースに張り付いて見るには(立ち止まれないので、所要2~3分)、そのための待ち列に並ばなければならない。しかし、列に並ばないと全く見られないわけではなくて、後方から最前列の観客の肩越しに「チラ見」することはできる。ケースが深いので、画幅全体を見ることは難しいが(比較的身長が高いほうなら)上3分の2くらいまでは見られる。後方通路だと、いつまでも同じ場所に立ち止まっていても怒られないので、私は、けっこうこれで満足した。結局、あとで列に並んだのだが…。
この「北京故宮博物院200選」を選ぶにあたっては、いろいろな選択が考えられたと思うが、宋元書画の逸品に相当部分(リストで見るとNo.1~44かな)を割いてくれたことには、本当に感謝したい。それにしても『清明上河図』の特別出品って、日中のどっちが言い出して、どういうふうに交渉が進んだのか、興味津々。ちょっとした外交上のかけひきだったんじゃないかと思う。いつの日か、裏話として聞いてみたい。
※以下、(2)第2部:清朝宮廷コレクション、(3)『清明上河図』は、別稿に続く。
※展覧会特設サイト
『清明上河図』全体の拡大画像あり。これ、展覧会終了後もWeb上に残して!!
※1089(トーハク)ブログ
昨年から気づいてはいたのだが、大和文華館にいらした塚本麿充さんが東博の東洋室担当になられたようで、時折、中国美術の記事を書いているのが嬉しい。愛読してます。
「休日はやめたほうが無難」という忠告を受けていたのだが、平日に休暇を取れるかどうか分からないので、とりあえず行ってみた。朝、10:30頃到着したら、すでに入館待ち50分、『清明上河図』を見る列は230分待ちの列だという。うえ~日本人って、こんなに中国好きだったっけ?と怪しむ。
まあ(今日は)『清明上河図』は見られなくてもいいや、ほかにもたくさん名品が来ているようだし、と気を取り直して、会場に入る。第1室は、いきなり中国文明の「至宝」ともいうべき宋代の書画。書は、宋の四大家、蘇軾・黄庭堅・米芾(べいふつ)・蔡襄のうち、後三者の作品を見ることができた。いや~眼福で、テンション上がりまくり。いちばん好きなのは、黄庭堅の『草書諸上座帖巻』かな。7メートルに及ぶ長大な書巻だが、文字を追っていて、飽きない。2008年、江戸博の『北京故宮 書の名宝展』でも見ているので、二度目になるが、やっぱり好きだ。巻末の自跋は読みやすい行書なので、「拍盲小鬼子往往見便下口、如瞎驢喫草様」など、分かったような分からないような気持ちで、眺めていた。
前日、この展覧会の混み具合の偵察に来たのだが、平常展で、日本の三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)の書を見た。私はスピード感のある佐理の書が好きなのだが、この黄庭堅の書には、なんとなく似たものを感じる。敢えて言えば、力業(わざ)でねじ伏せる感のある道風の書は米芾(べいふつ)に似ていて、誰が見ても端正で美しい行成の書は蔡襄かな、なんて結びつけてみた。これは素人の戯れ事なので、ご寛恕を。それにしても、彼らの書に比べると、徽宗の書は(画も)神経質で癖があるなあ。なんでこんな芸術家が天子に生まれちゃったんだか、と思う。
宋の絵画は、いかにも日本人好みな(東山御物です、と言われたら納得してしまいそうな)小品あり、画巻や大画面の作品もあり。『夜合花図冊』は前者の例で、団扇形の画面に、トキワレンゲの白い花が写実的に描かれている。しばらく眺めていて、葉の一部が虫食いで茶ばんでいることに気づいた。葉脈とか、細い枝の節くれだった様子とか、描写が細かい。
李迪の『楓鷹雉鶏図軸』は、大画面に獲物の雉を狙う鷹と、狙われて叢に逃げ込む雉の緊迫した場面を描いたもの。雪村に似たようなモチーフの絵がなかったかな。そうそう、『鷹山水図屏風』だった(ウサギを狙う鷹の図)とあとで調べて思い出した。
隣室も引き続き、書画。時代は少し進んで元代。解説によれば「中国絵画の本家中の本家となった元代文人画は、皇帝たちの愛するところとなり、それゆえほとんど(日本に)伝来することなく現在に至り、その存在や価値も知られることがありませんでした」という。なるほど。確かに、日本で元代絵画を見る機会は(仏画を除き)宋代絵画以上に少ないかもしれない。代表的な作家は趙孟頫(もうふ)/子昂。南宋の皇族でありながら、元朝に仕えたことで、裏切り者の汚名を着せられた。そのため、却って江南文化の伝統を重んじ、特に書は王羲之の正統的な書法を継承した。そう言われて、『行書洛神賦巻』を見ると、丸くてコロコロした感じの「一」とか「之」が、王羲之の書体に似ているような気がする。
絵画は、趙孟頫の『水村図巻』、朱徳潤の『秀野軒図巻』など、高い山に囲まれない、ひろびろと開けた眺望が新鮮。遠近法をねじまげたような高い木を前景に置くこともしない。こういう元代文人画(13-14世紀)が、18世紀日本の池大雅や与謝蕪村の淵源となるらしいが、その間には、もうひとひねりかふたひねりの歴史がなければならないだろう。
さて、第1部の最終コーナーが、”神品”『清明上河図』の特別展示室である。展示ケースに張り付いて見るには(立ち止まれないので、所要2~3分)、そのための待ち列に並ばなければならない。しかし、列に並ばないと全く見られないわけではなくて、後方から最前列の観客の肩越しに「チラ見」することはできる。ケースが深いので、画幅全体を見ることは難しいが(比較的身長が高いほうなら)上3分の2くらいまでは見られる。後方通路だと、いつまでも同じ場所に立ち止まっていても怒られないので、私は、けっこうこれで満足した。結局、あとで列に並んだのだが…。
この「北京故宮博物院200選」を選ぶにあたっては、いろいろな選択が考えられたと思うが、宋元書画の逸品に相当部分(リストで見るとNo.1~44かな)を割いてくれたことには、本当に感謝したい。それにしても『清明上河図』の特別出品って、日中のどっちが言い出して、どういうふうに交渉が進んだのか、興味津々。ちょっとした外交上のかけひきだったんじゃないかと思う。いつの日か、裏話として聞いてみたい。
※以下、(2)第2部:清朝宮廷コレクション、(3)『清明上河図』は、別稿に続く。
※展覧会特設サイト
『清明上河図』全体の拡大画像あり。これ、展覧会終了後もWeb上に残して!!
※1089(トーハク)ブログ
昨年から気づいてはいたのだが、大和文華館にいらした塚本麿充さんが東博の東洋室担当になられたようで、時折、中国美術の記事を書いているのが嬉しい。愛読してます。