○五島美術館 大東急記念文庫創立60周年記念特別展『伝えゆく典籍の至宝』(2009年10月24日~11月29日)
五島美術館で書籍の展覧会と聞いて、めずらしい、と思った。同美術館の構内にある大東急記念文庫が『大東急記念文庫善本叢刊』という、大部なシリーズを出しているのは知っていたので、わくわくしながら出かけた。聞きしにまさって、すごい…。「天平勝宝」の年号の記載された写経とか古文書とか(正倉院展かと思った)。唐代の『玉篇』断簡とか。民間のコレクターが集めたものとは、ちょっと信じがたい。むかしの財界人は、財力も見識もすごかったんだなあ。
特に古写経は美品が多かった。『紫紙金字花厳経』は、やわらかい赤紫色の料紙が独特。よくある紺紙金字経とは、ずいぶん印象が違う。奈良時代にしか違例がないそうだ。『白描絵料紙理趣経』は絵巻物の下絵(白描絵)を用いたもので、一般に「目無経」と呼ばれるが、よ~く見ると、目鼻を描いてある人物も混じっている。鎌倉時代・文永10年(1273)の『金剛般若波羅蜜経』の見返しには、色鮮やかな『稚児文殊出現図』が描かれている。背景の春日山の描写が『春日権現霊験記絵』の一場面にちょっと似てるかも。仏師康円作の文殊菩薩騎獅像(現・東京国立博物館蔵)の胎内に納められていたというのは、この像のことですね。
絵画では、平安時代の『高僧像』が、ずいぶん薄い紙に描かれているなあと思ったら、お手本を上から透写するための薄紙で、斐楮交漉紙(ひちょまぜすきがみ)に油を引いて用いるのだそうだ。絵画資料は、後期のラインナップのほうが、おすすめだと思う。
それから、ほとんど古写本の伝わっていない『今昔物語』の断簡に驚く。京大の鈴鹿本に次ぐ古本だそうだ。『延慶本平家物語』は、書写年代の明らかな最古本。『公忠集』は、お~表題が定家の筆ではないか。冷泉家旧蔵本だ。明恵上人の自筆稿もある。
後半は刊本・活字本が中心で、「伏見版」「駿河版」「直江版」それに「嵯峨本」など「現物で学ぶ日本出版史」の趣き。柳亭種彦の『国字水滸伝』の自筆原稿(挿絵の指定入り)と、注文を受けた国芳の挿絵入りの完成稿を比較した展示が面白かった。
さて、東急電鉄のホームページによれば、大東急記念文庫には「久原文庫」「井上通泰文庫」という目玉がある様子。初耳なので、これが何ものか、調べてみた。井上通泰(いのうえみちやす、1867-1941)は眼科医にして明治期の歌人・国文学者。森鴎外とともに新声社を結成。柳田國男、松岡映丘の兄でもある。
久原文庫は、実業家の久原房之助(くはらふさのすけ、1869-1965)が、和田維四郎の勧めによって集めたもの。和田維四郎(わだ つなしろう、1856-1920)は、鉱物学者にして書誌学者(ええ~!?)だそうだ。和田は三菱財閥の岩崎久弥にも蒐書を勧め、自分で集めた本を久原・岩崎に配分した。岩崎分は東洋文庫に「岩崎文庫」として存し、久原分は「久原文庫」として京都帝国大学図書館に寄託されたのち、親戚の家を経て「ゆえあって」大東急記念文庫に譲渡されたという(参考:長谷川強「大東急文庫の今日まで」『典籍逍遥:東急文庫の名品』、反町茂雄『日本の古典籍:その面白さその尊さ』347頁)。
会場冒頭には、文庫設立当時、書誌目録の作成のため文庫に集まった人々の古い白黒写真が掲げられており、川瀬一馬、長澤規矩也など、斯界のビッグネームの初々しい姿を見ることができる。
なお、本展の展示図録は作られてないが、ミュージアムショップでは、2007年3月刊行の『典籍逍遥:東急文庫の名品』を売っている。ミュージアムショップのお姉さんによれば「今回展示品の7割は載っています」とのこと。図版がきれいで、蔵書印の解説も役に立つお値打ち品。ただ、在庫品を引っ張り出してきたのか、買って帰ったら、明らかにナフタリン臭いのが可笑しかった。私は、この匂い、好きなんだけど…。
前後期で入れ替わるものが多いので、できれば後期(11/10~)に再訪したい展覧会である。