見もの・読みもの日記

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次ぐをもて家とす/観世家のアーカイブ(東大駒場博物館)

2009-10-28 22:58:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京大学駒場博物館 特別展『観世家のアーカイブ―世阿弥直筆本と能楽テクストの世界―』(2009年10月10日~11月29日)

 この日は、冷泉家から観世家へハシゴ。東大駒場キャンパスの博物館では、観阿弥、世阿弥を家祖とする観世家に伝わる能楽関係資料の展覧会が開かれている。

 注目は、やはり世阿弥の直筆テキストだろう。冷泉家の俊成(1114~1204)、定家(1162~1241)を見たあとなので、ちょっと気がそがれるけど、世阿弥(1363~1443頃)の直筆だって、十分すごい。どっちが古いかということよりも、当時、まだ海のものとも山のものとも分からなかった猿楽(申楽)能を、今日に残る芸能に仕立てあげた才気は恐るべきものだと思うし、それを守り伝えてきた人々も必死だったんじゃないかと思う。

 ただし、10/24(土)に行ったら、世阿弥筆で見られたのは、四方が損傷した断簡を貼り付けたもの(花伝第七別紙口伝など)のみ。巻子の形態で残っている世阿弥筆能本『難波海』『松浦之能』などは、いずれも複製展示で、本物は後期(っていつ?)から展示だそうだ。

 だが、この複製が非常によく出来ていて、ぼんやりしていたら、複製と気づかなかったかもしれない。それもそのはず、観世家のアーカイブ資料は、このたび、科学研究費補助金を受けて、デジタルアーカイブとして、インターネット上に立ち上がったのである。→※観世アーカイブ(http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kanzegazo/

 このデジタルアーカイブ、遊んでみたら、なかなかいい。上に紹介した世阿弥直筆『花伝第七別紙』は、会場では、冊子の一箇所が開いて展示されているだけだが、ネット上で見ると、まず、風呂敷(?)の上に、題箋を載せた紐付きの木箱が現れ、題箋を取り除けると木箱の全体が、次に本体の冊子をめくると、白紙のあとに、ようやく本文が…という具合で、その適度なじれったさがいいのだ(私のネット環境が遅いせいもあるが)。自筆能本も、まずは外箱から(笑)。お作法の決められた茶道みたいだ。「デジタル」といえば合理性の道具みたいに思われがちだが、全然そうでないところが、楽しくてうれしい。

 世阿弥の自筆能本は、当時としては珍しく、濁点表記や促音表記(小さいツ)が用いられていて、「音声としての日本語」をいかに厳密に再現し、伝達するかに、世阿弥が苦心していたことが分かり、興味深かった。そのかわり、眺めて美しいテキストを書こうという気持ちは、さらさらなかったような字体(全てカタカナ)である。この表記の特徴は、展示会場には解説が掲示されているけれど、デジタルアーカイブは何も触れていなくて残念。書誌データには「解題」という欄が設けられているようなので、今後、ここを充実していってほしいと思う。なお、画像には、モノクロとカラーがある様子。

 観阿弥、世阿弥以降の能楽師については、ほとんど何も知らなかったが、江戸時代の観世太夫にも、伝統を堅持することだけで満足しない、いろいろ個性的な人物がいたことが分かって、面白かった。

 それにしても、アーカイブの公開を決意なさった当代観世清和三十六世家元も偉いし、6年にわたる史料調査を行った松岡心平教授(東京大学)らのチームもご苦労なさったことと思う。世阿弥は「家、家にあらず。次ぐをもて家とす」という言葉を残しているそうだが、古い資料を持ち続けるだけではなくて、こうして新しい媒体に変換し、新しい利用の途をひらいていくことも、伝統を「次ぐ」形態のひとつだと思う。
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