○徳川美術館 常設展示&企画展示『”水”七変化-デザインされた水の形-』
http://www.tokugawa-art-museum.jp/
徳川美術館を訪ねるのは、ずいぶん久しぶりのことだ。5、6年ぶりではないかしら。大曽根の駅で下りてしばらく歩く。初めて来たときも、迷いながら歩いた記憶がよみがえってきた。やがて、池泉回遊式の日本庭園・徳川園の門にたどりついた。
尾張徳川家に由来する3つの施設、徳川園、徳川美術館と蓬左文庫がこの一帯に集まっている。庭園と蓬左文庫は名古屋市の管理だが、徳川美術館は財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館である。しかし、徳川美術館と蓬左文庫の建物は渡り廊下でつながっており、原則として共通券で観覧するシステムになっている。
徳川美術館は、企画展示に興味があって来てみたのだが、中に入ると、常設展示の展示室が延々と続く。ショートカットしてしまおうかとも思ったが、これはこれで、なかなか面白い。以前は、茶道具も掛物も全く分からなかったのだが、おお、曜変天目か~とか、三島茶碗(李朝もの)か~とか、多少は見どころが分かるようになった。宋・元・明の舶来物がものすごく多い。
それから、渡り廊下を渡って、蓬左文庫の展示室に入る。液晶ディスプレイに蓬左文庫の短い紹介ビデオが流れていた。それを見て、戦前、蓬左文庫が東京の目白にあって公開されていたことを初めて知った。戦争のため、公開中止を余儀なくされ、名古屋に移ったのだという。
しかし、ネットで調べてみたら、さらに以前は名古屋にあったらしい。徳川林政史研究所の「研究所のあゆみ」というページによれば、昭和初期、東京目白で文庫の一般公開を始めるにあたり、「名古屋より東京へと運び込まれた蔵書は、実に10万冊にもおよんだ」という。つまり、蓬左文庫の10万冊は、名古屋から東京へ、また名古屋へという往復の旅をしたわけである。
同文庫の特色のひとつは、善本の多い「駿河御譲本」の存在である。家康の旧蔵書「駿河文庫」約1万点は、家康の没後、およそ5対5対3の割合で、尾張、紀州、水戸の三家に分譲されたが、紀州・水戸両家分については、現在、ほとんど所在を確認することができない。これに対して、蓬左文庫に残る尾張家分は「駿河御譲本」の原型を最もよく伝えているという。いやー。過酷な長旅を繰り返したのに、よくぞ無事が保たれたものだ。
順路に従って、再び徳川美術館に戻る。企画展示室では「水」(雨・雪・川・海など)をモチーフにした絵画・工芸・服飾など、さまざまな作品が楽しめた。見たかったのは応挙の『浜松図屏風』で、茫洋とした遠景が、空間の広がりを感じさせる。同じく応挙の『華洛四季遊戯図巻』は、夏の川辺で涼む人々の風俗を細やかに描いた楽しい作品。
企画展示室には開館当時の玄関が附属していて、この意匠が一見の価値あり。床のモザイクは鯱なんだろうな、やっぱり。徳川義親氏による開館の辞(漢文)のプレートにも注目を。
http://www.tokugawa-art-museum.jp/
徳川美術館を訪ねるのは、ずいぶん久しぶりのことだ。5、6年ぶりではないかしら。大曽根の駅で下りてしばらく歩く。初めて来たときも、迷いながら歩いた記憶がよみがえってきた。やがて、池泉回遊式の日本庭園・徳川園の門にたどりついた。
尾張徳川家に由来する3つの施設、徳川園、徳川美術館と蓬左文庫がこの一帯に集まっている。庭園と蓬左文庫は名古屋市の管理だが、徳川美術館は財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館である。しかし、徳川美術館と蓬左文庫の建物は渡り廊下でつながっており、原則として共通券で観覧するシステムになっている。
徳川美術館は、企画展示に興味があって来てみたのだが、中に入ると、常設展示の展示室が延々と続く。ショートカットしてしまおうかとも思ったが、これはこれで、なかなか面白い。以前は、茶道具も掛物も全く分からなかったのだが、おお、曜変天目か~とか、三島茶碗(李朝もの)か~とか、多少は見どころが分かるようになった。宋・元・明の舶来物がものすごく多い。
それから、渡り廊下を渡って、蓬左文庫の展示室に入る。液晶ディスプレイに蓬左文庫の短い紹介ビデオが流れていた。それを見て、戦前、蓬左文庫が東京の目白にあって公開されていたことを初めて知った。戦争のため、公開中止を余儀なくされ、名古屋に移ったのだという。
しかし、ネットで調べてみたら、さらに以前は名古屋にあったらしい。徳川林政史研究所の「研究所のあゆみ」というページによれば、昭和初期、東京目白で文庫の一般公開を始めるにあたり、「名古屋より東京へと運び込まれた蔵書は、実に10万冊にもおよんだ」という。つまり、蓬左文庫の10万冊は、名古屋から東京へ、また名古屋へという往復の旅をしたわけである。
同文庫の特色のひとつは、善本の多い「駿河御譲本」の存在である。家康の旧蔵書「駿河文庫」約1万点は、家康の没後、およそ5対5対3の割合で、尾張、紀州、水戸の三家に分譲されたが、紀州・水戸両家分については、現在、ほとんど所在を確認することができない。これに対して、蓬左文庫に残る尾張家分は「駿河御譲本」の原型を最もよく伝えているという。いやー。過酷な長旅を繰り返したのに、よくぞ無事が保たれたものだ。
順路に従って、再び徳川美術館に戻る。企画展示室では「水」(雨・雪・川・海など)をモチーフにした絵画・工芸・服飾など、さまざまな作品が楽しめた。見たかったのは応挙の『浜松図屏風』で、茫洋とした遠景が、空間の広がりを感じさせる。同じく応挙の『華洛四季遊戯図巻』は、夏の川辺で涼む人々の風俗を細やかに描いた楽しい作品。
企画展示室には開館当時の玄関が附属していて、この意匠が一見の価値あり。床のモザイクは鯱なんだろうな、やっぱり。徳川義親氏による開館の辞(漢文)のプレートにも注目を。