見もの・読みもの日記

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流転の皇帝/溥儀(入江曜子)

2006-08-02 23:58:53 | 読んだもの(書籍)
○入江曜子『溥儀:清朝最後の皇帝』(岩波新書) 岩波書店 2006.7

 溥儀の存在を意識したのは、映画『ラスト・エンペラー』(1987)が最初である。当時、私は既にいいトシをした社会人だったが、アジアの近代史に全く疎くて、満州国の下りになるとサッパリ分からず(なぜ清朝最後の皇帝に日本人が絡んでくるのか?)、まして文化大革命なんて何が何やら、という感じだった。だから、映画の中で、はっきり印象に残っているのは、紫禁城の内側を舞台とした少年時代の描写のみである。

 あれから20年。映画や読書のおかげで、中国近代史には、だいぶ詳しくなった。しかし、私は大清帝国崩壊の苦悩を一身に背負った実質的な「最後の皇帝」は、光緒帝じゃないかと思うので、溥儀にはあまり興味を感じない。だって、3歳で即位して7歳で退位(12歳のとき、短期間復位)じゃあ、ほとんど皇帝として「在位」したとは言えない。ほとんど「まぼろし」同然の帝位だと思う。だからこそ、溥儀は、後々まで復辟(皇帝に返り咲くこと)に執着し、日本につけこまれたのだろう。

 著者は、これまで『我が名はエリザベス』『李玉琴伝奇』などの著作を通じて、「妻たちから見た溥儀」を描いてきた。その視点は、本書でも活かされていると思う。たぶん政治史や社会史の学者は、溥儀という人物を、本書のようには見ないだろう。著者は、溥儀の「小心、権力に媚びる」という弱さを冷ややかに見つめながら、そこに「父なるものへの憧れ」「庇護されたいという少年の甘えとしたたかさ」を見出す。溥儀の、日本国あるいは日本の皇室に対する一途な尊崇は、哀れさえ感じさせる。晩年の、毛沢東に対する態度も同様である。

 それにしても、溥儀は、終生、自分の身の回りのことが満足にできなかったという。シャツのボタンを正しくかけるとか、四角いシーツを四角く畳むとか、そういったことができないのだ。うーむ。清朝の偉大な祖先たちは、どう思っていただろうか。康煕帝なんか、宣教師ブーヴェによる伝記(東洋文庫)を読むと、相撲はとるわ、騎射は得意だわ、心身ともに「万能の天才」であったのに。

 1967年、文革の最中に病没した溥儀は、はじめ人民公墓に葬られたが、ラストエンペラー・ブーム(中国社会にも!)のおかげで、いまは清西陵の一郭に葬られているそうだ。
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