見もの・読みもの日記

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社会システムの実際/日本のメリトクラシー(竹内洋)

2006-04-17 23:51:25 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋『日本のメリトクラシー:構造と心性』 東京大学出版会 1995.7

 メリトクラシー(meritocracy)とは、業績(メリット)を基準にして、社会的地位が決定する考え方をいう。これまで読んできた竹内洋さんの本は、おおむね一般読者向けだった。学問的厳密さよりも、「見てきたような」歴史叙述に重点があった。しかし、本書は、社会調査を駆使した学術的な著作である。これまで気安いご隠居だと思っていた著者が、突然、カミシモ姿で現れたようで、初めは少し戸惑った。

 しかし、本書は面白い。冒頭では、アメリカの社会学者が行った調査と、そこから導き出されたキャリア移動モデルが紹介される。次に、著者自身が日本で行った調査が報告される。1つには、「就職企業別ランキング」「大学合格難易ランキング」など、さまざまなかたちで公表されている膨大なデータを集計し、解釈していく方法。これに、特定企業の聞き取り調査を組み合わせ、特徴を数値的に把握し、分かりやすく可視化する。その手さばきの見事なこと! 社会調査って、こんなに面白い学問だったんだ!!と、すっかり興奮し、堪能させられてしまった。

 メリトクラシーと言われるものの実態も、よく分かった。最近、流行の「業績主義」とか「成果主義」というのも、メリトクラシーの一種である。しかし、本書が扱うメリトクラシーとは、むしろ「成果主義」が目の仇にしている学歴選抜方式をいう。

 なぜ、このような混乱が生まれるかというと、1960年代までは、学校教育が専門職に必要な技能(能力)を作り出すということが、タテマエとしては信じられていた。1970年代の教育資格インフレ以降、学歴は能力の証明ではなくなる。しかし、人々の潜在能力や訓練可能性を正確に測定することは、現実的に不可能であるため、雇い主は、学歴をふるいの手段として使い続けた。

 そこには、さまざまなトリックがあるし、社会的な特性がある。たとえば、ヨーロッパでは、階級的な文化資本の有無が、選抜を大きく左右する。イギリスでは早期に選抜されたエリートに高等教育が施されるため、教育資本の投下は効率的である(庇護移動)。一方、アメリカでは、決定的な選抜が遅延されるため、人々はいつまでも夢を抱くことができる。ただし、実際には早期の選抜に漏れた者に敗者復活の望みは少ない(トーナメント移動)。どちらがよりよいシステムであるかは、なんとも言い難い。どんな選抜方式にも、排他的な(あちらを立てれば、こちらが立たない)利点というものがある。また、我々は、所与の選抜システムにおいて有効とされる価値を「能力」と認知している、とも言える。

 選抜システムは、選抜されない者を生み出す仕組みでもある。しかし、よく出来た社会システムは、敗者のルサンチマンをそらすべく、必ず、加熱と冷却の二重装置を付帯している。それは、敗者の側から見れば、したたかな二次適応と言えるかもしれない。著者は、その実態を、低位の職業高校に通う学生たちや、企業の中の高学歴ノンエリートの実態調査を通して明らかにしている。

 本書を読みながら、ふと「上有政策、下有対策」という中国のことわざを思い出した。「上」の政策としてのメリトクラシーは、かなりトリッキーだし、「下」の対策としての「適応」も、相当にしたたかである。まことに、社会システムとは、理念だけで論じてはいけないものだと思った。でも、そこが見えてしまえば、成果主義の圧力なんて恐るるに足らず、それを「虚妄」となじるのも、白々しい話である。
コメント
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