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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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2025年3月展覧会拾遺

2025-04-02 23:42:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

荏原畠山美術館 開館記念展 II(破)『琳派から近代洋画へ-数寄者と芸術パトロン:即翁、酒井億尋』(2025年1月18日~3月16日)

 開館記念展の第二弾として琳派の歴史を彩る名品が勢ぞろいし、開館記念展Ⅰにつづき、即翁の甥で、荏原製作所社長を継いだ酒井億尋の近代洋画コレクションを紹介する。私は鈴木其一の『向日葵図』が久しぶりに見たかったので、後期を待って出かけた。向日葵は17世紀に日本にもたらされた植物で、絵画化された早い例には抱一の作品があるという。今、ヒマワリを絵に描くなら、花の中心部を茶色で塗ると思うのだが、其一の向日葵は花全体が黄色で、中央は少し緑がかっている。まっすぐな茎と合わせて、可憐で瑞々しい。

 抱一の『十二ヶ月花鳥図』も堪能した。茶器は光悦の赤楽茶碗『銘:雪峯』と『銘:李白』を見ることができた。前者はわりと厚手、赤楽というけどほぼ茶色に白い釉薬が流れている。大きな火割れに施された金粉漆繕い(金継ぎではないのだな)が稲妻のよう。後者は桶みたいにずん胴で、つるんとした造り。酒樽に見立てた命名だろう。

根津美術館 特別展『片桐石州の茶:武家の正統』(2025年2月22 日~3月30日)

 片桐石州(1605-1673)は大和国小泉藩第2代藩主であり、武家を中心に広まった茶道・石州流の祖。茶道史上に極めて重要な位置を占めながらも、これまで注目されることが少なかった石州と石州流の茶の湯を顕彰する。私は石州の名前はほとんど知らなかったので、小堀遠州や鳳林承章との交流の跡を見て、あの時代の人か、と納得する。そして松平不昧や井伊直弼も石州流の系譜に位置づけられている。展示室5は季節もので『百椿図』。展示室6の『春情の茶の湯』は、ほのかな春の兆しを感じさせる道具がどれもよかった。

目黒区立美術館 『中世の華・黄金テンペラ画-石原靖夫の復元模写:チェンニーノ・チェンニーニ「絵画術の書」を巡る旅』(2025年2月15日~3月23日)

 石原靖夫(1943ー)が1970年代に制作したシモーネ・マルティーニ『受胎告知』の復元模写と周辺資料を展示し、テンペラ画の技法と表現の魅力に迫る。特に金箔の黄金背景に、顔料を卵黄で練って描き上げていく「卵黄テンペラ」は14世紀から15世紀前半のイタリアで発展した“中世の華” というべきもの。ちょっと他で見たことのない展覧会で、とても面白かった。同館では、過去に石原を中心としたテンぺラ画のワークショップも開催しており、その受講生の作品も展示されていた。テンぺラ画は非常に手間のかかる技法で、その工芸的な不自由さがかえって魅力的である。

東京国立近代美術館 『美術館の春まつり』(2025年3月13日~4月6日)

 春なので「MOMATコレクション」展を見て来た。10室では恒例「美術館の春まつり」に合わせて、花を描いた作品を集めて展示する。川合玉堂『行く春』、菊池芳文『小雨ふる吉野』など、毎年おなじみの作品なのだが、必ずこの時期に見ることができるのは嬉しい。「明治の中ごろ~」の部屋に出ていた小林古径『極楽井』もよかった。小石川伝通院裏の宗慶寺にあった極楽井の水を描いたとさせ、佇む少女のひとりは、イエズス会の紋章「IHS」を象った模様の着物を着ている。小杉放菴(未醒)『羅摩物語』はインド風の豊満な肉体の女性たちが描かれており「ローマ?」と首を傾げたら、『ラーマーヤナ」の「ラーマ王」だった。こういう戦前のエキゾチック趣味には惹かれる。「風景の誕生」や「シュルレアリスム100年」などの個別テーマも興味深く、「『相手』がいる」と題された戦争絵画を毎年この時期に見直すのもよい経験になっている。

國學院大學博物館 企画展『江戸の本屋さん-板元と庶民文学の隆盛-』(2025年2月22日~4月20日)

 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を、今のところ期待どおり楽しんで見ている。そして各地の博物館で、江戸の出版文化をテーマにした展覧会が次々に開催されているのが嬉しくてたまらない。本展は、江戸戯作群の製作、出版、販売を担った本屋の活動を概観するとともに、甘露堂文庫(伊藤孝一旧蔵)と小柴文庫(小柴値一旧蔵)の江戸戯作コレクション蔵本を展示する。私はいちおう日本文学を学んだので、蔦重、須原屋くらいは知っていたが、鱗形屋孫兵衛とか鶴屋喜右衛門の名前に、おお!と目が輝いてしまうのは、全く大河ドラマの影響である。冒頭に「大本」「中本」「半紙本」などの版型が並べてあったのも楽しかった。

国立公文書館 令和7年春の特別展『書物がひらく泰平-江戸時代の出版文化-』(2025年3月20日〜5月11日)

 江戸時代の出版文化に着目し、近世文学作品を中心に、江戸時代に特徴的な版本の数々をご紹介する。ここでもやはり、須原屋や鱗形屋の刊記にしみじみ見入ってしまう。あと『江戸買物独案内』から書店の案内がパネル写真で紹介されていた。これは国立国会図書館のデジタルコレクションにあるはず、と思って見つけたものの、どのぺージを見ればいいのか分からない。初めからぺージを送っていたら「いろは順」の「ほ」の部(本屋)に出て来た。「書物問屋」を名乗る店と「書物/地本問屋」を名乗る店がある。「小伝馬町二丁目/書物問屋/新吉原細見板本/蔦屋重三郎」の記載もあるが、これは文政7年刊行なので後継者。そのままぺージを送って、銘茶所やら紙問屋やら煙草問屋やら、飽きずに眺めてしまった。

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東京へようこそ/青池保子展(弥生美術館)

2025-03-31 22:30:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

弥生美術館 漫画家生活60周年記念『青池保子展 Contrail 航跡のかがやき』(2025年2月1日~6月1日)

 1963年、15歳でデビューした青池保子(1948-)の漫画家生活60周年を記念する展覧会。緻密なカラー原画とモノクロ原稿、約300点(前後期の合計点数)を展示する。2023年の秋、神戸市立小磯記念美術館で参観した展覧会だが、東京で開催されるのが嬉しくて、また見てきた。

 私が少女マンガを熱心に読んでいたのは70年代から80年代前半で、青池先生の作品でいうと「イブの息子たち」「エロイカより愛をこめて」の時代。ただし私は集英社&白泉社びいきだったので、青池先生が執筆していた講談社・秋田書店の雑誌には縁がなかった。けれども、上述の2作品は、マンガ好きの友人の手から手へまわってきたように記憶している。あと「エロイカ」のスピンオフ的な「Z(ツェット)」が愛読誌「LaLa」(白泉社)に掲載されたときは嬉しかった。あれは本当に例外的な執筆だったんだな、というようなことを、作者の年表を見ながらしみじみ思いめぐらせた。

 青池作品は、ストーリーも面白いし、登場人物も魅力的なのだが、こうして展覧会で見ると、とにかく絵の巧さが際立つ。色彩の美しさ、デザインの緻密さ。時には中世絵画を模し、時には帆船や戦闘機の硬質な美学を追求する。有名な美術作品のパロディもあって、「エロイカ」の伯爵が、ゴヤの「アルバ侯爵夫人」(黒のドレス)に扮して、地面の「Solo Eberbach」の文字を指さしている図のウィットとセンスには笑ってしまった。

 残念ながら会場内は撮影禁止だが、一部撮影可能な作品がある。これは東京会場向けの描き下ろし。

 これは下関会場向け。青池先生は下関出身で、デビュー前に同郷の水野英子さんに会いに行っているそうだ。好きな漫画家は水野英子、望月あきら、松本あきら(松本零士)だったというのが、時代と傾向を感じて興味深かった。

 併設のカフェ「港や」で展覧会コラボメニューの「いのししカプチーノ」と「カルトフェルトルテ」(ドイツ伝統のイモケーキ)をいただき、特製コースター2種類もGET。ランチタイムの少し前だったので入れたが、展覧会帰りのお客さん(一人ないしグループの女性客)で賑わっていた。

 「港や」、この季節は向かいの東大キャンパスの桜が窓いっぱいに見えるのだな。むかしは職場の昼休みにランチに来たこともあるので懐かしかった。

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おまけに蔦屋重三郎墓碑拓本/豊原国周(太田記念)+歌舞伎を描く(静嘉堂)

2025-03-28 23:53:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 生誕190年記念『豊原国周』(2025年2月1日~3月26日)

 終わった展覧会だが書いておく。2025年が豊原国周(とよはら くにちか、1835-1900)の生誕190年となることを記念した回顧展。国周は幕末から明治にかけて役者絵の第一人者として君臨し、月岡芳年や小林清親らと並ぶ人気絵師として活躍した。芳年や清親に比べて紹介される機会の少なかった知られざる巨匠・国周の画業を約210点の作品で紹介する。

 正直、私は名前を聞いてもピンと来なかったが、作品を見ていくと、ああこの絵柄の人か、と分かるものも多かった。やっぱり魅力的なのは役者絵である。細い眉、切れ長の釣り目に小さすぎる瞳、高い鷲鼻、唇の薄いへの字口。こう並べると、国周以外の役者絵にもだいたい当てはまってしまうのだが、最も特徴的なのは極端な三白眼の目かなあ。作り過ぎない躍動感と臨場感のあるポージングもカッコいい。髪の乱れ、着物の柄や背景も丁寧で、どれも手抜きがない。金目銀目の巨大な蝦蟇を背景にした『天竺徳兵衛 尾上菊五郎』は、むかしから私のお気に入りの作品である。

 明治の歌舞伎界の消息がいろいろ分かるのも面白かった。背広姿で空に舞い上がる気球乗りスペンサーを菊五郎が演じた『風船乗評判高閣(ふうせんのり うわさのたかどの)』は、河竹黙阿弥の脚本で明治24年初演。西南戦争を題材にした『西南雲晴朝東風(おきげのくも はらうあさごち)』では団十郎が「西条高盛」を演じた(面長で美男)。『初代市川左団次の誉堂龍蔵』は美丈夫が雪の中で小さいクマ(子グマ?)を投げ飛ばす図で、近藤重蔵をモデルにした芝居らしい。こういう忘れられた演目を知るのはちょっと楽しい。

静嘉堂文庫美術館 豊原国周生誕190年『歌舞伎を描く-秘蔵の浮世絵初公開!』(2025年1月25日~3月23日)

 初期浮世絵から錦絵時代、明治錦絵まで役者絵の歴史をたどる。冒頭には江戸時代17世紀の『歌舞伎図屏風』(二曲一隻)。解説に「3人の幼女が舞台で踊っている」と書かれていて、え?と驚いてしまったが、室町末期から江戸初期にかけて「ややこ踊り」といって、2~3人の子供が舞台で扇を持って踊る芸能が流行し、これを基に出雲の阿国が「歌舞伎踊り」を創始したと言われているのだそうだ。描かれた3人は(現代語で)幼女というほど幼くはなくて、まあ少女というところ。しかし日本人は、この時代から少女の群舞が好きだったのか。

 浮世絵も、江戸初期の鳥居派から北斎、豊国(国貞)を経て、豊原国周まで、変遷を追える展示になっていた。岩崎彌之助夫人・早苗が愛玩した『錦絵帖』は以前にも見たことがあったが、中身は圧倒的に国周作品が多いのだな。

 なお、今年の大河ドラマにからめて蔦屋重三郎関連資料を展示したミニコーナーが設けられており、その中に『蔦屋重三郎墓碑拓本』があったのにはびっくりした。東浅草の正法寺に建てられたものだが、碑は震災・戦災で失われ、現存していないという。

 冒頭は「喜多川柯理本姓丸山称蔦屋重三郎」で始まる。

 この拓本の由来は特に説明されていなかったが、よく持っていたなあ、静嘉堂。まさかこんなふうに脚光を浴びるとは思ってもいなかっただろう。

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五大明王と襖絵の寺/大覚寺(東京国立博物館)

2025-03-20 22:53:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 開創1150年記念特別展『旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」(2025年1月21日~3月16日)

 平安時代初期、嵯峨天皇は嵯峨に離宮・嵯峨院を造営し、空海の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置した。貞観18年(876)、皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、開創されたのが大覚寺である。来たる2026年に開創1150年を迎えるのに先立ち、優れた寺宝の数々を一挙に紹介する。

 昨年3月の今頃、関西の桜を見に行ったついでに、久しぶりに大覚寺を訪ねてみたら、大変魅力的な仏像(平安時代の五大明王像)があったりして、この展覧会を楽しみにしていたのだが、結局、最終日の駆け込み鑑賞になってしまった。しかし、見逃さなくてよかった。

 展示室の冒頭には、嵯峨天皇像(江戸時代、画幅)と弘法大師像(鎌倉時代、画幅)。『六通貞記』は、空海の実弟にして弟子の真雅が空海の教えを書き留めたもので、「青龍和尚曰」の文字が見えた。青龍寺の恵果のことだろうか。大覚寺は、嵯峨天皇が自ら書写した『勅封般若心経』を伝えており、60年に一度、戊戌の年に開封されるのだそうだ。直近は2018年だったとのこと。知らなかった!

 そして、第1展示室からいきなり巨大な五大明王像が登場。中尊の不動明王と、大威徳、軍荼利は室町時代、院信作。右側の降三世、金剛夜叉は江戸時代の作だが、造形は古作と調和していて、なかなかよかった。「キツネが…」と話している女性グループがいたので、何のことかと思ったら、軍荼利明王が腰に巻いている毛皮にキツネ(?)の顔が付いているのである。これは珍しいのではないか。

 続いて、小振りながら神経の行き届いた技巧の五大明王像(平安時代)が1躯ずつ単立ケースに入れて展示されていた。確か大覚寺の宝物館ではお厨子に納められていたものだ。解説によれば、安元2~3年(1176-1177)に仏師・明円が後白河上皇の御所で制作されたという。御所ってどこ?と思って調べたら、後白河上皇は安元2年に50歳を迎え、法住寺殿で賀宴を開いていた。この五大明王、得物を執ったり、印を結んだりする指先がふっくらして無類に美しい。大威徳明王の(片側)三本足の指先がつくるリズムも肉感的。なお、軍荼利明王の腰の巻物には、やっぱりキツネ?の顔が付いていた。

 隣に並んでいた愛染明王坐像は鎌倉時代の作だが、五大明王と共通する趣味のよさ・品のよさを感じた。愛染明王本体も頭上の獅子冠も玉眼で、清冽な光を放っていた。構えた弓矢(Bow and Arrow)がカッコいい。

 それから、大覚寺にかかわった歴代天皇や戦国大名ゆかりの品々を展示。太刀(名物:薄緑/膝丸)は安井門跡に伝わり、明治維新後に大覚寺に移ったもの。太刀(名物:鬼切丸/髭切)(北野天満宮所蔵)と並べての展示だった。どちらも源氏の重宝である。私は刀剣の良し悪しは全く分からないが、このくらい古いと、いろいろ物語が思い起こされて興味深い。

 後半の第2会場は、広いスペースを大胆に使って、大覚寺の宸殿と正寝殿の障壁画(前期100面、後期103面)を一挙に公開。ふだん非公開の正寝殿「御冠の間」の復元が展示されていたのも面白かった。渡辺始興筆『野兎図』は12面くらい続く明り障子の腰板に、さまざまなポーズのウサギたちが描かれている。これをぬいぐるみキーチェーンにしたグッズは大人気で、最終日には完売していた。

 渡辺始興は他にも雪景山水図や竹林七賢図の襖絵を描いているが、私が気になったのは、むしろ狩野山楽。展示サイド的には『牡丹図』18面が推し(確かに豪奢で美しい)のようだったが、『竹図』『紅白梅図』などのほうが山楽らしさを感じられてよかった。へえ~大覚寺ってこんなに山楽を持っていたのか、と思ったら、近年の研究の進展で山楽筆と認識されたものも多いそうである。

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2025年3月関西:大阪市立美術館、大和文華館

2025-03-16 23:49:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 リニューアルオープン記念特別展『What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!』( 2025年3月1日~3月30日)

 2022年春の『華風到来』展から、2年半に及ぶ休館期間を経て、リニューアルオープンを記念する特別展。施設の印象は既に書いたので、本稿は展覧会そのものについて書く。会場は1階に2つ、2階に2つ。各会場がさらに複数の展示室の連なりになっており、考古から近代絵画まで、幅広い分野の作品約250件を一堂に展観する。ボリュームとクオリティは、国立博物館の常設展示並みかそれ以上だと思う。

 第1会場は近世の風俗画から。田万コレクションの『洛中洛外図屏風』(江戸時代17世紀)、こんなのも持っていたんだっけと驚く。そのほかにも『寛文美人図』『舞妓図』『扇屋軒先図屏風』など。江戸初期の風俗図が好きなので嬉しい。今年の大河ドラマで名前を覚えた磯田湖龍斎の『秋野美人図』にも目が留まった。

 次いで日中の金工品→日中朝鮮の考古コレクション。古代中国の銅製の小物(水滴や文鎮)の造型があやしげで楽しい。このへんで、ときどき展示キャプションに「珍品」「名品」のマークが入っていることに気づく。次いで仏教絵画と経典。

 第2会場は、同館コレクションの粋(と私が考える)中国の仏像から。冒頭の石造如来坐像に「はつらつと弾力のある肉体を堪能ください」というキャプションが付いていて、ちょっと笑ってしまったのだが、その後も北斉の如来坐像頭部に「波のようにうねる唇がセクシー」とか、唐代の如来像頭部に「切れ長の目のほとけさまはお好きですか?」などとあって、学芸員さんの仏像愛を感じてしまった。一番好きだったのは西魏の石造四面像に加えられていた「両手を挙げて悲しむ女性の癖が強すぎます」というやつで、こんな作品。

 それから酒器(漆工)、拓本が続いた。日本民藝館のコレクションで親しんでいる『開通褒斜道刻石』の拓本は同館にもあるのだな。

 第3会場は中国絵画から。鄭思肖『墨蘭図』(元時代)は根を描かないことで、異民族支配に抵抗する姿勢を示したというが、乾隆帝はじめ清朝皇帝の鑑賞印がたくさん押されていた。かなり大きめの普通の風景画『彩筆山水図』に朱耷(八大山人)の名前があったのにはびっくりした。そして奥まった別室には、見上げるような巨幅の謝時臣『湖堤春暁図』『巫峡雲濤図』が掛けてあり、キャプションに「ようやく展示できた~」とあって微笑ましかった。改修で新造された展示スペースだとしたら、おめでとうございます。次いで、陶磁器、近世絵画。

 第4会場は住友コレクションの近代絵画、富本憲吉と近現代のうつわ、大阪の洋画。最後に「広報大使就任記念」の『青銅鍍金銀 羽人』が展示されていたけれど、ポツンとひとりぼっちで少し寂しそうだった。同時代の仲間と一緒に置いてあげればいいのに。

■大和文華館 『春の訪れ-梅と桜-』(2025年3月1日~4月6日)

 もう1ヶ所寄っていきたかったので、奈良の学園前に出た。本展は、春の代表的な花である梅と桜を表した絵画や工芸を展示する。同館の庭園では、色鮮やかな梅が盛りを迎えていたが、三春桜はまだつぼみも見えなかった。

 展示品は梅と桜が半分ずつかと思ったら、梅が四分の三くらいを占めていた。美術品(特に工芸品)には梅のほうが取り入れやすいのかもしれない。気に入ったのは『五彩飛馬文碗』(清前期)。全体に青色の釉薬を掛け、黄色と水色の馬が波の上(?)を走っている。舞い散る梅の花も、白、黄、水色などで表現される。本展のポスターにも使われている『青花梅文皿』(天啓年製)は、古染付らしい、ゆるゆるの雰囲気が大変よい。『織部梅文香合』は、藍色の下に着色が覗く不思議な色合い。梅といえば紅白という先入観を完全に裏切られて、おもしろかった。

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地域史の証言/慶珊寺と富岡八幡宮の名宝(金沢文庫)

2025-03-04 22:41:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『慶珊寺と富岡八幡宮の名宝-『大般若経』が語る中世東国史-』(2025年2月7日~3月23日)

 横浜市金沢区に位置する富岡八幡宮と、その別当寺であった慶珊寺(けいさんじ)に関する特別展。東京下町の住人としては、富岡八幡宮と聞けば深川の八幡様しか思い浮かばないので、横浜にも同じ名前の八幡宮があることを初めて知った。

 慶珊寺は真言宗御室派で、寛永元年(1624)に領主の豊島明重(としま あきしげ)が両親の菩提を弔うために建立した寺だという。本展の見どころのひとつは慶珊寺が所蔵する多数の仏像。十一面観音半跏像(鎌倉時代、院誉作)は、いわゆる遊戯坐の像容で、たっぷりと襞を寄せた衣の裾から曲げた右足の足先を見せる。右手は体の横の座面に突き、左手は膝の上に置く。大きな耳たぶと耳の穴が目立つ。優雅だが慶派の作風で、伸ばした背筋が凛として美しい。明治の神仏分離の際、鶴岡八幡宮十二坊から移されたと伝わる。

 隣りには阿弥陀如来立像(平安時代)。抑揚のない棒立ちで、衣の襞の彫り込みが薄く、つるっとして素朴な印象。解説には藤原風とあった。その隣りには愛染明王坐像(江戸時代)。もとは鎌倉・覚園寺にあり、往古の作と考えられていたというが、逆立つ髪の大仰な表現など、近世の作というのが妥当だと思う。

 全く下調べをせずに行ったので、展示の冒頭から「大般若」が繰り返し注目されている理由が分からず、戸惑ってしまった。実は慶珊寺には、中世の大般若経六百巻が所蔵されており、現在でも転読会が行われている(江戸時代には富岡八幡宮の神前で行われていた)。大般若経を収蔵していた唐櫃(と思われるもの)が展示されていたのも面白かった。ちなみに大般若転読については、足利義詮の御教書が残っていたり、後白河法皇が命じたと伝わっていたりする。

 慶珊寺の大般若経は、正中2年(1325)武将の藤原貞泰が寄進したもの、足利尊氏の発願による智感版、さらに後世増補されたものの複合体らしい。そして各巻の奥書には、寄進、書写、補写、修補などに当たった人々の事蹟が記録されており、女性の名前(〇〇比丘尼)も見られる。なるほど、こういうところから中世東国の地域史・信仰史を考えることができるのだな。金沢文庫は2021年から東京大学史料編纂所と共同で、全点撮影と調査研究を実施しているのだそうだ。

 このほか、近代の富岡に関する資料も面白かった。富岡に別荘を構えていた三条実美が、荒木寛畝に描かせたという『富岡別荘図巻』を見ると、松島海岸みたいな景勝地だったようだ。明治や大正の古写真から、金波楼という割烹旅館があったことを知る。地元有志が出資したもので、明治の元勲たちに人気だったという。慶珊寺に伝わる「外国人家族旅寓札」にヘボン、エルドリッジの名前があったのにも驚いた。

 もう1点、富岡八幡宮所蔵の『八幡神像』(安土桃山時代)は、類例を思い出せなくて印象に残った。白い衣(内衣は赤)の束帯姿、赤っぽい靴を履き、手に弓矢を持つ。二本の矢は鏑矢ではないかと思う(鏑矢は八幡神の縁起物)。

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樹木の精霊たち/魂を込めた円空仏(三井記念美術館)

2025-03-03 21:31:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 特別展『魂を込めた円空仏-飛騨・千光寺を中心にして-』(2025年2月1日~3月30日)

 江戸時代前期に日本各地を修行し、木肌とノミ痕を活かした現代彫刻にも通ずる独特の神仏像を残した円空(1632-1695)は、晩年を飛騨で過ごし、千光寺をはじめ近隣地区で多くの像を制作した。飛騨の寺社から集まった、魂を込めた円空仏71件(100躯くらい?)を展示する。

 私は、円空にはそれほど熱い関心はないので、せっかく東京に来たのだから見ておくか、くらいの気持ちで見に行った。それが会場に一歩足を踏み入れて、見渡す限りの円空仏に囲まれると、やっぱり空気が違っていて、深い森の中に迷い込んだような、不思議な気持ちになる。

 冒頭の展示ケースには、小さな地蔵菩薩立像。おにぎりみたいは宝珠を胸の前に捧げ持つ。横から裏にまわると、後ろ半分はすっぱり薪を割ったように平らで、板彫りのように薄い。そうだ、円空仏って、こういう造型だったと思い出す。

 次の展示ケースには、迦楼羅立像が2躯。1つには「(烏天狗)」という補記がついている。あとの方では護法神と呼ばれたり、キツネ顔の稲荷大明神と呼ばれたりするのだが、円空は逆三角形の顔を持つ尊像をいくつも作っている。最初の迦楼羅立像は、大きなクチバシがハシビロコウにも似ていると思った。ここまで3躯は千光寺の所蔵だったが、おや、幞頭(古代中国や日本の被りもの)の神像がいる、と思ったら、小川神明社、白山神社などと書かれた神像も多数並んでいた。

 その奥にいたのが、ゆるりと膝を崩したような柿本人麻呂像(東山神明社)。衣のひだ(ドレープ)だか皺だかよく分からない、鑿による段々づけがおもしろい。小さな丸顔の口元には確かに笑みが浮かんでいて、能の翁面みたい。解説に、佐竹本三十六歌仙絵の人麻呂像と姿勢の崩し方が似ているとあって、すぐに分からなかったが、画像を検索してなるほどと思った。まあ当たらずといえども遠からず。

 次に展示室3(茶室・如庵の手前)で待っていたのは、護法神立像2躯(千光寺)と金剛神立像2躯(飯山寺)。いずれも2メートルを超える。サカナの骨のようにギザギザした細い柱の上、見上げるような高さに神様の顔が載っている。これを見たとき、私はやっと、かつて東博で見た円空展(2013年)を思い出した。実は人麻呂像も迦楼羅立像も東博で見ているらしいのだが、ほとんど忘れていた。

 そして両面宿儺坐像。そうか、本展のチラシ・ポスターのビジュアルは両面宿儺像だったんだな。しかし顔の部分をアップにしすぎだと思う。私は膝に置いた斧と、その斧に添えた美しい手がこの像も見どころだと思う。千光寺の三十三観音立像(現存は31躯)が並んだところも壮観で、太いの細いの小柄なの、丸顔に四角顔など、実に個性豊かだった。このほか、頑張って腕を彫った千手観音、薬師如来や虚空蔵菩薩、龍をかついだような善女龍王、難陀龍王、宇賀神を載せた弁財天に、単体の宇賀神など、バラエティ豊かで楽しかった。

 茶室・如庵の展示ケースには、緑の屋根のついた赤い円筒が置かれていて、正面の扉がわずかに開いていた。キャプションに「歓喜天立像」とあったので、一生懸命目を凝らしてみたが、中は暗くてよく見えなかった。ベンチに置いてあった図録をめくってみたら、ちゃんと写真は掲載されていた。これはひねった見方をするとエロティックなのかもしれない。考えすぎかしら。

 本展で、もし1点だけ持って帰れるなら、私は賓頭盧尊者坐像がいい。すでに顔のあたりは善男善女に撫でまわされてツルツルしているのが微笑ましかった。飛騨千光寺、ちょっと行ってみたくなって調べてみたら、高山駅からはタクシー(20分)しかないようだ。うーん、難しい。

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今年も陶芸と刀/中国の陶芸展(五島美術館)

2025-03-01 22:26:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵『中国の陶芸展』(2025年2月22日~3月30日)

  漢時代から明・清時代にわたる館蔵の中国陶磁器コレクション約60点を展観する。同館は、この数年、春先は『中国の陶芸展』というスケジュールが定着しているようだ。私は昨年は見逃したが、一昨年は見ている。特に新しい作品は加わっていないが、名品は何度見ても新鮮なので問題ない。

 午前中で、まだお客が少なかったせいか、展示室が広々して気持ちよかった。展示ケースの床には黒いビロードのような布を敷き、白い四角形のベース上に展示品を置く。壁にはバナーや説明パネルの掲示が一切ない。展示室全体が黒と白のシンプルなしつらえなので、展示品の色がとても映える気がした。冒頭の『瓦胎黒漆量』(戦国時代)の艶やかな黒茶色もよいし、展示順としては最後にあたる『茶葉末瓶』(乾隆年製銘)の渋い深緑色にも目を奪われた。解説によれば、「茶葉末釉」というのは鉄釉の一種で、ほぼ茶色(褐色)に見えるが、乾隆年間のものは、緑がかっているので、水から出たばかりの蟹の甲羅の色になぞらえて「蟹甲青(かいこうせい)」と呼ぶのだそうだ。

 入口近くの単立ケースには、いつものとおり『青磁鳳凰耳瓶(砧青磁)』(南宋時代)と『白釉黒花牡丹文梅瓶(磁州窯)』(宋時代)。前者は、あまり日本では見ない、スケールの大きいどっしりした青磁瓶、後者は黒の面積が大きいところがお洒落なんだと思う。今季のチラシ・ポスターは、この梅瓶を白とピンクで表現し、黄色の文字を添えるというモダンアートみたいなデザインで、とても気に入っている。

 前回気になった『月白釉水盤(鈞窯)』が出ていることを確認。今回は『青磁鉢(龍泉窯)』(明時代)に目が留まった。口径28.5cmというデカさだが、かたちは普通のどんぶりなのだ。解説によれば、箱の貼紙(誰が書いたんだろう)に「鉄鉢」「丼」「深鉢」とあり、鉄鉢とは托鉢僧が使う鉢の意味だという。しかし持ち歩くには重そうで、やっぱり仏前の供え物に使ったのではないかと思う。

 コレクションの後半は、明時代・景徳鎮窯のやきものが大半を占める。青花あり、五彩あり、赤絵・祥瑞あり。豪華な金襴手は、確かに素晴らしいのだけど、ああ台湾の故宮や国立歴史博物館でも見たな、と思ってしまった。むしろ赤絵や祥瑞のゆるい魅力こそ日本のコレクションの神髄なのではないかと思う。『青花蜜柑形水指(祥瑞)』に描かれたサルとシカ、大好きだ。

 第2展示室は館蔵「日本の名刀」特集。展示ケースの床に畳を敷き、刀掛け台を白い布で覆い隠した展示方法がおもしろかった。私は刀剣は全く分からないのだが、直刃の『短刀(銘・國光)』の姿にはちょっと惹かれた。

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歴史画いろいろ/武士の姿・武士の魂(大倉集古館)

2025-02-24 22:17:54 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 企画展『武士の姿・武士の魂』(2025年1月28日~3月23日)

 本展第1章では江戸時代から昭和にかけて武士の姿を描いた作品と、霊威をもち武士の魂として大切にされてきた刀剣を展示、第2章では、武力や権力の象徴であり、威信財でもある鷹を描いた作品を取り上げ、鷹図が武士の表象としてどのように描かれ、荘厳され、利用されたかを探る。

 冒頭に佐藤正持(1809-1857)という画家の『本朝歴史絵』という画集から「宇治川合戦」の図が開いてきた。怪力無双の畠山重忠が、溺れかけた味方の武士を掴み上げ、対岸に投げ飛ばして救う場面。馬上の重忠が片手で高々と掲げた武士は、腹を下にエビ反った姿勢で投擲を持っている。重忠、カッコいい。佐藤正持は、日本神話や歴史上の出来事などを多く描き、市井で衆人に見せて日本精神の高揚を図ったそうで、勤皇画家とも紙芝居の元祖とも言われるらしい。今どきはあまり流行らない感じだが、おもしろい。

 『虫太平記絵巻』(江戸時代)はたぶん何度か見た記憶があった。描かれた登場人物は、男も女もみんな頭に虫を載せている(昆虫だけでなく、蛇やトカゲも虫)。北条高時はクモで、田楽を踊る天狗たちも、後醍醐天皇らしき人物も虫を載せていたが、虫に貴賤とか善玉悪玉の感覚はあったんだろうか。

 そして大好きな前田青邨の『洞窟の頼朝』。描かれた甲冑は、国宝の鎧数点を参照しており、時代に合わないものも描かれていると解説にあった。甲冑に注目してしみじみ眺めると、実に紐だらけであることに気づく。兜の緒や腰紐(繰締の緒)はもちろん、籠手の脇の下とか履物とか、あらゆるところを紐で締め、結んでいるのだ。脱ぎ着は大変だろうなあと思ってしまった。なお、武蔵御嶽神社所有の国宝『赤糸威大鎧』(原品は平安末期、畠山重忠奉納)の複製品が来ていて並んでいた。東博にもあったと思うが、本展では千葉県立中央博物館所蔵の複製品である。

 もうひとつ楽しみにしていた安田靫彦『黄瀬川陣』がないと思ったら、後期(2/26~)の展示だった。そして『随身庭騎絵巻』も後期なのか~。これはもう一回来なくては。そのかわり、小山栄達(1880-1945)『吉野山合戦』という、少しあやしい雰囲気の歴史画を見ることができたのでいいことにしよう。このひとは「講談社の絵本」で加藤清正や菊池武時の挿絵を描いている。

 2階展示室は、久隅守景の『賀茂競馬屏風』に始まり、鷹狩図、架鷹図など。東博や摘水軒記念文化振興財団から多数の作品が出陳されていた。摘水軒の『洋犬・鷹図』は、たぶん春の江戸絵画祭りかどこかで見た記憶があった。変わった作品だったのは阪昌文『鷹狩犬図・鷹匠図』3幅(東博)。阪昌文(さかしょうぶん)は連歌師で、この3幅対は絵のほかに鷹狩に関する古典語彙がびっしり書き込まれた用語辞典になっている。東博、こういう面白い作品をもっとどんどん展示してほしいなあ。

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花木とともに/花器のある風景(泉屋博古館東京)

2025-02-20 21:10:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『花器のある風景』(2025年1月25日~3月16日)

 住友コレクションから花器と、花器が描かれた絵画を紹介し、同時開催として、 華道家・大郷理明氏より寄贈された花器コレクションも展示する。ちょっと珍しい視点の展覧会だけど、果たして楽しめるかな?と半信半疑で出かけた。

 第1展示室には、江戸~近代の花器が描かれた絵画を展示。村田香谷『花卉・文房花果図巻』には、中国の文人好みのさまざまなうつわ(磁器や古銅や竹籠、ガラスの器も)に彩り豊かな花と果物を自由に盛り付けた姿が続々と並び、豊かで満たされた気持ちになる。藪長水『玉堂富貴図』、原在中・在明『春花図』など、展示作品は中国趣味多めで、必然的に牡丹が多めなのは、大阪の大商人・住友コレクションの特色なのかな。たとえば江戸の庶民には、牡丹ってどのくらい身近な花だったんだろうか?

 竹内栖鳳・神坂雪佳の共作『曼荼羅華に籠』は、質素な蔓籠に白いチョウセンアサガオが一輪載っていて、和風な趣きを感じた。椿椿山の『玉堂富貴図』は大好きな作品。元来、玉蘭(白木蓮)・海棠・牡丹の組み合わせを描く中国趣味の画題だが、藤など独自の花を加え、淡彩でまとめた清新な画風は独自の境地を感じさせる。そのほか、確かによく見ると画面の隅に花器が描れている作品が挙がっていて、よく見つけたなあと苦笑してしまった。

 第2展示室には、茶の湯の花器を展示。青磁、古銅、竹の一世切などがストイックに並ぶ。しかしこれらは本来「花入」なんだよなあ…と思い返して、花を生けた状態を頭の中で想像してみる。青磁や古銅の花入には、やっぱり牡丹、あるいは椿、サザンカなど、大ぶりで色鮮やかな花を盛り盛りに飾り付けてみたい。舟形の釣花入には、朝顔や桔梗が似合いそう。中には鶴のように首が細かったり、口が狭かったり、何をどう生ければいいのか悩む花器もあった。

 第3展示室は「大郷理明受贈コレクション」の花器。19世紀後半~20世紀に制作された金属製(青銅、朱銅、白銅などの種類がある)の花器60件ほどが並んでいて壮観だった。実際に使われた状態の写真ネルが6~7件掲示されていて、それを見ると花器の3倍から5倍くらいある高さの花木を生けている。松とか梅とか、自立する強さを持った植物が多い。そして、植物を固定している水盤は驚くほど浅いのだ。生け花って、極限的に人工的な芸術なんだなあと実感した。

 私は雑に投げ入れたような花と花器のほうが安心する。梅原龍三郎の『餅花手瓶薔薇図』『壺薔薇』は、どちらも東アジアふうの磁器の花瓶に、西洋の花である薔薇を山盛りに投げ込んだ感じ。こういう自然な雰囲気のほうが好みである。

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