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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

台湾旅行2019-20【2日目続き】台北賓館、台湾国立博物館、迪化街

2020-01-01 23:29:30 | ■中国・台湾旅行

 台湾近代建築の旅(今回のテーマ)は始まったばかり。総統府の南側にある司法大廈(写真)、その向かいの台北市立第一女子高級中学は外観だけ。

 続いて台北賓館(旧・台湾総督官邸)を見学する。月1回、総統府の休日見学日に合わせて一般開放日が設けられているという情報をつかんでいたのだ。外観は重厚な雰囲気。屋根はスレート瓦ではないか。

 中に入ると、白と金の壁、豪華なシャンデリア、深紅のカーテンと絨毯、ステンドグラスなど印象が一変する。ここは総督府官邸であると同時に迎賓館を兼ねていたとのこと。皇太子時代の昭和天皇もここに宿泊したことがある。日本庭園もあり。

 最後に建築の沿革・特色を紹介するビデオを見ることができて、台湾の建築学の先生による詳しい解説が面白かった。

 台北賓館の北側、台湾大学附属病院(台大医院)は外観のみ。今回の旅の指南書である片倉佳史先生の『台北・歴史建築探訪』に「参観は自由にできる」と書いてあったけど、敷居が高くて足を踏み入れる勇気が出なかった。ここは森鴎外の長男・森於菟が医学部長をつとめたゆかりの地でもある。同じエリアに「台大医学人文博物館」があるという情報も得ていたのだが、「台湾大学博物館群」のページに祝日は休館とあったので、次の機会を待つことにした。

 続いて二二八和平公園の中にある国立台湾博物館へ。

 ここも約20年前に来たことがあるはずだがよく覚えていない。今回はもっぱら建築意匠に注目。かつては「児玉(源太郎)総督及び後藤(新平)民政長官記念館」と呼ばれた博物館。ドーム天井のステンドグラスには児玉家の家紋「軍配団扇」と後藤家の家紋「下がり藤」が用いられているというのは片倉先生の著書による。

 階段や回廊の腰壁は大理石だと思う。台湾は大理石の産地だが、この建物に限っては全てイタリアから持ち込まれた舶来の大理石が用いられたというのも同書による。

 3階では「発現台湾-重訪台湾博物学与博物学家的年代」という特集展示をやっていて、全く知らなかった日本人の博物学者・人類学者が多数紹介されていて面白かった。日本統治時代を否定するわけでもなく「日本人に感謝」みたいな文脈でもなく、そのひとのルーツにかかわらず、個人の実績を公平に顕彰するスタンスに感じられた。

 道路を挟んで向かい側にある土銀展示館にも入った。メインホールは高い天井を利用して恐竜や古代生物の骨格展示が行われており、「台湾土地銀行」に関する人文歴史的な展示が併存してカオスな状況になっているが、どちらも面白かったけど、いつからこんなふうになったんだろう。

 続いて迪化街へ。何度も歩いているエリアだが、片倉先生の本の地図をたよりに、敢えてメインルートを外れる歩き方をしてみる。延平派出所(旧・太平町2丁目派出所)は二二八事件ゆかりの場所でもある。

 森高砂珈琲店。二二八事件紀念碑に近い交差点にあるので、何度か前を通っている。

 永楽市場に寄り道したが、元旦でほとんどの店が閉まっていた。淡水河に近い裏通りにある李春生紀念教会。現在は観光ルートを外れているが、かつてはこの周辺こそ台湾随一の繁栄を誇っていたという。

 陳天来故居(錦記茶行)。かつての豪商の邸宅。ほとんど人通りのないさびれた裏通りだが、この建物を興味深げに覗き込んで、写真を撮っている若いカップルがいた。

 大稲埕碼頭で夕暮れの淡水河を眺め、民生西路を東へ戻って、新芳春茶行に寄る。最近、大規模なリノベーションをしたらしくて、古い建築の雰囲気はあまりなかったが(道路の反対側から全景を眺めればよかったのかもしれない)、店内は茶器や製茶業に関する展示が行われていて面白かった。

 仁安医院。古い病院建築だというが、全然気づかずに通り過ぎてしまい、振り返って初めて認識した。

 これで予定の行程は終了。実によく歩いた元旦だったが、まだ終わらない! このあと、初めて「士林夜市」に行って夕食にした。(1/5記)

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台湾旅行2019-20【2日目】総統府見学

2020-01-01 10:42:13 | ■中国・台湾旅行

 2020年元旦。台北の天気は、どんよりした曇り空だが、幸い雨は落ちていない。台湾は旧暦で新年を祝うが1月1日だけは国定の休日。ただしこれは新暦の元旦を祝っているのではなくて「中華民国開国記念日」であることは、ネットで調べて初めて知った。

 ホテルで朝食をとり、今日の目的地、総統府へ向かう。実は今年の台湾旅行を年末ではなく正月にあわせたのは、元旦の総統府見学会に参加するためなのだ。見学時間は9時からとあったので、20分前くらいに到着すると、建物の裏側(西側)の博愛路に北から南へ長い列ができていた。

 「憲兵」の黄色いジャンパーを来た職員が手際よく見学者を誘導する。日本人は少なかったと思う。入場時に日本のパスポートを見せると「コンニチワ~ヨウコソ~」と応じてくれた。和気藹々としたムードだが、銃を構えて警備にあたる職員もいた。

 本来の見学ルートは来賓用の正面玄関から建物に入るらしいのだが、混んでいる時間だったので脇の入口から中に入れてくれた。まずは総督府の正面中央のエントランスホールと大階段。正面には孫文の胸像。ドーム型の天井、白亜の壁が清潔で美しい。職員の方が見学者ひとりひとりに赤い巻紙を手渡す。蔡英文総統と陳健仁副総統による「春聯」である(→画像)。

 階段を上がって3階へ。通りすがりの部屋の入口に「恭賀新禧」の春聯が貼ってあり、小さく「蔡英文、陳健仁」の署名が添えてあった。

 3階のメインはこの「大礼堂」。正面には国旗と孫文の肖像。白い壁とふかふかの赤い絨毯の対比が印象的。政府の主要行事や国賓をもてなすパーティに使われるホールだが、置いてある椅子に勝手に座っても全く怒られないのが太っ腹。

 なお、翌日1月2日の朝、台湾では軍用ヘリのブラックホーク(黒鷹)が墜落し、参謀総長ら8人が死亡するという大事故があった。そのニュースで、参謀総長の沈一鳴氏が蔡総統から任命を受けたときの映像が何度も流れていたのが、まさにこの礼堂でのセレモニーだった。

 隣りの「台湾虹庁」は政府主催の宴や報道陣とのインタビューが行われる部屋。ここまでは月1回の休日見学会(元旦に限らない)でのみ入れるエリア。

 続いて1階へ。1階は平日見学(月~金)でいつでも入れる展示エリア。建築の特色・沿革や総統府の日常、写真や絵画など、多様な側面から総統府を紹介する。畏れ多くも勲章や玉璽も。「中華民国之璽」は緑玉(ヒスイ?)に刻まれているのだな(展示は複製)。

 一方で「総統府にはさまざまな職員が働いています」という観点から、制服、自動車修理工具、植木バサミ、食器なども展示されていて面白かった。カリグラファー(書道家)も雇用されていて、重要な社会的イベントにおいて総統や副総統の代筆をつとめるのだという。右筆だなあ。

 また「人民の声を聴く」と題したセクションでは、デモや政治運動の数々が写真パネルで紹介されていた。1990年の野百合学生運動、2014年のひまわり学生運動、そのほか、動物愛護、女性運動、LGBTパレードなども。いまの民進党政権だからできることだと思うが、これには本当に驚いた。展示導入部のキャプションを(正確に訳せないので)書き留めておく。

「人民聚集在総統府前広場/透過集体的力量表達訴求/参与公共事務、推動社会改変/這些喧嘩而多元的声音/表現了台湾的民主/也体現了人民的力量」

 たとえば日本の政府官邸が安保法制の反対運動をこのように紹介することは考えられないものなあ。

 中庭の回廊の壁には、総統府をモチーフにしたアート作品の数々。この蔡英文総統執務の図は、いくらなんでも萌化しすぎだと思うが、ファンアートなので許して。

 総統府公式では、総統も副総統もこんなドット絵になっている。これは総統就任時の記念切手をそのままタイルにしたもの

 見学出口にはこんな大型パネルがあって、片手を上げて執務室から身を乗り出す蔡総統、窓枠に座る陳副総統と写真が撮れる。愛されているなあ。

 総統府は、約20年前の初・台湾旅行でも見学した記憶があるが、何を見たかはあまり覚えていない。民進党の陳水扁氏が総統になったばかりの頃だったが、まだこんな開放的な雰囲気はなかったと思う。英語で案内してくれたボランティア(?)の方が「私は李登輝さんが大好き」と言っていたことだけ覚えている。

 次は台北賓館へ。(1/5記)

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台湾旅行2019-20【初日】羽田→台北

2019-12-31 17:48:06 | ■中国・台湾旅行

 2017年、2018年と連続して12月に台湾旅行に出かけていた。ちょうど仕事が一段落して、休暇が取りやすい時期なのである。今年もそのつもりで考えていたのだが、ちょっと趣向を変えて、大晦日から1月3日まで日本を離れることにした。

 大晦日の昼過ぎに羽田を発ち、台北松山空港着。忠孝新生駅近くのホテルにチェックイン。東京よりかなり暖かいが、風が強く、傘をさそうか迷う程度の小雨がパラついている。初日は移動だけのつもりだったが、まだ時間が早かったので、いつもの龍山寺にお参りに行く。たくさんの善男善女が集まっていた。

 地下鉄の出口付近には、古めかしい風景に似合わない看板。「台北超動漫(台北スーパーアニメーション)」というイベントが12/15まで開催されていたようだ。見たかった。

 龍山寺ではいつもおみくじを引くのを楽しみにしているのだが、この日は、いちばん奥の関帝廟でもおみくじが授与されていることに初めて気づく。引いてみたら「馬伏波征蛮」の「中平」が出た。「君是山中萬戸侯/信知騎馬勝騎牛/今朝馬上看山色/争似騎牛得自由」。解に「要作惺惺成懞憧/誰知懞憧作惺惺/多生巧計須成拙/守己方纔事稱心」という。ネットで調べると、多様な典拠に基づく解説ページ(中国語)がいろいろヒットするが、今ひとつ意味が分からなかった。「馬伏波」は、伏波将軍と呼ばれた馬援のことでよいのかな。中国神籤の世界は奥が深い。

 夕食は新光三越のフードコートで。天気があやしいので早めにホテルへ戻る。テレビをつけたら「延禧攻略」やら「軍師聯盟」やら、古いバージョンの「天龍八部」やら、私の好きな古装ドラマがたくさん放映されていて、時間を忘れて見続けてしまった。深夜0時、ホテルの裏のマンションから、控えめな花火(?)の音と「新年快楽~」という子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきて、年を跨ぐ。

(1/5記)

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江南2019【おまけ】ツアーあれこれ

2019-05-09 22:04:37 | ■中国・台湾旅行

 今回のツアー旅行、参加者は14名で、半数はリタイア世代(60歳超)と思われた。70代後半くらいの元気なおばあさんは、中国語教室に通っているとのこと。中国語教室では「フーリンモー」を見ていると聞いて、一瞬、何のことかわからなかったが、ドラマポータルの「楓林網」のことだった。いま『重耳傳奇』と『封神演義』を見ているという。本国でも配信中の最新作ではないか、と驚く。

 もうひとり、70歳前後のおじいさんが古典園林の写真を撮りながら、盛んに「DVDを思い出すなあ」というので、「何のDVDですか?」と聞いたら、『月に咲く花の如く』というドラマを見ているという。『那年花開月正圓』のことだ。思わず、私も見ました、好きですよ、と応じたら、「おれ、2周目なんだよ」と大喜びされた。日本の高齢世代の中国への接し方もずいぶん変わってきている様子。

 中国の生活ぶりで、一番驚いたのは漢服の流行。噂には聞いていたが、ほんとに流行っていた。満洲族の旗袍に由来するチャイナドレスではなくて「漢民族の伝統的な民族服」だという。正確にどの時代のものかよく分からないが、日本人から見ると、七夕の織姫や竜宮城の乙姫のイメージに近い。ゆったりしているので、普通のワンピースやセーターの上から羽織ってもサマになるのがいいと思う。

  丫頭スタイルの小さな女の子。かわいい。

 ためしに楽天サイトで「漢服」を検索したら、5,000円以下で購入できるものが多数。ちょっと本気で欲しい。私が着ると、滅絕師太みたいになるだろうけど。

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江南2019【7日目/最終日】杭州→上海→羽田

2019-05-04 23:26:22 | ■中国・台湾旅行

 最終日は予定を早めて朝7時に杭州のホテルを出発し、3時間弱で上海・浦東空港に到着した。ガイドの陸さんとドライバーの施さんにお別れする。なお、かつては省を超えるたびに車を交換していた時代もあったが、近年は「省際包車」の表示でOKになったみたい。

 帰国便に搭乗し、指定の席に座って出発を待っていると、CAさんが近づいてきて「Today is your birthday?」と聞く。Yesと答えると、東方航空の封筒を渡された。機長とパーサーのサイン入りHappy Birthdayカード。飛行機のかたちをしているのが可愛い。こんなの初めてで嬉しかった。

(5/8記)

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江南2019【6日目】杭州→烏鎮→杭州

2019-05-03 22:53:17 | ■中国・台湾旅行

 中国は4連休の3日目。我々は杭州を出て、江南六大水郷古鎮のひとつ、鳥鎮へ日帰り観光に向かう。ちなみに江南六大水郷とは、周荘、甪直、同里、南潯、西塘、烏鎮を言うそうだ。2004年の江南旅行では同里を訪ね、楽しかった記憶があるので期待していた。

 同里のときと同様、まず烏鎮景区(烏鎮西柵景区だと思う)に入るのに入場券が要る。そのあとは、ぶらぶらするのもよし、遊覧船に乗るのもよし、民俗博物館など、いくつかの有料施設を見学するのもよし、ということになっている。

 しかし古民家群の間の細道はラッシュアワー並みの混雑で、ガイドさんと添乗員さんからは「団体行動します。絶対離れないでください」という厳しい注意の繰り返し。美味しそうなお菓子も見かけたが、気軽に買い物することもできなかった。あと、何も予習していなかったので、茅盾記念館があって驚いた。小説家・茅盾(1896-1981)は、烏鎮の富家の生まれなのだそうだ。

 観光用の藍染工房。展示室、商店もある。

 なお、烏鎮という名前に引っかかるものがあって、あとで調べたら、烏鎮には、その名の由来となった烏将軍廟があるらしい。この烏将軍は実在した人物らしいが、小浜の博物館で烏の顔をした「烏将軍像」を見たときに、いろいろ調べて烏鎮の地名に行き当たったことがあるのだった。今回、烏将軍廟は訪ねなかった。

 再び杭州へ帰着。まだ見ていなかった西湖の風景をようやく目にする。遊覧船で西湖遊覧。水面を渡る風がひんやりして気持ちよい。夏ではないので、蓮の花がないのが残念だが、柳の緑の美しさは最高である。

 名勝・三潭印月。

 ツアー最後の夕食は、西湖の眺めも楽しめる杭州随一の名店・楼外楼。2004年もここに来ているはず。

 昨日に続いて、再び乞食鶏(叫化鶏)をいただく。東坡肉も美味しかった。日本人ツアーに慣れたガイドさんで、一皿の量を少なめにし、料理の種類を多めにしてくれているのがありがたかった。なお、ツアーを通じてビールは1本30元。むかしはレストランで20元、街で買えば3元ということもあったので、物価の上昇ぶりがよく分かる。

 楼外楼の隣りは篆刻専門の学術団体西泠印社。前回はここで朱肉を買ったなあ。

  これで観光終了。ホテルに戻ったあと、「前の道を10分くらい歩くと西湖です」というので、買い物がてら散歩してみた。銀座か渋谷かというような繁華街で、高級ブランドショップばかり目立って、私の行きたいスーパーマーケットはなかった。10分ほどで、確かに西湖の岸辺に到着したが、水芸とイルミネーションを組み合わせたショーが行われていて、全く岸辺に近づけない大混雑である。10分ほどすると、ショーが終わって人々が散り始めた。日本の花火大会の後のようだった。杭州にも地下鉄がつくられ、高速鉄道と結ばれていることが分かった。これは杭州も個人旅行が可能かもしれない。中国の変化を目の当りにした今回の旅行だった。

(5/8記)

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江南2019【5日目】無錫→蘇州→杭州

2019-05-02 23:32:08 | ■中国・台湾旅行

 5月2日。ガイドさんの話では、昨日の中国は4連休の初日で、まだ家でのんびり休む人が多かったが、今日から本格的に出かける人が増えるのではないかという。朝は太湖の内湖である蠡湖(れいこ)のほとりの公園を散策。そのあと、無錫名産・淡水真珠と真珠クリームの専門店に立ち寄る。海水真珠は1つのアコヤ貝に1粒しかできないが、淡水真珠は1つのカラス貝からたくさんの粒が採取できる、という説明をしながらカラス貝を割ってくれる女社長。

 たぶん2004年にもこの店に来ていると思う。前回は何も買わなかったが、今回は真珠クリーム10個(昼用・夜用5セット)1万円をツアーの仲間たちと分け合って購入し、私は2セット持ち帰った。

 昨日に比べると、確かに車と人の数が目に見えて多い。高速道路はスムーズに流れていたが、高速の入口や一般道はかなり渋滞していた。蘇州では、古典園林のひとつ耦園(ぐうえん)を観光。ここは掘割に囲まれた蘇州古城の東の端にあり、混雑している(であろう)城内に入らなくてもアクセス可能で、大型バスでも立ち寄りやすい立地。蘇州園林としては比較的新しく、清代末期の官僚・沈秉成(1823-1895)の私邸。園内の混雑は写真のとおり。

 園内には蘇州の伝統芸能が楽しめる舞台もある。リクエストは1曲50元から80元くらい。ガイドさんの選曲で3曲演奏してもらった。ガイドさんは「評弾(ひょうだん)」と呼んでいたけれど、語りはなく、琵琶を演奏する女性が歌ってくれた。

 耦園の外周を歩いているとき、水の都・蘇州らしい風景に一瞬だけ出会えた。

 そして耦園から徒歩数分の距離にある京杭大運河蘇州段を観光。蘇州旧城のすぐそばにあり、外城河とも呼ばれている。

 昼食は名店・蘭莉園大酒店へ。旧城の北西、虎丘山風景区のあたり。本来なら耦園から車で20分程度の距離だが、大渋滞で1時間以上かかってしまった。途中、高速鉄道の蘇州駅前を通り、さらに地下鉄があることを発見した。調べてみると、蘇州駅を通る南北ラインは旧城の外側を通っているが、これと交差して旧城を貫く東西ラインもある。うまく使えば、上海を起点に蘇州個人旅行ができそうである。

 蘭莉園の松鼠桂魚(桂魚の丸揚げ甘酢あんかけ)は美味しかった。また食べたい。

 

 蘭莉園併設のシルク店でもショッピングの予定だったが、時間が押してしまったので、ショッピングは中止。遅い昼食が終わると、杭州を目指す。杭州までも高速はスムーズだったが、高速を下りてから、西湖風景区にある百合花飯店にたどりつくまでが一苦労。最後はガイドさんの判断で、侵入禁止路を使って近道したらしい。公安に見つかったら、運転手さんではなくガイドさんが罰金を払うという約束で。中国らしくてよい。

 メインディッシュは杭州らしく、蓮の葉でくるんで蒸し焼きにした乞食鶏(叫化鶏)。最後に添乗員さんが「サプライズで~す」とケーキを持ってきてくれた。実はツアー最終日が私の誕生日で、最終日だから何もないだろうと思っていたら、2日早いバースディケーキを用意してくれたのだ。ちょっと生クリーム多めで辟易したが、そんなに変な味ではなかった。フルーツたっぷり。中国のケーキも進化したものだ。

 食後は2度目のオプショナルツアー「宋城千古情ショー」を見に行く。会場である宋城景区(テーマパーク)には複数の劇場施設があって、「麗江千古情」「三亜千古情」など各地の歴史と民俗を題材にしたショーが掛けられている。我々の見た「宋城千古情」は超満員。映像、アクション、歌舞音曲を組み合わせた豪華なショーで見応えがあった。中東ふうのダンスやアリランも混じっていたが、世界帝国だから違和感なし。

 

 宋城景区には、むかしの街並みを模したレストランや商店もあって、そぞろ歩くだけでも楽しい。古装(漢服)の貸出もしていて、レンタル着物で京都を歩く女子高生みたいな気分か。

 充実した長い1日がようやく幕。

(5/8記)

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江南2019【4日目】揚州→無錫

2019-05-01 23:28:49 | ■中国・台湾旅行

 2019年5月1日。令和元年の初日であるが、何も変わりなく旅行は続く。今日から中国も4連休が始まるため、添乗員さんとガイドさんは、観光地の混み具合を気にしてピリピリ。揚州観光は早めにスタートし、朝8時半から痩西湖の遊覧船に乗船した。水際の柳はやわらかな緑を風にそよがせ、ふわふわと柳絮(綿毛のような種)が舞う。あとポプラの綿毛も舞っていた。「煙火三月揚州に下る」には少し遅いが、江南らしい風景。写真は五亭橋。

 揚州市の市花でもある瓊花(けいか)は、少し盛りを過ぎていたが、まだポツポツと咲いていた。ガクアジサイに似ている。五弁の花のかたちのまま、草むらに点々と落ちているのがきれいだった。奈良・唐招提寺の鑑真和上の墳墓のそばにも瓊花が植えられていたことを思い出す。年々見る故里の花は、何よりも嬉しいことだろう。

 その鑑真が住職をしていた古刹・大明寺。鑑真記念堂は唐招提寺を模して造られたとのこと。

 この角度から見るほうが、唐招提寺らしさを感じさせる。堂内には、鑑真和上像の複製(御身代わり像)が安置されている。

 復元された栖霊塔には、希望者のみ追加料金を払って登頂した。9層までエレベーターがあるが、9層は立入不可、8層は仏殿になっており、拝礼の儀式に参加しなければならないので時間がかかる、と言われたので、7層で眺望を楽しむ。そのとき、ふと記憶がよみがえってきたのは、2004年の江南旅行で、まだ製作途中の仏像が安置された高い塔に登った記憶がある。もしやここではなかったか。

 揚州ではもう1カ所、清代の両淮総督にして塩商人だった黄応泰の邸宅「个園(個園)」を観光。竹を目と耳(葉擦れの音)で楽しむ庭園である。中国の竹は日本の竹より華奢で女性的な美しさがある。「竹」を字を半分に割ると「」なのでその名前があるそうだ。

 敷地内に、中国の古楽器・琴を扱う小さなお店が軒を連ねているのも風情があって、いい感じだった。もっと人の少ないときに来て、ゆっくりしたいところだ。

 昼食後は揚州を後に無錫へ移動。明日の予定だった南禅寺を観光する。南朝・梁武帝の創建というが、古い建造物は残っていない様子。浅草みたいに賑やかだった。

 そして無錫泊。無錫は江蘇省ナンバー1の豊かな大都市という話だったが、ホテルはやや中心部を外れていて、まわりに何もなかったので出歩けず。

(5/7記)

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江南2019【3日目】揚州→南京→揚州

2019-04-30 22:22:09 | ■中国・台湾旅行

 3日目は晩めの出発だったので、朝食後、ホテルの隣りの公園やその向かいの大きなスーパーマーケット(朝8時開店)をぶらつく。公園には、目つきの鋭い男の先生を囲んで太極拳をする女性グループ。スーパーは食品も日用品も豊富で楽しかった。

 面白かったのは、出勤・登校する人々の姿。まだ肌寒い季節、8~9割の人が、バイクや電動自転車の前面に「掻い巻き」のような防寒具を取り付けている。あまりカッコいいとは言えないが実に合理的。

 今日の予定は南京へ日帰り観光。揚州から南京は車で1時間半。ガイドさんの話では、江蘇省の「南京は大阪、揚州は京都、鎮江は奈良」みたいな関係で、この3都市をまとめて観光することは多いそうだ。途中、龍池のサービスエリアでトイレ休憩。個室の壁に「来也匆匆、去也冲冲」というステッカーが貼ってあるのを見て噴き出してしまった。「来也匆匆、去也匆匆」のもじりなんだけど巧い。そして頭の中では当然のように「刀剣如夢」の軽快なメロディが再生される。

 と思ったら、トイレを出て立ち寄ったコンビニでは、ちょうど「刀剣如夢」(ドラマ『倚天屠龍記』のOP曲)が流れていて、ひそかにテンションが上がった。なお、「来也匆匆、去也冲冲」(入るときは素早く、出るときは流す)という標語は、中国のあちこちのトイレで使われていることに、今回、初めて気づいた。

 南京ではまず中山陵を観光。とにかく人が多い。

 

 次に明王朝の初代皇帝朱元璋の陵墓である明孝陵。朱元璋は、ドラマ『大明帝国 朱元璋』を見て以来、胡軍の顔でしか思い浮かべられなくなった。いま見ている『倚天屠龍記』にも登場するんだよなあ、とにやにやする。ここも何度か来ているが、石積みの土台の上の建物は近年の増築だというから、前回はなかったかもしれない。

 明孝陵の印象は、むしろ人や動物の石像の立ち並ぶ「神道」のほうが強い。しかし、今回は電動カートに乗せられて、全長600メートルほどの神道と並行する道を一直線。揺れるカートの上から撮れた写真は獅子(?)のお尻のみ。疲れないし、時間の節約になるのだろうけど残念だった。

 最後に宋美齢ゆかりの美齢宮を観光して、揚州のホテルに戻った。

(5/7記)

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江南2019【2日目】上海→鎮江→揚州

2019-04-29 00:19:05 | ■中国・台湾旅行

 2日目は半日かけて上海から鎮江まで一気に移動。専用車(大型バス)の運転手の施さんは年配客に親切な若者だった。上海からスルーガイドの陸さん(男性)が同行。なお、江蘇省の鎮江、揚州、南京では、それぞれローカルガイドさんが加わった。鎮江までの中間地点、常州のサービスエリアでトイレ休憩。ここは近くに「中華恐竜園」というテーマパークがあるので、サービスエリアも全体にジュラシックパーク仕様。

 鎮江では小雨のパラつく中、金山寺へ。小高い丘(金山)の上に立つ慈寿塔に向かって、黄色い壁に囲まれた巡路を登っていくと、前回来訪の記憶がよみがえる。私は2004年にも、今回とだいたい同じ江南の各都市を訪ねているのだ。なお2004年の江南旅行の記録は、最近まで別のサイトに公開していたが、今年4月にそのサイト(geocities)が終了になったので、このブログ内に取り込んである。

 金山寺が「白蛇伝」の舞台であることは、鎮江のローカルガイドさんが何度も強調していた。むかしから物語の梗概は知っていたけど、2016年に見た京劇公演を思い出して、感慨深かった。それから、前回の記憶にない発見もいろいろあった。これは境内の堂宇内にあった読書室(読経室)。静かに書物を開いているおばあさんがいた。

 昼食後は古西津渡街(宋街)を散策。長江に面した、むかしの港(渡し場)の跡で、平地から小高い丘の中腹に向かって石造りの街並みがきれいに整備されている。レストランやホテルが並ぶ平地一帯は、ガイドさんによれば「もとは工場の敷地でした」とのこと。当地の開発については「鎮江市西津渡街における観光開発に関する一考察」(張彗娟)という論文(日本語)をネット上で読むことができ、興味深い。左右の観光商店をのぞきながら石段をしばらく上がると、T字型に交差した細道が、丘の中腹に張り付くようにうねうねと続いている。突然、視界に入ったのは、石積みのアーチの上の白塔。「昭関」の文字が見える。

 これ!2004年にも確実に見た白塔である。↓下は2004年の写真。あまり変わっていない。もっとも上の写真は、観光客のいない一瞬の隙をねらって撮ったもので、実際は、ひっきりなしに観光客の波に襲われていた。

  さらに進むと、鎮江博物館の商店があり、鎮江名産の黒酢に加え、こじゃれたミュージアムグッズなどを置いていた。道の突き当りの右側には鎮江博物館の本体が。2004年には大々的な改修工事中だった建物である。懐かしい。

  そして、2004年にはこの細道「小碼頭街」をずっと歩いたことを思い出した。来た方向に戻っていくと、うねうねと続いている。かつてはもっと生活感にあふれた通りだったと思うが、現在は観光客相手の商店が左右に軒を連ね、古い外観にもかかわらず、バッグや洋服など、現代的な高級品を置いている店もあった。

 中にはこんな店も。「江南一絶 洪七公叫花鶏」。それは杭州名物だろ!なんて、かたいことは言わない。

 さらに三国志ゆかりの北固山へ。孫権の妹・尚香と劉備の婚儀にちなむ古甘露寺がある。また孫権と劉備が刀で切ったとされる試剣石が入口にあったと記憶していたが、今回は立ち寄らず。山上の楼閣から焦山(今回は観光に含まれず)とその塔を遠望する。またいつか来られるといいなあ。

 これで鎮江の観光を終え、揚子江を北岸へ渡って、今夜の宿泊地である揚州へ。夕食後、オプショナルツアーである「春江花月夜ショー」鑑賞に参加する。このツアーには揚州と杭州で2回のオプショナルツアーが用意されていて、どちらか1回は行ってみようと思っていたのだが、参加者の中に中国のエンターテイメント大好きなおじさんがいて「それは両方行くべきだ!」と強く勧められ、2つとも行くことにしてしまった。今夜のショーは痩西湖公園の野外劇場で行われる。専用車で劇場へ向かう途中、いくつか気になる建造物を車窓から眺めた。いずれも2004年の旅行で見た記憶のあるもの。

 道路の中央分離帯にある石塔。確か唐代のもの。

 文昌閣。これは別の日の写真。

 たぶん四望亭。前回はオーダーメイドツアーだったが、今回は旅行社企画ツアーなので、ちょっと寄り道して!というような気楽な注文はできない。史跡の存在を車窓から確認できただけでも幸運とする。

 さて「春江花月夜ショー」は、揚州の歴史や文学を題材にしたもので、まあまあ面白かったが、この日は小雨のパラつく肌寒い日で、野外劇場はお客も少なく寂しかった。苦笑したのは、大運河を開削した隋の煬帝がずいぶん晴れがましくカッコよく描かれていたこと。いいのかそれは。

 あと「揚州十日」で清軍の非道ぶりを糾弾するのに、そのあと臆面もなく清代の揚州の繁栄を描くのも、歴史に忠実で面白かった。

(5/6記)

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