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見もの・読みもの日記

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ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』

2016-07-09 23:47:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』(2016年7月2日、23:00~)(※NHKオンデマンド配信中)

 めずらしく母からメールが来て、この番組のことを教えてくれた。そうでなければ、たぶん見逃していたと思う。奈良・薬師寺では、16世紀までに焼失した伽藍(がらん)の復興が50年に渡り進められてきた。薬師寺のホームページによれば、昭和51年(1976)に金堂、同56年(1981)に西塔、昭和59年(1984)に中門が復興された。回廊が姿を現したのもこの頃か。現在、第3期工事まで完了済という。

 さて、まだ薬師寺ホームページの伽藍図には姿を見せていないが、2015年3月21日、白鳳伽藍復興の総仕上げとなる食堂(じきどう)の起工式が行われ、2017年5月完成に向けた工事が始まっているのだそうだ。ネットで探したら、いくつか記事が見つかったけど、関東に住んでいると、全然知らなかった。

※建設通信新聞:【薬師寺食堂】1042年の時を超える再建工事起工! 内部設計は伊東豊雄氏、完成は2年後(2015/3/24)

 建設に先立ち、食堂の本尊となる6m四方の巨大な仏画の制作にあたったのが、日本画家の田渕俊夫さん(1941-)である。薬師寺の山田法胤管長が田渕さんに白羽の矢を立てたのは2012年。2010年、京都・智積院の講堂に収められた墨画の襖絵に感銘を受けての決断だった。この襖絵も番組中で一部が映るのだが、素晴らしい。色がないのに色が見えてくる。観にいかなくっちゃ!

 山田管長は食堂の古い記録にのっとり、丈六(6メートルくらい)の阿弥陀三尊を描いてほしいと注文する。依頼を受けた田渕さんは、現代に生きる人々の祈りの対象となる仏画を描きたいと語る。そして、各地の仏像を訪ね歩き、画集や写真集を見ながら、さまざまな仏像のスケッチを繰り返し、「どういう顔にしたらいいか」をひたすら考え、「手でそのかたちを捉え直す」作業を続けていく(私の知る限り、田渕さんはあまり人物を描かず、植物や風景を多く描いてこられた画家なので、薬師寺の管長の依頼は、けっこう無理筋だったんじゃないかと思う)。そして、田渕さんが最後に、やっぱり薬師寺の聖観音像を観に行く気持ちには強く共感する…。

 まず、とても小さな下絵(手のひらに隠れるくらいの)を描き始め、完成すると、本番用のパネルをアトリエに設置し、プロジェクターで下絵を映写して、鉛筆で写し取る。全長6メートルのパネルは設置できないので、上下を分割して描き進める。それにしても上のほうを描くときは建築現場のような可動式の足場の上に乗り、下のほうを描くときは、無理な姿勢で床に寝そべって描く。下絵ができると、いよいよ二度描きできない、本番の墨の線を引いていく(中尊の顔から始めていた)。本当に気の遠くなるような作業量。阿弥陀様の螺髪のひとつひとつも田渕さんが描いているのだ。

 古い作品で、彫刻でも絵画でも、ちょっと手の込んだ大作を見ると、すぐ「工房作」という言葉を思い浮かべてしまうので、ひとりの作家が全ての線・全ての彩色に責任を負うというのが、どれだけ途方もないことか、しみじみ思い知った。たぶん本当にすごい仏画(法隆寺金堂とか、敦煌莫高窟とか)は、こんなふうにひとりの芸術家が肉体を削って描いたんだろうな。

 下絵の墨入れが終わって、色付けを始める前に筆入法要が行われるはずだったが、その前日、田渕さんはウィルス感染で呼吸困難に陥り、病院に緊急搬送されて、一命をとりとめる。まさかNHKも取材の途中でこんなことが起きるとは思っていなかっただろう。

 色付けは絵具が垂れないよう、パネルを寝かせ、その上に乗って作業をしていく。鮮やかな色彩、かすかな色彩、そして無彩色の部分が同居する、田渕さんらしい仕上がり。3月、薬師寺に運び込まれ、起工式の舞台上で披露された。食堂の完成は2017年5月ということだが、そのときはこの阿弥陀三尊図のまわりを、仏教が奈良に伝わるまでの道のりを描いた14枚の壁画が取り囲む計画、とナレーションが言っていた。それも田渕さんの作品なのか? 違うのかな? いずれにしても楽しみだ。

 田渕先生の代表作はいろいろあるけど、仏画というのは格別なものだと思う。これから、長い年月、あの阿弥陀三尊図が、薬師寺に詣でる人々の祈りを受け止めていくのだと思うと感慨深い。いつか田渕先生がこの世を去られても、私もいなくなっても、仏の姿は残っていくだろう。
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射雕英雄伝(2008年版)視聴中+2003年版の思い出

2016-06-08 00:31:39 | 見たもの(Webサイト・TV)

『射雕英雄伝』(2008年、上海唐人電影)

 『隋唐演義』を見終わったあと、引き続き何か中華ドラマが見たくて探していたら、GYAO!ストアで『射雕英雄伝』(2008年版)の配信が始まっていた。とりあえず第1話を見ての感想は、あ~これダメかもしれない、というものだった。2003年版(李亜鵬版)が好きすぎるので、惜弱はもっと美人!とか、丘道士がチンピラすぎる!!とか、不満ばかりでイライラした。

 それでも、もう少し継続視聴してみることにし、いま第6話まで見た。郭靖は黄蓉に出会い、楊康は穆姑娘と出会ったところである。新版の胡歌(フーゴー)の郭靖は、李亜鵬に比べると線が細すぎる、と思っていたが、だいぶ慣れてきた。旧版より押しが強い感じがする袁弘(ユアンホン)の楊康はなかなかいい。今のところ、登場人物のキャラに大きな改変はないみたいなので、安心して見ている。

 全体にイケメン不足だな~と書こうとして、旧版も決してイケメン鑑賞ドラマではなかったことを思い出す。ただ、旧版は、おじさんキャラがカッコよくて、雰囲気のある渋い俳優さんが揃っていて、好きだったのだ。今後に期待。女性キャラについては、絶対に旧版のほうが美人揃いだった。中国のエンタメ界の需要が「美人」から「かわいい」に移っているのかもしれない。新版の脚本は、モノローグが多く、重要な場面では、登場人物が自分の考えを言葉(または内心の言葉)にしてくれる。第6話では、そもそもの物語の発端を、かなり時間をかけて繰り返していて、視聴者に対して親切設計だなあと思った。個人的には、ちょっとそこがタルい。

 実は、今日の記事を書き始めたのは、2003年版の『射雕英雄伝』の思い出を書き留めておこうと思ったためである。私は当時、スカパーを契約して、日本向けのCCTV(中国中央電視台)の衛星放送を見始めたばかりだった。最初は『康熙微服私訪記』などの(日本でいえば「水戸黄門」みたいな)娯楽時代劇を楽しむようになり、あるとき、何も知らずに『射雕英雄伝』に出会ってしまったのである。確か途中から見始めて、なんだ?これは?!と愕然とした。人が空を飛んだり、掌に気を集めて敵を吹き飛ばしたり、金庸も武侠ドラマも知らなかったから、かなりのカルチャーショックだった。しかし面白いので夢中になり、毎晩見逃さないよう、録画しながら視聴し、あとでVCD(DVDではない)を買って、全編を見直した。(※2004年には再放送も見ていた

 いま新版を見ながら「傻子(shaz)」「笨(ben)」(馬鹿、愚鈍)という中国語を覚えたのは、このドラマだったと懐かしく思い出している。主人公の男子を、ここまで愚鈍に設定して、でも魅力的に描いた作品はなかなかないだろうなあと思う。オープニングとエンディングは、やはり2003年版が忘れ難く、実は新版を見始めてから、何度も旧版の曲を聞いている。備忘録として、ここにYoutubeのリンクを貼っておこう。

03版 射雕英雄傳 片頭曲 - 天地都在我心中(https://www.youtube.com/watch?v=VUFl_MeTz1Q
03版 射雕英雄傳 片尾曲 - 真情真美(https://www.youtube.com/watch?v=lQsFB89Nkjk

※参考:中文版Wikipedia:射雕英雄傳
これまでに制作された電視劇(テレビドラマ)の配役一覧表があって便利。重なる俳優さんはいないのか、探してみたら、2003年版で哲別(ジェベ、モンゴルの弓の名手)を演じた俳優さんが2008年版でテムジンを演じている。

 なお、2008年版を「新版」と読んできたが、2016年3月開機(クランクイン)の最新作は2017年公開らしい。こんなふうに同じキャラクター、同じストーリーのドラマが何度もリメイクされるというのは、伝統芸能みたいでもある。

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中華ドラマ『隋唐演義』2013年版、看完了

2016-05-15 01:54:55 | 見たもの(Webサイト・TV)
○『隋唐演義~集いし46人の英雄と滅びゆく帝国~』全62集(2013年、浙江永楽影視制作有限公司)

 久しぶりに中国ドラマが見たくなって、いろいろ探しているうち、この作品に行きついた。YouTubeで中国語版も見つけたが、GYAO!ストアで日本語字幕版を購入しながら、3ヶ月近くかけて見た。

 時代は6世紀末。隋の初代皇帝・楊堅(文帝)が陳を滅ぼし、南北統一を成し遂げたところから物語は始まる。遠征軍の総指揮官は皇帝の次男楊広(後の煬帝)で、陳の皇妃の一人だった蕭美娘を連れ帰る。楊広は、父母の前では信心深い孝行息子を演じながら、次第に牙を剥き、ついに帝位を簒奪する。楊広の放逸と悪行に加担し、皇后となる蕭美娘。楊広の相国として、絶大な権力と冨を掌握した宇文化及。一方、宮廷の悪政に心を痛めながら、あくまで隋に従った忠臣たちもいた。楊広の叔父でもある靠山王・楊林もそのひとり。のちの唐高祖・李淵とその息子たちも隋の功臣だった。

 民間では、各地で「反隋」の動きが活発化する。隋の下級役人(馬快班頭)だった秦瓊も、いろいろ辛酸を嘗めた末、反乱軍に加わることを決意する。ついに瓦崗寨(がこうさい)に結集した46人の英雄は兄弟の契りを結び、隋を倒して泰平の世をつくることを誓う。けれども秦瓊の妻・玉児の養父は隋の忠臣楊林だったり、瓦崗寨に加わった羅成の父親は北平王だったり、複雑な人間関係に悩みながら、英雄たちは戦う。

 次第に戦力を削がれ、人心を失った楊広は、腹心の宇文化及に弑される。しかし、混乱の広がりによって、瓦崗寨の英雄たちも一部は命を落とし、残った者は散り散りになる。この殺伐とした展開は中国ドラマらしくて好き。運命が非情だから、それに抗う家族や義兄弟の絆が際立つのである。秦瓊、程咬金、魏徴、徐茂公らは、李世民を見込んで、唐王李淵のもとに身を寄せるが、かつて李家に一族を皆殺しにされたことのある緑林(盗賊)の元締め・単雄信は、唐に帰順することを潔しとせず、斬首となって果てる。

 「隋唐演義」は清代に成立した通俗歴史小説で、日本では、安能務、田中芳樹によるリライト本が出版されているそうだが、私は読んでいない。しかし「隋唐演義」は読んでいなくても、隋唐の歴史は大好きなので、登場人物の名前やストーリーの進行にはすぐなじんだ。悪逆非道の皇帝・楊広の逸話はもちろん、隋末の覇権を唐と争った江世充や竇建徳、李密。唐の功臣として名を残した尉遅敬徳や李靖、魏徴などは、ちらっと映るだけでもわくわくしてしまう。

 ドラマの中心人物である秦瓊(淑宝)のことはよく知らなかった。唐の「凌煙閣二十四功臣」の一人というから実在人物なんだろうけど。尉遅敬徳と対になって「門神」に描かれる人物と聞いて、あ~と思った。演じている厳寛(イェンクァン)という俳優さんが非の打ち所のないイケメン。キャラクターとしても文武に優れ、誰からも尊敬される人格者である。李世民も同じく人格者だが、このドラマでは少し個性が弱い。しかし、終盤になるにつれて、英雄たちが李世民のもとに集まってくる気持ちは分かる。こういうあまり無茶をしないリーダーって中国の歴史や小説に時々あらわれるなあ。

 その他は、それぞれ一癖も二癖もあるキャラクターが多い。日本のドラマだったら、こういう造形は絶対しないだろうと思うこともあって面白かった。トラブルメーカー程咬金の反省のなさには本当に腹が立ったぞ。味方なのに。いや、むしろ切ないのは李密や王伯当かな。かつての恩人を捨てられず、大切な兄弟を裏切ってしまう。あと、超人的に怪力だったり武芸が強いけど、頭の中は(いい意味で)「馬鹿」という羅士信や李元覇みたいなキャラクターも中国ドラマではよく見る。楊広役の冨大龍(フーダーロン)は怪演と言っていいだろう。それ以上に印象的だったのは、宇文化及の息子の宇文成都(架空の人物らしい)。ほぼ天下無敵の武芸を誇りながら、秦瓊の妻となる玉児に一途に求愛し続け、思いを叶えることができない可哀想な大将軍。羅成と盈盈の若いカップルも可愛かった。中学生がじゃれているみたいだったのが、終盤には、いろいろ試練を乗り越えて大人になっていた。なぜか程咬金を兄と慕う尤俊達もおかしなおじさんだった。書いていると切りがない。

 私が隋唐の英雄でいちばん好きなのは李勣なのだが、いくら待ってもドラマに出てこない。しかし、李勣の元の姓は徐、字は懋功であることを思うと、瓦崗寨の軍師・徐茂公が李勣の分身なのではないかと気がつき、最終回で英国公に封じられたことで確信した。もっと端的に武人のイメージなんだけど、ドラマでは諸葛孔明みたいな造形で、いつも「無量天尊」を唱えている。終盤に活躍が増え、李世民を守って単雄信に兄弟の縁を切られるところが見せ場。演じたのは杜奕衡(ドゥイーフン)といって、アンディ・ラウのスタント出身の俳優さん。個性の強さが気に入ってしまった。覚えておこう。

 あと、本当にどうしようもないキャラクターだと思っていた程咬金は、凌煙閣二十四功臣の程知節のことで「旧唐書」にも記載があるらしい(演じたのは姜武=ジャンウー)。くだらないと思った劇中エピソードも、実はきちんと典拠があったりするようだ。瓦崗寨の英雄たちは、日本語字幕ではずっと名前呼びだけど、中国語を聞いていると、義兄弟の盟約を結んで以降は「三哥」「五弟」呼びになり、瓦崗寨を離れても、最後までこのように呼び合うのが切ない。

2016年4月~CS「チャンネル銀河」でも放映中
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台湾旅行余話・霹靂(ピリ)系列布袋劇

2016-05-08 23:02:43 | 見たもの(Webサイト・TV)
 明日から仕事なのに、台湾の人形劇(布袋戯)のことが気になって、いろいろ調べている。布袋戯は中国・台湾の民間芸能の一つ。むかし、シンガポールの街頭で実際に見たことがある。侯孝賢の『戯夢人生』(1993年)は、布袋戯の名人の半生を描いた映画だった。

 そこまでは知っていたが、調べてみたら、早くも1970年代には舞台劇のテレビ放映が始まり、斬新な演出で台湾の国民的な人気番組となった。1980年代には「霹靂(ピリ)系列布袋劇」がレンタルビデオを通じて視聴者を獲得し、1993年には専門チャンネル「霹靂衛星電視台(現在の霹靂台灣台)」が開設された。さらに1997年には映画化されて『聖石伝説』が製作され、台湾のみならず日本やアメリカにも輸出されたという。全然知らなかった。

 「霹靂(ピリ)系列布袋劇」というのは、黄文擇(台詞担当)・黄強華(編劇担当)兄弟が成功させた娯楽路線の新時代布袋劇で、中華圏で根強い武侠物を基本に、若者の嗜好に合わせたファンタジーとSF風味が加えてある。登場人物(人形)は、日本のアニメふうの美女・イケメン揃い。かなり大胆なSFXやカメラワークを使っており、効果音や劇伴も現代的なのに、台詞はひとり語りというのが面白い。

YouTube『聖石傳説』日本予告篇(2002年)(音が出ます)
とりあえず「ピリ」がどんなものか知るにはここから。

YouTube「聖石伝説 進軍日本的宣傳片」PART1(以下PART2,3に続く)(音が出ます)
ストーリー、キャラクターの背景、制作者インタビューなど、情報豊富。

霹靂(ピリ)網・公式(中文)

 文楽との違いとしては、人形は一人遣いで、遣い手は画面に姿を見せない。基本的に台詞で物語を進行させるので、浄瑠璃みたいに地の文を語ることはしないようである。伝統的な人形芝居をここまで現代化してしまう思い切りはすごい。しかし、いろいろ現代的な演出は取り入れているけれど、最後は(人形を遣う)指の動きで表現する、みたいなことを上記の動画で語っている関係者もいて興味深かった。中国の芸能は「京劇」もわりと現代化に抵抗がないという話を聞いたことがあって、民族性の違いかなあと思う。

 そして、今年2016年、「ピリ」の制作制作は、日本のゲームメーカーと共同で新作の映像作品『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』を公開するそうだ。Wikipediaに「台湾のみならず日本においてもテレビなどで大々的に放送される予定」とあるので、楽しみにしていよう!

Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀・公式(日本語)

 いや、台湾、面白いわー。
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NHK木曜時代劇『ちかえもん』と最近のドラマ

2016-03-08 00:37:49 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK木曜時代劇『ちかえもん』(2016年1月14日~3月3日、全8回)

 久しぶりに、感想を特筆しておきたいと思うドラマに出会った。時は元禄16年(1703)、近松門左衛門(本名・杉森信盛)(松尾スズキ)は、人形浄瑠璃作者になるべく故郷・越前から大坂に出て来たものの、「出世景清」を当てて以来、スランプとなり、妻には逃げられ、母の喜里と二人暮らし。竹本座の座長・義太夫から新作を求められても、「書けてなーい。今日も一行も書けてなーい」とつぶやきながら、元禄のキャバクラ「天満屋」で、年増遊女のお袖を相手に愚痴をこぼすばかり。時の将軍・綱吉は「親孝行」を顕彰し、前年・元禄15年の暮れに起きた赤穂義士の討入りが忠義の美談として世にもてはやされる中、近松の前に現れたのは、親不孝を勧めて「不孝糖」を売り歩く謎の渡世人・万吉(青木崇高)。なぜか近松は懐かれて、「ちかえもん」という可愛らしいニックネームで呼ばれることになる。

 近頃、天満屋に入った遊女のお初(早見あかり)は美人だが愛想なし。お初に一目惚れした平野屋の跡取り息子の徳兵衛(小池徹平)は、全くいけすかないあほぼん。善か悪か、謎の油屋九平次(山崎銀之丞)と、人形浄瑠璃「曾根崎心中」に登場する人々が、近松のまわりに集まり始めるが、キャラクター設定がぜんぜん違う。これが、どうやって「曾根崎心中」に至るのか?と首をかしげているうちに、あら不思議、物語は大きく急転して「曾根崎心中」を生み出し、さらにそれを越えてしまう。脚本が『ちりとてちん』『平清盛』の藤本有紀さんと聞いたときから、近松&曽根崎心中とのコラボレーションに期待はしていたものの、まさかこれほどの名作が生まれるとは思わなかった。

 ちかえもんの心の声に現代語を平気で混ぜていたり(出世景清、Don't miss it! には笑った)、「うた ちかえもん」の昭和歌謡の数々とか、変なアニメーションとか、遊びの演出はたくさんあって、どれもセンスがよかった。文楽協会の協力はもちろん、狂言師の茂山家のみなさん、落語家、漫才師など「関西芸能界の人々」が、影にも日向にも大活躍。美術もよかったなあ。芝居小屋の野外セットは歴史的に間違いという指摘もあって勉強になったが、天満屋や九平次の部屋など、非日常性がよく表現されていて、わくわくした。

 俳優さんは、上に名前を上げた方ばかりでなく、脇役・端役も含めて素晴らしかった。特記しておきたいのは、悪役・九平次を演じた山崎銀之丞さん。数か月前に朝ドラで知ったばかりの俳優さんで、こんなエキセントリックな悪役が似合うとは思いもよらず、びっくりした。あと竹本義太夫役の北村有起哉さんは、劇中の重要人物として活躍しつつ、かなりの量の浄瑠璃を自分の声で語らなければならない難役だったが、かなりサマになっていた。声の質が浄瑠璃向きなんだろうなあ。

 5月には、国立劇場の文楽鑑賞教室で久しぶりの曽根崎心中が掛かることになっている。ドラマの序盤は、これで文楽ファンが増えると嬉しいから、今回の公演は行くのをやめて後進に席を譲ろう、などと行儀のよいことを考えていたが、最後まで見たら、やっぱり舞台を見たくなった。たぶんこのドラマを見て、文楽協会の皆さんも、いつもにまして奮い立っているのじゃないかと思うのだ。古典「曾根崎心中」の最上の舞台を見せようと。やっぱり行こう!いい席でなくてもいいから。

 正月の大阪・文楽劇場の正面に飾ってあった「ちかえもん」のポスターの写真をあげておく。



 この2ヶ月間、毎週木曜日は全てを擲って、8時までに家に帰り、テレビの前でオンタイム視聴した。最終回が「ひなまつり」の3月3日というのは狙ったみたいだった。このほか、今、朝ドラ『あさが来た』と大河ドラマ『真田丸』も楽しんでいて、まもなく大河ファンタジー『精霊の守り人』も見ることになるだろう。元来、私は二つ以上の連続ドラマを並行視聴するのは苦手だったのに、大丈夫かな、この状況。全てNHKのせい。
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平安京地図(京都市)と画像コレクション(NYPL)

2016-01-09 00:37:06 | 見たもの(Webサイト・TV)
これはいい!と思ったWebサイトの話題を二つ、久しぶりに。

平安京オーバレイマップ(京都市平安京創生館)

 京都市平安京創生館で公開されている「平安京跡イメージマップ」を、現在の地図上に配置したもの。立命館大学アートリサーチセンターのサーバで公開されている。特定の時代と現在を重ね合わせた地図は、これまで紙媒体の出版物にはあったし、Web上で公開されている画像もいくつかあった。しかし、これほど精緻で、縮小拡大が自在なものはなかったように思う。私は京都の町を歩くとき、だいたい平安時代の地図を思い描いているので、自分の頭の中が可視化されたような気がする。

 今週末は関西行きの予定だが、大阪泊と名古屋泊なので、京都に長居はできない。ぜひ気候のいいときに、この地図を持って京都の町を歩きたい。そろそろ思い切って、タブレット買わなきゃ。

京都新聞「平安宮の中心施設、謎深まる。調査3回、建物跡未発見」(2016/1/5)

 ついでに関連記事を貼っておく。平安京の大極殿の位置は、湯本文彦(1843-1921)によって「千本丸太町北西」と推定され、以後、発掘調査を積み重ねてきた。1994年には千本丸太町北西角で大極殿初の遺構となる基壇や階段跡を見つけ、湯本の推定はおおむね正しいと証明された。大極殿を囲む回廊跡も確認でき、周辺では屋根を飾った緑釉瓦の出土も多い。しかし、柱の遺構はまだ見つからないのだそうだ。2015年11月、大極殿跡の碑が立つ千本丸太町の内野児童公園での発掘調査も空振り。「いまも確認できない羅城門跡とともに京都に残された大きな命題だ」と記事にある。

 発掘調査の進展状況(確認されたものと推定にとどまるもの)を頭に入れながら、上記のマップを眺めると、また趣きが加わるように思う。

The New York Public Library: Digital Collections

 ニューヨーク公共図書館が所蔵資料の18万点のパブリック・ドメイン画像を公開して話題になっている。写真、ポスター、地図、楽譜、博物画、ファッション画などさまざまだが、「Book Art and Illustrations」のカテゴリーには、浮世絵(東海道五十三次)など日本由来の資料も入っている。個人的には、神坂雪佳(1866-1942)の『百々世草』や大蘇(月岡)芳年(1839-1892)の『月百姿』の高精細画像が公開されていて、小躍りしたくなった。どなたか知らないが、チョイスが素晴らしい。

 「Book Art and Illustrations」のサブカテゴリー「Ehon: the artist and the book in Japan」には、さらに多数の日本の資料が公開されているが、こちらは必ずしも全冊撮影ではなく、画像サイズもあまり大きくない。私は、2006年11月にニューヨーク公共図書館を訪ねていて、そのとき、この「Ehon(絵本)」というタイトルの展覧会をやっていた。今回、公開された画像は、展覧会のために撮影されたものの二次利用と思われる。いま若冲の『乗興舟』の画像を見つけて、懐かしかった。

 なお、ツイッターには、「日本の宝」がなぜニューヨークに?と鼻白んでいるものもあったけど、資料自体はそれほどのものじゃない。江戸ものっぽい源氏物語絵巻はあったが、ほとんどは版画や版本(複製芸術)だし。ただ、これだけの高精細画像をパブリックドメインで(利用に許諾の必要なし)公開してくれる姿勢はさすがアメリカで、うらやましい。『百々世草』や『月百姿』の画像、どんどん使っちゃうぞー。
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父と息子の物語/シネマ歌舞伎・ヤマトタケル

2015-11-29 23:22:37 | 見たもの(Webサイト・TV)
シネマ歌舞伎『ヤマトタケル』(MOVIX柏の葉)

 私は歌舞伎役者に全く関心がないのだが、ひとりだけ例外がいる。古い名前で呼べば、市川亀治郎。2007年に大河ドラマ『風林火山』の武田信玄役を演じたことから、気になる存在となっていた。2012年6月、亀治郎が四代目市川猿之助を襲名し、従兄弟の関係にある香川照之も同時に九代目中車を襲名して歌舞伎の世界に身を投じることになった襲名披露公演がこれ。先代の猿之助(現・猿翁)が創始した「スーパー歌舞伎」にもずっと興味はあったので、よし、一度見に行ってみようと考えた。しかし、門外漢の浅はかさで、ぼやぼやしていたら、あっという間にチケットは売り切れてしまった。

 それから3年。舞台の記録をスクリーンで上演する「シネマ歌舞伎」に亀治郎改め四代目猿之助の「ヤマトタケル」が登場すると聞いて、ようやく念願を果たすときが来た。スクリーンで見ると、役者の演技や表情はもちろんだが、この作品の場合、衣装のディティールが見えるのがとても素晴らしかった。ただ立ち回りでは、もう少しカメラを引いて舞台全体を映してほしい、と思ったところもある。

 はじめに猿之助と中車の襲名披露口上がある。中車が年下の猿之助を「これからは父と思い」と覚悟を述べるのが印象的だった。

・第1幕(第1場:大和の国 聖宮/第2場:大唯命の家/第3場:元の聖宮/第4場:明石の浜/第五場:熊襲の国 タケルの新宮)--舞台が始まって、あ、字幕がないんだ、と不安を感じたが、セリフはかなり現代的である。ただ、ところどころ「すめらみこと」や「まえつぎみ」などの古語が入るので、他のお客さん大丈夫かな?と余計な心配をした。

 帝(中車)は、朝餉(あさげ)の席に顔を見せない大碓命を説得して連れてくるよう、弟の小碓命(猿之助)に命ずる。オウスは兄の館で、兄に謀反の企みがあることを聞き、もみ合ううちに兄を刺し殺してしまう。あ、そうきたか。原作(神話)のように兄を殺して平然としているオウスにはしないんだな。猿之助がめまぐるしい早変わりでオオウス・オウス二役を演じるのが見どころ。オウスは兄をかばって「私が殺した」とだけ報告する。怒った父帝は、オウスを熊襲平定に差し向ける。その途中、明石浜までオウスを追って来たのは、兄オオウスの后だった兄媛(エヒメ)。オウスを殺して仇をとろうとするが、真実を知って、オウスに恋心を抱く。そこに叔母の倭姫と弟媛(オトヒメ、兄媛の妹)も現れて、オウスの出立を見送る。

 舞台は一変して熊襲の国。二人の王、兄タケルと弟タケルが賑やかな酒盛りの最中。蝦夷や吉備、琉球からも祝いの品が届けられる。そこにヤマトの国から流れ来たひとりの舞姫、実はオウスが酒宴に入り込み、兄弟の王を斬り伏せる。弟タケルは死に際に自分の名前をオウスに贈り、ここにヤマトタケルが誕生する。やっぱり出雲タケルの故事(だまして剣を取り換える)はやらないのだな。

・第2幕(第1場:大和の国 聖宮/第2場:伊勢の大宮/第3場:焼津/第4場:走水の海上)--大和の国に戻ったタケル。しかし父帝は大后(後妻)に心を奪われており、先妻の子であるタケルを疎んじる。褒美に兄媛を妻として与えたものの、すぐに蝦夷征伐に旅立たせる。伊勢の大宮で、叔母の倭姫と弟媛に慰められ、神剣と錦の袋を授かる。焼津。舞台背景には富士山の黒々とした影。従者は吉備のタケヒコ、後を追って来た弟媛。相模の国造のヤイラム、ヤイレポ兄弟(この名前の由来は何?)の姦計にはまり、野焼きの火に囲まれるが、火打石と剣で難を切り抜ける。ここは「火」に扮した人々が、赤い布旗を振りまわして炎の勢いを表現し、さらにくるくるとトンボを切る。これ、京劇だろ!と思った。主要人物の衣装も、無国籍とはいえ、かなり京劇風味が強い。

 ヤイラム、ヤイレポ兄弟は、ヤマトのまつりごと(米と鉄による侵略)を批判し、呪いの言葉を残して死ぬ。ニッポン万歳でなく、こういう批判精神のある物語は好きだ。走水。舞台上の船がぐるぐる回ってスペクタクル。弟媛の入水。菅畳を八枚敷くのは大后のしるしって、そうなんだっけ? この舞台では、ヤマトタケルの東征先を「蝦夷(エゾ)」と呼んで「アヅマ」と呼ばないのは何故だろうと思って見ていたが、「吾妻はや」以前に「アヅマ」は使えないのであった、と思い出した。

・第3幕(第1場:尾張の国造の家/第2場:伊吹山/第3場:能煩野/第4場:志貴の里)

 東国征伐を終えて、尾張で国造の娘ミヤヅ姫を妻に迎える。父帝より使者があり、伊吹山の山神を退治することを命じられる。故郷を前に気のゆるんだヤマトタケルは、伊勢の神剣をミヤヅ姫に預けて山に入ったため、国つ神を相手に苦戦を強いられる。山神は白いイノシシに変身して登場。こんな巨大だったの!!!しかも動きが機敏! 中華街の獅子舞か、南洋の神様みたい。この舞台で、いちばんインパクトのあるビジュアルだった。姥神は自らの命と引き換えに、大量の雹を降らして、ヤマトタケルに病をもたらす。

 能煩野(のぼの)。ヤマトタケルは夢の中で聖宮に帰還するが、父帝はつれない。夢から覚めて、最後の力をふりしぼり、大和の青山を語り、平群の椎の葉を語り、足元に湧き立つ雲を見て、自分の死期を知る。なるほど「大和は国のまほろば」「たたみこも平群の山の」「我家の方よ雲居立ちくも」をこう処理するか、と思って見ていた。しかし、この物語では戦いに倦み疲れたタケルは「剣太刀」には言及しなかったような。こういう題材の取捨選択が興味深い。

 志貴の里、ヤマトタケルの陵墓(ピラミッドの中みたい)。遺児のワカタケルが皇太子(ひつぎのみこ)に立てられることになり、吉備のタケヒコ、蝦夷のヘタルベらとともに聖宮へ向かう。無人の陵墓が崩れ、空に舞い上がるタケル。そうか、もろもろの桎梏から解き放たれて自由を得たヤマトタケルの後を、后や御子たちは追わないのだな。最後の白鳥をイメージした衣装で宙乗りする図は、何度も見たことがあって、どうなんだろうと思っていたが、意外ときれいだった。最後は宙乗りのまま、舞台を捌ける。

 カーテンコール。本当に楽しい舞台だった。幕間に10分ずつ休憩があるが、上映時間は4時間。でも、次々に質の違うスペクタクルがこれでもかと襲ってくるので、全く飽きない。そして、いったん幕が下りた後のアンコール。中央に猿翁の姿が! 当時、そんな話を聞いたような気もするけど、全く予想していなかったので、びっくりした。『ヤマトタケル』という、父と息子の長い葛藤の物語の後で、実子の中車(香川照之)と、名跡を継いだ四代目猿之助という「息子」たちに両手を取られた猿翁の姿を見るのは感慨深いものがあった。1986年、梅原猛が先代猿之助(猿翁)のためにこの作品を執筆したときは、こんな日が来ることは、まさか予想していなかっただろうな。
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怖くないモンスター/映画・ジュラシック・ワールド

2015-08-26 00:06:40 | 見たもの(Webサイト・TV)
○コリン・トレボロウ監督『ジュラシック・ワールド』(MOVIX柏の葉)

 8月7日にシリーズ第1作『ジュラシック・パーク』のHDリマスター版が地上波で初放送されたのを、なんとなく見始めたら、最後まで見てしまった。私はこの作品が日本で公開(1993年)されてすぐ、劇場で見た記憶がある。よくできた映画だなあと思ったが、楽しめなかった。私は血の雨が降ったり死体が出てくる、生理的なホラー映画は苦手なのである。第2作はテレビで見たが、第3作は見ていない。このシリーズには、その程度の関心しか払ってこなかった。

 ところが、久しぶりに見た第1作はなかなか面白かった。「怖い場面」がどこに出てくるか分かっていると、ずいぶん落ち着いて見ることができる。すると、セリフのひとこと、役者のちょっとした演技が印象に残り、温かい人間ドラマと爽快なカタルシスを味わうことができた。そうすると「第1作への原点回帰」と評価されている『ジュラシック・ワールド』がどうしても見たくなり、平日午後に休暇をもらって見て来た。

 設定は「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後。島には、故ハモンドが夢見たテーマパーク「ジュラシック・ワールド」が実現し、世界中から観光客が押し寄せていた。人々の際限ない欲望を満たすため、パークを経営するインジェン社は、遺伝子操作によって新種のハイブリッド恐竜を生み出し、育てていた。

 このハイブリッド恐竜(インドミナス・レックス)が暴走し、人々を恐怖に突き落とす、というストーリーなのだが、私は第1作ほどの恐怖を感じなかった。それはたぶん、人間のつくり出したものなど、どうせ不完全で、どうせ暴走するものだという予測が成り立つからかもしれない。第1作に登場した恐竜は、自然そのものにも似た、測り知れない怖さがあった。何を求めて荒れ狂うのか、どれだけの知能、どれだけの攻撃力・殺傷能力があるのか、分からないから怖かった。まあ本作のハイブリッド恐竜も、予想より知能が高く狡猾で、人間たちを慌てさせるのだが、体内に埋められた探知機を剥ぎ取ってしまうとか、(空腹でないのに)他の恐竜を殺すことを楽しむ残忍性があるとかいう性格づけは、いかにも人間(脚本家)が考えそうなことで、本質的な「モンスター」感は薄い気がする。

 そのほかの恐竜では、第1作で大活躍(?)したヴェロキラプトルが再び登場。元軍人で飼育係(調教師)のオーウェンは、四頭のラプトルと心を通わせ、簡単な命令に従わせることも可能にしていた。人間たちは、この四頭をハイブリッド恐竜に立ち向かわせようとするが、ラプトルの遺伝子をもつインドミナスは四頭と意気投合、違うな、意思を通じ合い、逆に人間たちを襲わせる。ここ、面白い。しかし追い詰められたオーウェンは、武器を捨て、攻撃の意志がないことを示して、もう一度ラプトルたちを味方につけることに成功する。激昂したインドミナスは(と表現したくなる人間臭さが、本作の恐竜たちにはある)ラプトルの反撃を次々に撃破し、オーウェンたちを追いつめる。

 万策尽きたかに思われた時、ハイブリッド恐竜の生みの親である女性科学者クレアは、飼育エリアにいるTレックス(ティラノサウルス)の存在を思い出し、これをおびき出して、インドミナスに対抗させる。う~ん、ここもなあ。人間に操られるTレックスというのが、どうもしっくり来ない。インドミナスやラプトルに追いかけられる間、クレアはずっとハイヒールなのだが、森の中やら岩の上やら、あんなに自由に走り回れるものか? Tレックスとインドミナスの死闘は、はじめは体の大きいインドミナスが優勢だったが、経験にまさる(?)Tレックスが逆転。そこに水中から姿をあらわした巨大爬虫類モササウルスが、インドミナスに食らいつき、水中に引きずり込んでしまう。これは虚を突かれた。モササウルスの存在は、パークの人気アトラクションとして映画の始めに出てくるのだけど、あまりにもあっけない収拾のしかたで、笑ってしまった。でもモササウルスの、凶暴というより「規格外」の強大さは、この映画の中では異色で、気持ちよかった。

 第1作と同様、人々は島を去り、あとには恐竜たちだけが残される。人間が残したヘリポートの上で咆哮するTレックス。彼女は第1作に登場したTレックスと同一個体の22年後の姿という設定だという。へえ、大型恐竜の寿命って何年くらいなのだろう。Tレックス、それから森に消えていった生き残りのラプトル「ブルー」に、次の物語への登場はあるのだろうか。第1作ほどではないけれど、しばらく異世界を体験できる娯楽作品である。不満は書いたが、もう一回見たい。いや何度でも見たい。
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映画は映画/『ジョン・ラーベ』大上映会

2015-07-23 23:23:10 | 見たもの(Webサイト・TV)
○フローリアン・ガレンベルガー監督・脚本『ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~

 見たいと思っていた映画の自主上映会に行ってきた。情報をキャッチしたのは6月の初めで、すぐに予約のメールを入れた。それで安心していたのに、当日、一ツ橋の日本教育会館に行ってみたら、開場時間(13:00)を過ぎたばかりというのに、大勢の人が道路に列を作っていた。会場であるホール(800名収容)はもう満席状態で、関係者用にキープされていた最前列の2列を開放してくれたので、なんとか最前列に座れた。それでも座れなかった人は、別室の第二会場に案内されていた。

 ドイツ人ジョン・ラーベ(1882-1950)は、シーメンス社の社員として中国に駐在中、1937年12月、日本軍による南京攻略戦に遭遇し、南京安全区国際委員会の委員長となって、民間人の保護に努めた。後年、その日記が発見・出版されて、事蹟が知られるようになった。映画はラーベの日記を大幅に脚色したものと言われている。2009年に制作され、同年のドイツ映画賞で7部門中4部門の賞を受賞した。

 私は、わりと早い時期にこの映画の評判を聞いて、見たいと思っていたのだが、日本では配給の見通しがないと聞いて落胆していた。2014年春頃から、主に首都圏で単発の自主上映会が企画されるようになった。北海道・札幌の住人だった私は、歯噛みしながらそれらの情報をチェックしていた。そして、この春、本州に戻ってきて、ようやく念願の上映会に参加することができたのだ。

 作品は、まあ、こういう表現は妥当でないかもしれないが、観客を飽きさせない戦争映画だった。次々と波状的に襲ってくるスリルと恐怖。空からの爆撃、愛する者を守るための別れ、物資の不足、仲間との対立、狂気のような大量殺戮、女性に忍び寄る暴力など、戦争状態の非人間的な側面が、手をかえ品をかえて描かれる。ドイツ映画賞の美術賞・衣装賞を取っただけのことはあって、画面は美しい。当時の中国における欧米人コミュニティの華やかさもちらりと見せてくれるし、灰色の石垣、灰色の服を着た人々の伝統中国の風景、さらには、ところどころに血しぶきの跡が残る廃墟の光景さえも、絵画のような趣きがある。

 主人公は、特別な博愛主義者や理想主義者ではなく、ひょんなことから面倒な委員長にかつがれてしまった、妻を愛する平凡な会社員として描かれている。彼とともに南京安全区を守った他の欧米人たちも同様で、感情移入がしやすい。日本軍人役としては、香川照之、井浦新(ARATA)、柄本明、杉本哲太が出演している。このキャスティングも、私がこの作品を見たいと思った一因だった。朝香宮鳩彦王役の香川照之は、表情にも声色にも感情を出さない演技に徹していたように思う。柄本明(松井石根大将)、杉本哲太(中島今朝吾中将)は、期待したほど見せ場がなかった。いちばん美味しい(?)役は、創作人物であろう小瀬少佐を演ずる井浦新で、言葉に出せない内心の苦悶や葛藤を、繊細な演技で表現していた。安全区国際委員会の欧米人たちに、重要な情報をそっと漏らす場面もある。

 今回の主催者は「7・20『ジョン・ラーベ』大上映会実行委員会」を名乗っているが、いくつかの労働組合の協力を得ていたようで、それらしい雰囲気の観客が多かった。冒頭、関係者の挨拶では、日本の戦争責任を否定する勢力に対する異議が表明され、威勢のいい拍手で応える観客もいたが、うーん、個人的には興ざめな感じがした。私は、この映画、「娯楽」として鑑賞したかったのである。「娯楽」であるから、史実と異なる創作が混じっていても、いちいちとがめだてる必要は感じない。ひとつの作品として、うまく処理されていれば、それでいいのだ。

 上映実行委員会のFacebookによれば、直前まで席の半数くらいは売れ残っていたようだが、7/15の朝日新聞が記事に取り上げたことで、当日は1200人くらいがつめかけ、第二会場にも入れなかった200人はお帰りいただいたそうである。大反響だったということで、実行委員会は嬉しそうだが、正直なところ、鑑賞に集中できる環境ではなかった。作品に対するリスペクトがあるなら、もう少し運営に配慮があってほしかったと思う。今後、見に行く人は、上映会の規模と主体を選んだ方がいいと思うな。
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2015年上半期のテレビドラマあれこれ

2015-07-17 22:07:34 | 見たもの(Webサイト・TV)
 そう言えば最近、テレビドラマのことを何も書いていなかった。もともとあまりテレビを見る方ではない上に、4月からBSが見られない環境に逆戻りしてしまったが、なんとなく面白いドラマを嗅ぎ分けて、つねに1作くらいのペースで見ている。

■TBSテレビ60周年特別企画『天皇の料理番』(2015年4月26日~7月12日、全12回)

 宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた秋山徳蔵(ドラマでは篤蔵)を描いた、杉森久英の同名小説が原作。私の同世代は、1980年に放映された堺正章バージョンを懐かしみ、比較している人が多かったが、私は旧作を全く見ていないので、ストーリーが全く分からず、新鮮な気持ちで楽しめた。

 脚本が『JIN-仁-』『ごちそうさん』の森下佳子さんだと聞いたときから、面白くないはずがないと思っていたけど、期待以上だった。何も特別なことのない日常の描写から感動を呼び起こすところ、逆に本当に「涙と感動」が作れそうな絶好のシーンを脱臼させて、泣き笑いさせるところ、相変わらず心憎いほど巧い。平易な言葉なのに心に染み入る名セリフがいくつもあった。主演の佐藤健をはじめ、黒木華、鈴木亮平、みんな巧かったなあ。脚本の素晴らしさが役者魂に火をつけるんだと思う。脇役のひとりひとりまで、ドラマに描かれていない人生の厚みを感じさせるような人物造形だった。

 そして、特筆しておきたいのは、放映から7日間(次の回が始まるまで)公式サイトで無料配信がされていたこと。私は全12回のうち2回くらい、本放送を見損ねて、この無料配信のお世話になった。もしこのサービスがなかったら、途中で見るのを止めていたかもしれないし、視聴を続けたとしても、見逃し回の不満と心残りを引きずっていたと思う。無料配信があるにもかかわらず(否、だからこそ)終盤の視聴率はどんどん上がった。ぜひ、こうしたサービスを拡大してほしいと思う。

■NHK土曜ドラマ『64(ロクヨン)』(2015年4月18日~5月16日、全5回)

 横山秀夫原作。昭和64年(1989)D県警管内で少女の誘拐殺人事件が起きた。時は過ぎ、時効間近の平成14年(2002)、再び新たな誘拐事件が発生し、二つの事件は意外なかたちで収斂していく。ミステリーファンには評価の高い、有名な作品らしいが、私は全く知らなかったので、やはり新鮮な衝撃を受けた。個人的には脚本の大森寿美男さんが好きなので、長編を破綻なくまとめた(しかも緊張感を持って)脚本をホメたいのだが、音楽も映像も演出もカッコよくて、脚本が目立たなかったのは仕方あるまい。特に音楽(『あまちゃん』の大友良英さん!)は、日本のドラマだと思えないくらいカッコよかった。俳優陣もよかった。ほとんどオジサンばかりだったけど。そして、やはり主演のピエール瀧は群を抜いていた。

 しかし、この作品は残念ながら視聴率は取れなかった。1時間、緊張の連続を強いるドラマって、受けないんだな。でも少数の視聴者に長く熱狂的に語り継がれるドラマだと思う。

■フジテレビ『デート~恋とはどんなものかしら』(2015年1月19日~3月23日)

 古沢良太脚本によるオリジナル作品。数々の恋愛ドラマの名作を生んだ「月9」枠のドラマである。私が「月9」ドラマを見るなんて、一生ないだろうと思っていたが、ツイッターのTLにやたらと高評価が流れてくる。確か、初回~2回くらいまでは有料オンデマンドで見て、面白かったので、オンタイム視聴に切り替えた。年度末に異動と引っ越しを加えた多忙の中で、時間をやりくりして最終回まで見続けた。恋愛力ゼロの理系エリート公務員女子(杏)とニートでオタクの文学青年崩れ(長谷川博己)のドタバタ恋愛ドラマ。かつて「月9」が得意とした、お洒落でトレンディな恋愛ドラマのパロディのようでいて、実は王道の恋愛ドラマだった。最後は素敵なハッピーエンドで、自分の生きている世界が明るく見える感じがした。

 以上、どれも終了して、ますます記憶の中で輝くドラマ。いまは、先週、初回を視聴した『ど根性カエル』が気になっている。これらと並んで、記憶に残る作品になるかどうか。
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