我が家の7系統のスピーカーのうち、珍しく手を加えていないのがオリジナルのままの「PL-100」(英国モニターオーデイオ)。
言い方を代えると、素人が手を加える余地のないスピーカーともいえる。
左側が正面から見た映像で、右側はその裏面となりご覧のとおり背圧を逃がすために直径5cmほどの穴が開けてある。
この穴を利用してウェストミンスターと壁面の間の隙間に背圧の音を流し込むと、音場が豊かになったのはすでに述べた通り。
これを応用して次の映像へと進展したのもこれまたすでに述べた通り。
ただし、サブウーファーとはいえ後ろ向きに音を出すなんてあまりにも「奇を衒(てら)」っているように受け止められても「立つ瀬」がないがと、少し気にはなっていた。
本人さえ良ければそれでいい趣味だが、こうやって公開する以上「おかしな奴だ」と、あまり奇異の目で見られたくないのは山々だからね(笑)。
ところが、実にタイミングよく励ましのメールが届いたんですよねえ。
いつもこのブログを読んでいただいている横浜の「K」さんからで、次のとおり(要約)。無断引用ごめんなさいね。
「今年も新年から精力的な実験レポート、ありがとうございます。3が日は自宅でしたが、やはりブログは会社で読む方がずっと楽しい、なぜかな?
自宅だと「やりたいことが沢山ある」ので、ブログに集中できないのですが会社は第一番がこのブログですから、集中度合いも自宅とは比較になりません。
SPウーファー後ろ向きに、しかも「壁との間の隙間効果を狙う」これは素敵なアイデアですね。
たとえば、「能舞台」の床下には「土の瓶」が植えてありますし、コンサートホールの天井裏にも同様な手法で響きを調整することがあります。
あなたのアイデアはこれに似ていると思います。今年も楽しくなりそうです。期待しています。」
ありがとうございます !
さすがに「設計士」さんなので、音響効果の対策にはお詳しそう。
ただし、我が家のアイデアはまったく「奇想天外」でもないし「鬼の首をとった」ように誇るものでもないようで、かってオーディオ仲間のお家で「クリプッシュホーン」(アメリカ)を聴かせていただいたときに、低音域だけ後ろ向きに出していたのを思い出した。
周知のとおり、低音域は高音域と違って「指向性」が弱いのでこういう芸当ができる余地があるし、ましてや対象はサブウーファーですからね。
何はともあれ、「本人さえ良ければそれでいい」わけだが、その後、紆余曲折もあって、現在形は次のとおりとなった。
とうとうグッドマンの「TRIAXIOM」(口径30cm:同軸3ウェイ)の出番となり、例によってサブウーファーを後ろ向きにして「70ヘルツ」(-6db/oct)あたりでハイカットしてみた。(ちなみに「200ヘルツ」ではアウトだった!)
そして出てきた音となると・・・。
正月早々から「惚気(のろけ)話」は「はしたない」のでこれ以上は踏み込まないでおこう(笑)。
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ブログを始めてから17年目に入っているが、お馴染の読者さんならご存知のように内容の半分以上はオーディオがらみの話になっている。
そこで、ときどき目先を変える意味でオーディオ以外の話題、たとえばクラシック音楽の話に振ったりすると途端にアクセス(「グーブログ」)がガクンと落ちてしまう(笑)。
おそらく、世間一般的にクラシック音楽の話にはあまり興味がないことの一つの証左にはなるのだろうし、現状に鑑みて間違いなく先細りの傾向になると思われる。
なぜならクラシック音楽は自己の内面に「静謐感」を持っていないと鑑賞できない音楽だが、身の回りにこうもネットやスマホの情報が氾濫し短絡的で騒々しい世の中ともなると、ますます環境が悪くなり時代に取り残されていくばかりだろう。
かって、日本経済新聞の文化欄に次のような記事が掲載されていた。
記事の作者は「片山杜秀」(かたやま・もりひで)氏で、音楽評論家であり、また現役の慶応大学教授としてご活躍されている。
内容をかいつまんでみると以下のとおり。
「クラシック音楽はポップスなどと比べると効率が悪く、コンサートの開催などにとてもお金がかかる。そこで関係者が心配しているのが文化芸術に対する公的規模の助成の削減だ。オリンピック後は予算が介護や教育で手いっぱいになってしまうし、そもそもクラシック音楽の優先順位は決して高くないのでこれから衰退の一途をたどるばかりではなかろうか。
日本の豊かさのモデルは欧米にあり、品のいい欧米の上流・中流家庭のイメージに見合うのはまずその種の音楽だった。大正や昭和初期の富裕な高学歴層のステータス・シンブルの一つは西洋クラシック音楽であり、それが理解できることが先端的な教養だった。
しかし、それは一時の夢だったようで、60年代以降の若者たちは高齢世代への反発も手伝ってロックやフォークに自由な気分を求めていった。この世代は歳を取ってもクラシック音楽になびかない。日本に限らず欧米でもそうなっている。
クラシック好きの割合は「40~50代」は上の世代よりも激減しているのがコンサートの客層からして見て取れる。今後、先進資本主義国の経済と社会の様相は変貌する一方であり、厚い中産層が解体して貧富の差が広まる。それはすなわちクラシック音楽の趣味を持ちうる階層が壊れていくことである。
それでも西洋諸国にとってのクラシックは「伝統芸能」であり「観光資源」であるから無くなっては困るというコンセンサスは残るだろう。だが日本は歌舞伎や文楽や能もある。クラシック音楽は援助しないと成り立たない厄介な外来文化にすぎない。その事情がますます顕在化するのが平成の次の御代になるのだろう。
厳しい時代だ。とはいえ、クラシック音楽は一定規模で定着している趣味には違いない。たとえ縮小するにしても市民権はある。適正な規模での生き残りの主張をしていけば、なお未来はあると信じている。」
とまあ、大要は以上のとおり。
実際にその通りなんだろうし、内容にいろいろケチをつけるつもりはないのだが、すでにお気づきの方もいると思うが、「クラシックはコンサートに尽きる、したがってお金がかかり過ぎるので衰退の一途を辿るだろう。」という論調がちょっと気になる。
何もコンサートには行かなくても自宅のオーディオシステムでささやかながらクラシック音楽を楽しんでいる連中はかなり居るのになあ。
女流ピアニストの「マリア・ジョアオ・ピリス」は、いつぞやのテレビ番組で「何も着飾ってコンサートに行く必要はない。それよりも日常の家庭生活の中で身近にクラシック音楽を楽しむべきだ。」と言っていた。その通りだと思う。
むしろコンサートの減少云々よりも、これからクラシック音楽を若い世代、とりわけ幼少期にどうやって広げていくかが課題というべきだろう。
別にクラシック音楽に親しむことで他人に優しくなれるわけでもないし、世の中のお役に立てるわけでもないが、己の人生の豊かさにつながることはたしかだし、情操教育にもいくらかは役に立つことだろうから、幼少期からのクラシック音楽への触れ合いはとても意義のあることだと思う。
自分の経験で言わせてもらうと、小学校の低学年のときにプラネタリウムを見学したときのこと、星座が投影されていく中でBGMとして流されていた音楽が何となく頭の片隅に残り、ずっと後になってそれがシューベルトの「未完成」交響曲の一節だったことが分かった。
したがって学生時代になって最初に購入したレコードはいまだに忘れもしない「運命/未完成」(ブルーノ・ワルター指揮)だった。
したがって「食わず嫌い」を避けるため小中学生ぐらいのときに、どうやってクラシック音楽に触れ合う機会をつくるかがポイントだと思う。
たとえば学校に「ラジカセ」でもいいから課外授業などを通じて音楽鑑賞をしたりするのも一つの方法かと思うが、こればかりはひとえに教師の熱意にかかっているがはたして現実はどうなんだろう。
そもそも「クラシック」好きの音楽教師を採用・育成するのが始まりなのかなあ。
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「こんなに面白い趣味に出会えて、まったく人生バラ色だったなあ」と、思わせるほど楽しいオーディオ。
「好きな音楽を好きな音で聴きたい」というとてもシンプルな趣味だけど、この「好きな音」というのが曲者で、まるで「百鬼夜行の伏魔殿」のように、とても複雑で奥が深い・・(笑)。
したがって「今よりももっと良くなるかもしれない」という欲望には際限がなくなる。
実例を挙げよう。
前々回のブログ「常識外れのアイデアは楽しい」で述べたこのシステムにまったく不満は無いんだけど、サブウーファーを代えたらどういう音がするんだろう、もっと良くなるかもしれんなあという思いが聴いているうちに段々と募ってきた。
こうなったらもうダメ、すぐに行動へ(笑)。
「音場」を豊かにするため、サブウーファーだけ後ろ向きにして、狭いスペースに「200ヘルツ以下」(-6db)の低音を送り込む発想はそのままである。
もちろん、仲間がどう評価するか、軽く一蹴されるかもしれないね(笑)。
今回の実験に「サブウーファー」として起用したのは「リチャードアレン」に代えて「スーパー10」(ワーフェデール)である。
ご覧のとおり強力な「赤帯マグネット」をまとった口径25㎝のユニットである。
「AXIOM80」にとってはまったく不足の無い相手だろう。
ユニットのプラス線にコイル(ムンドルフ:8.6mh)を挿入するだけの簡単な結線を終えてさあ、音出しへ。
いつもハラハラ、ワクワクする瞬間である。
とりあえず、成功の保証は無いので右チャンネルだけの作業にしておいて、左チャンネルは元のままでの聴き比べ~。
すると、右チャンネル側の透明感が際立っていた!
たった200ヘルツ以下を受け持つだけだし、しかも後ろ向きに音を出すサブウーファーが違うだけでこんなに音が変わるのか、と衝撃を受けた。
急いで左チャンネルも同じ「スーパー12」を設置した。
そして完全な形で改めて試聴すると、さすがに強力なマグネットを持つ者同士で、音のスピードが半端なくまるで「フルレンジ」が鳴っているみたいな一体感が顕著に感じ取れた。
ただし、惜しむらくはサブウーファーの量感がイマイチかなあ。
強力なマグネットを持つユニットは音の歯切れはいいが量感となるとイマイチと思うのは自分だけだろうか。
ほら、ローサ―(英国)なんかもそうでしょう・・。
そこで、「サブウーファー」の低音域をもっと下げることにした。
同じムンドルフのコイルを1個継ぎ足して「70ヘルツ」あたりをハイカットしてみた。
「200ヘルツ」のときと比べて、アンプのパワーをより注ぎ込みやすくなる。なぜなら「AXIOM80」の帯域への被りが少なくなるので。
さあ、どういう音が出たか・・、ここで述べるとちょっとくどくなるかなあ~。
後は、あえて皆様のご想像にお任せすることにしましょう、ねっ、わかるでしょっ(笑)。
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このところ「常識外れ」にこだわって、いろいろ勝手な振る舞いに及んでいるが、はたして第三者の目には「どう映っているんだろう」と、ちょっと気になってきた(笑)。
そこで、ふと過去の関連記事を思い出したので中身を改変して以下のとおり再掲させてもらおう。
作家の村上春樹さんによると「世の中には2種類の人間がいます。カラマーゾフの兄弟を読んだことのある人と読んだことの無い人です。」とのことだが、「ものごとを二分法で単純化する」と非常にわかりやすいですね。
これをオーディオに当てはめてみると「世の中には2種類のオーディオ愛好家がいます。メーカーの技術を信頼する人と信頼しない人です」(笑)。
つまり、メーカー既成のシステムを後生大事に守り続ける「オリジナル守旧派」と、それに飽き足らずに「自作したり改造する派」に分けられるというわけ。
これはあくまでも経験から踏まえた推定値だが、その比率となるとおよそ「8:2」くらいかなあ。メーカーの技術を信頼する人が圧倒的に優勢だと思っている。
そして、その劣勢の2割の部分に与しているのが我が家のオーディオである。それもアンプに留まらず、スピーカーの分野まで及んでいるのだから何をかいわんや~。
なにしろ現在活躍している7系統のスピーカーは、たった一つを除いてすべてオリジナル仕様を変更しているので典型的な「メーカー不信派」に属しているといえるだろう。
もちろん胸を張って自慢できるような話ではないので念のため。
これまで「スピーカーだけはメーカーの技術を信頼してできるだけ弄らないようにしています」という声を聞くことが度々あったし、とある熱心な愛好家から次のようなご忠告をいただいたこともある。ちょっと長くなるがご紹介しよう。
「オーディオに日夜努力されている〇〇さんには、非常に言いにくいのですが、ブログを拝読して私は次のような感想を抱きました。
メーカー既成のSPシステムをいじってユニットを入れ替えるのはあなたの趣味ですから仕方ありません。
また、あまり器用でないため怖さのあまりメーカー既成のスピーカーシステムを触(さわ)りきれないでいるブログ読者のために、実験して公開してくださるのですから読み応えはあると思います。
しかし、私は日頃から一流メーカーの技術屋さんには一目も二目も措いております。簡単に改造しようとはとても思いません。たしかに中には、ひどいメーカーもありますが、それは時が自然淘汰してくれているように思います。
ここで、「一流メーカー」の定義についてちょっと補足しておきますと、名前だけで有名なだけなのか、真に一流なのかという点については世間が名器とし(名曲と同様に)、自らの感性で名器と判断したメーカーの技術屋さんという意味ですから、念のために申し添えておきます。
ちょっと話が逸れますが私は『情熱の真空管アンプ』の著者「木村 哲」氏のホームページの文章に心から賛同しています。
結局は、(聴く人間に)「美的感受性」がなければ高額なオーディオ装置を手にして高いから素晴らしい音がする、程度のマニアになってしまうと思います。
長い文章ですので別添資料としますが、趣味の奥深い到達点の本質、根本をついていると思いますのでぜひご覧になって参考にしてください。
(該当箇所は、”私のアンプ設計マニュアル雑学編”「19良い音のアンプやオーディオシステムを実現するには」です。)
とにかく、繰り返しになりますが私は明らかにコストダウン目的と考えられるもの以外は改造しないことにしています。(特にスピーカーシステム)
スピーカー・システム(五味康祐氏は特に一体であることの意味を込めてスピーカー・エンクロージャーと謂ってます)は、スピーカー+音響設計+木工技術=スピーカー・エンクロージャーと考えております。
(昭和54年発行の”TANNOY”(ステレオサウンド)の五味康祐氏の”わがタンノイオートグラフから"はその意味でたいへん賛同できる文章です。)
したがって、メーカーが自信を持って世に送り出した製品はもう再来などあり得ないわけです。もし、あるメーカーのスピーカー・システムの音に賛同出来ないのであれば、自作設計し自分の理想とするものを追求すべきでは、と思いますが。」
以上のとおりだが、いやあ、まったく「ご高説」のとおりです。
こういう直截かつご親切な提言をいただくと、まことに清々しく、ありがたく、いたく感じ入ったことだった。
自分のブログは机上の空論が嫌いなのでひたすら「リアリティ」をモットーにしているのは日頃からの読者ならお気づきのとおり。
実際に見聞し、体験し、感じたことをありのままに文章に移し替える作業をしているだけだが、中にはこうして個人の「美的感受性」にまで言及したうえで、メーカーの意図をきちんと思いやり、尊重する「ご意見」もあるというわけ。
いくら個人的な「ブログ」とはいえ、公開する以上はある程度慎重にならねばと感じたことだった。
とはいえ、「ブログは当たり障りのないことを書いてもちっとも面白くありませんよ。たとえ常識外れの低次元のことでも自分の信念のもとで思い切ったことを書かないとあなたの個性がうまく出せません。いいとか悪いとかの判断は読者に任せればいいです。気に入らなければ読まれなくなるだけですから」という別のご意見もあることもこれまた事実である。
ウ~ン、なかなか世渡りが難しい(笑)。
そこで冒頭の命題の件に戻って弁解させてもらうとすれば、「メーカーの技術を信頼しない」というよりも「メーカーの技術以上にいい音を出してやるぞ」という気概を持っているとだけ言い訳させてもらおう。
これで上手く収まったでしょうかね・・。やっぱり「二分法」で単純化するのは難しそう(笑)。
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前々回のブログ「常識外れは我が家の流儀」で述べたスピーカーの新たな活用方法。
端的に言えば壁面や床面をホーンの延長に利用して豊かな音場を築こうという作戦。
オーディオは「あちら立てれば、こちら立たず」のところがあって、「プラスとマイナス」の差し引き勘定で成り立つ世界だと思っているが、我が家のケースでは(この設置方法は)プラスの方が大きいと判断した。
もちろん「自己満足」の世界に過ぎないが、ほかのスピーカーにも応用してみたいなあ~。
「理論よりも行動が先」を自認しているので、さっそく取り掛かった。
対象となるスピーカーは、比較的小さな箱に入れている「スーパー12」と「AXIOM80」の2台になる。
まずは「AXIOM80」から。
我が家で一番使用頻度が少ない「リチャードアレン」(口径20cm)を低音専用(サブウーファー:200ヘルツ以下)にして試してみよう。
これを逆向きにして「AXIOM80」を載せた。
「位相」の問題とか細かい話は抜きにして「低音域の音だけ後ろ側に出す」という奇想天外のアイデアにハラハラ、ワクワクしながら、いざ音出し~。
低音用のアンプは、「リチャードアレン」の能率が高いので、我が家で一番小出力の「6FQ7プッシュプル」を、「AXIOM80」には「2A3シングル」(出力管:VISSEAUX刻印)をあてがった。
そして、出てきた音を聴いて思わずウ~ンと唸った!
神経質な線の細さが売り物の「AXIOM80」から豊かな音場が引き出せれば、もうそれだけで合格点を上げてもいいほどだが、低音域の量感が程好く調和し、全体的に実に自然な雰囲気が漂ってきて何ら違和感がない。
参った!
「AXIOM80」の鳴らせ方としてはこれまでで「ベスト」といっても過言ではないだろう。
ただし、低音域の出過ぎには要注意であまりにも音場が豊かになりすぎるので細かく「6FQ7」アンプのボリュームを調整する必要がある。
それにしても、こんなに気に入った音が出てくれれば、もう代える気がしないので、「スーパー10」の方はず~っと後回しへ~。
やっぱり「常識外れ」にトライするのはメチャ楽しいですね。
まあ、勝手にそう思っていれば世話はないんだけどね(笑)。
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クラシックのジャンルの中で「オペラ」は、日本人にとってかなり特殊な存在という気がしている。
だいいち、愛好者が少ない。そもそもクラシック・ファンが少ないうえに、それに輪をかけたようにもっと少ない。
何といっても「外国語のセリフ」が隘路になっているのかなあ~。
我が家の場合は、これまでモーツァルト以外のオペラはさほど興味が無かったが、このところネットラジオの「オペラ専門チャンネル」のおかげですっかり受け入れる幅が広がってきた。
ただし、いざ「オペラのどこがいいのか?」と問われるとハタと困ってしまう。なかなか言葉で表現するのが難しい(笑)。
そういうときのために格好の本がある。
「頭が良くなるオペラ」(著者:樋口裕一)
副題として「品位を高める、知性を磨く」とあるが、まず冒頭に「オペラを聴くとなぜ頭が良くなるのか」とある。その理由とはこうである。
「室内楽であれ、オーケストラであれ、オペラであれ、クラシック音楽を聴くと頭が良くなる。それが私の持論だ。
クラシックには微妙な音が用いられる。それにじっと耳を傾けることによって、物事をしっかりと落ち着いて思考する態度が身に付く。
変奏形式などに基づいて論理的に構成されていることが多い。それゆえクラシックを聴いているうちに自然と論理的な思考が身についてくる。
だが、オペラとなるとその比ではない。オペラは総合芸術だ。そこに用いられるのは音楽だけではない。ストーリーがあり、舞台があり、歌手たちが歌い、演出がある。
それだけ情報も増え、頭を使う状況も増えてくる。必然的に、いっそう頭の訓練になる。言い換えれば頭が良くなる。」
とまあ、以上のとおりで、ちょっと「我田引水」のような気もするが(笑)、自分の場合は別に頭を良くしようとクラシック音楽を聴いているわけではなく聴いていて単に心地いいだけの話だが、目下の関心事のひとつは「ボケないこと」にあるので、一石二鳥になればそれに越したことはない。
興味を惹かれて通読してみた。
本書では具体的に16の有名なオペラが挙げられており、“頭を良くする”ための聴きどころが懇切丁寧に解説されている。
我らがモーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」ももちろん入っている。
この三つのうち、もし一つでも欠けていたら著者のオペラに対する見識を疑うところだったので好感度は100点!(笑)
この三つの中では、最晩年の作品「魔笛」が音楽的には「一頭地を抜いている」と思うが、前述の「頭が良くなる」という観点からはおそらく「ドン・ジョバンニ」に指を屈するだろう。
「いったい、なぜか?」その理由を述べてみよう。
このオペラはモーツァルトの「天馬空をかける」ような爽やかな音楽には珍しいほどの人間臭さがプンプン臭ってくる男女の愛憎劇である。
まず、簡単なあらすじを述べると、女性と見れば若い女からお婆ちゃんまで次から次に手を出す好色な貴族の「ドン・ジョバンニ」が、神を信じず人を殺した報いを受けて最後は地獄に堕ちていくというもので、第一幕の冒頭の出来事にこのオペラの大切なポイントがある。
ドン・ジョバンニが貴族の女性「ドンナ・アンナ」をモノにしようと館に忍び込むものの父親の騎士長に見つかり、争いになって騎士長を刺し殺してしまう。
父を殺されたドンア・アンナは恋人ドン・オッターヴィオとともに犯人を捜し、復讐しようと誓うシーン。
五味康祐さんの著作「西方の音」にも、このオペラが登場し詳しく解説されているが、この館の夜の出来事においてドン・ジョバンニが父親を殺す前にドンナ・アンナの貞操を奪ったのかどうか、これがのちのドラマの展開に決定的な差をもたらすとある。
言葉にすることがちょっと憚られる「暗黙知」がこのオペラの深層底流となっているわけだが、こういうことは鑑賞する上でどんなオペラの解説書にも書かれていないし、もちろんこの本もそうだが、このことを念頭におきながらこのオペラを聴くととても興趣が尽きない。
ちなみに、「西方の音」では二人に関係があったことは明白で「さればこそ、いっさいの謎は解ける」と具体的にその理由が挙げられている。
「貞操を奪われたのではないか?」と薄々気づいて疑心暗鬼になる(ドンナ・アンナ)の恋人ドン・オッターヴィオ、素知らぬ風を装うドンナ・アンナ、そして臆面もなく他の若い娘にも触手を伸ばす好色漢ドン・ジョバンニとの三角関係、その辺の何とも言えない微妙な雰囲気をモーツァルトの音楽が問わず語らずのうちに実に巧妙に演出しているのがとても憎い!(笑)
終生のロマンチストだったベートーヴェンと違って、モーツァルトは人間の機微に通じた人生の練達者であることがいやがうえにも窺い知れるのだ。
ただし、この辺の雰囲気の醸成は指揮者の力量にも負うところが多いようで、やっぱりフルトヴェングラーの指揮にとどめを刺す。
いずれにしても「ドン・ジョバンニ」をこういう風に鑑賞すると頭の血の巡りが良くなること間違いなし!(笑)
我が家の手持ちは前述のフルトヴェングラー、以下クリップス、バレンボイム、ムーティなど。
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昨年末のブログ「悪夢の伏線」(2022・12・29)で述べたように、「非力な真空管アンプでは無理だ!」と、とうとう匙を投げたスピーカー「PL-100」(英国:モニターオーディオ)。
そこで翌30日からは「口直し」のつもりでオーソドックスなシステムで試聴した。
ところが・・。
どんなシステムでも4日もするとアラが目立ってくるのが我が家の悲しい現実だ(笑)。
「やっぱり大きな箱はええなあ!」と、思ったのも束の間で、その反面どうしても「音像フォーカス」の甘さが気になってくる。
「無いものねだり」だろうが、もう少し引き締まった「シャープな音像」が欲しいんだよなあ~。
となると、やっぱり小型スピーカーの出番となり、いったん放り投げた「PL-100」の再登場。
そう、粘っこくて簡単に諦めないのが我が家の流儀です(笑)。
もしかして、「WE300Bアンプ」のパワー不足だったのは「整流管」のヘタリが原因だったのではなかろうかと疑問の眼(まなこ)を向けて再チャレンジ。
周知のとおり、整流管は「縁の下の力持ち」的存在で「交流を直流に代えてアンプに新鮮な電流を流す」役目を担っている。
左がこれまで使っていた「GZ32」だが、これを同等の新品「CV593」に代えて聴いてみたところあっと驚いた。
パワー不足を感じないのである!
北国の真空管博士によると「整流管ははっきりいって消耗品です。劣化すると前段管や出力管に必要なプレート電流を供給できなくなり、伸び伸びとした艶やかな音質が失われてきます。常用しているのであれば、せいぜい2年くらいで代えた方がいいでしょう」
「GZ32」は常用ではなかったがもう3年あまりになるかなあ、まだ使えるのでもったいない気もするが・・、そうだ、能率の高いスピーカーのときに使うことにしよう。
というわけで「PL-100」が見事に息を吹き返したわけだが、なぜこのSPにしつこく未練を持つかといえば、実はこのスピーカーが一番「正しい音」ではなかろうかという気がするからで、もちろん好き嫌いは別ですよ~。
数多くのスピーカー遍歴を辿ってきた人間が感じる「勘」ですね、これは。
言い換えると、SPの「箱」の功罪を考えさせてくれるスピーカーともいえる。
そして、設置場所もいろいろ試してみたところ「常識外れ」の場所を見つけた。
この「PL-100」の後ろ側には背圧を逃がすために口径5cmほどの穴が空いているが、この背圧を「ウェストミンスター」と「壁」の間の狭い隙間に流し込もうという作戦である。
おそらく低音域がかなり豊かになるんじゃないかな・・、そして予想通りの結果に~。
これだと、左右のスピーカーの間隔が6mほどになって、まったくセオリー無視だが、「長時間聴いても疲れない音」「スピーカーの存在を意識させない音」という点では、これがベストである。
そして、そのうち、ほかのスピーカーにも応用が利きそうだなあという思いがしてきた・・。
新春早々から思いがけない収穫で、今年は飛びっきり運が良さそうだ~(笑)。
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昨年(2022年)末の29日(木)に帰省し、今月3日(火)に風のように去っていった娘。
毎日、通勤電車の中で親父のブログを「無事の便り」として目を通しているそうだが、ことオーディオの話となると「サッパリわからない!」と匙を投げている(笑)。
そりゃそうだろう、素人さんにはチンプンカンプンでのはずで、かなり専門的な世界なんだから。しかし、唯一の後継者がこれだから没後のオーディオ機器の運命となると推して知るべし~。
その娘がこう宣うた。
「お父さん、2日に投稿(「新春初夢物語」)があったオーディオ愛好家のネットワークづくりってビジネスチャンスになるんじゃない。
だって、オーディオって贅沢で余裕のある人の趣味でしょう。1か月の会費が千円として年間では1万2千円、これが1000人になると1200万円になるわよ。そもそも初期投資が要らないしリスクが少ないのよね・・」
「さあ~どうだか・・。問題は参加者がどのくらいになるかだろうな。
訪問者側はそこそこいるとしても受け入れ側がポイントだろう。
他人に音を聴かせてもいい人ってせいぜい1県当たり5人程度かな~、「48頭道府県」に広げると240人程度か・・。」
すると傍らから家内が「誰が1か月に千円も出す人がいるもんですか、せいぜい500円がいいところじゃない」と主婦感覚を発揮する。
どなたか、ビジネスチャンスとして始めませんか。
もちろん根底には「落ち目のオーディオ」を盛り上げ、ひいては「音楽&オーディオ」を通じて豊かな心と潤いのある社会づくりに寄与することは論を待ちませんがね(笑)。
で、広報はこのブログにお任せくださいな。こんな拙いブログでも1日当たり800人程度の読者がおられますからね、アハハ。
閑話休題。
父娘そろって大の「ミステリファン」だが、今年も娘が「このミステリがすごい!」を持って帰ってきた。
国内編と海外編に分けて年間のベスト20までが紹介されている。
いつも上位で紹介されたミステリをチェックして大いに参考にさせてもらっているが、物事にはすべて「当たりはずれ」があるようにミステリも例外ではなく、下位の順位でも逆転現象があったりするので図書館でたまたま見かけたら借りることにしている。
とりあえず「ベスト5」を紹介しておこう。
<国内編のベスト5>
1位 「爆弾」(呉 勝浩)
2位 「名探偵のいけにえ」(白井 智之)
3位 「捜査線上の夕映え」 (有栖川有栖)
4位 「方舟」 (夕木 春央)
5位 「プリンシパル」 (長浦 京)
次に<海外編のベスト5>
1位 「われら闇より天を見る」 クリス・ウィタカー
2位 「殺しへのライン」 アンソニーー・ホロヴィッツ
3位 「ポピーのためにできること」 ジャニス・ハレット
4位 「名探偵と海の悪魔」 スチュアート・タートン
5位 「優等生は探偵に向かない」 ホリー・ジャクソン
この中では、すでに国内編の2位「名探偵のいけにえ」を読んでいるが、あまりピンと来なかった記憶がある。ブログにも取り上げなかったくらいだから~。
ただし権威に弱いので、これが2位かと思って読めば面白いかもしれない。機会があれば再読してみよう。
オーディオ・ブランドを盲信するのと一緒だね、これは~(笑)。
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「1年の計は元旦にあり」という言葉があるが、近年は情報が溢れるとともにハイスピードの世の中になったせいか「そんな1年も先の悠長なことは言ってられないよ」とばかりに、かなり「死語」化しているように思う。
とはいえ、我が家の「時間軸」ではまだこの言葉が立派に生きているので、年頭にあたって今年の「オーディオ展望」を音の「入り口」から「出口」まで見渡してみよう。
ただし、「オークション」で「掘り出し物」が見つかれば見境なくバッタのように飛びつくので「成り行き任せ」みたいなところがありますけどね(笑)。
それでは、まず微小電流を扱う音の入り口から。
✰ 音の入り口
我が家の音の「入口」は現在「パソコン」「CDトラポ」「ブルーレイ」(収録したCD)と3つある。
朝の起き抜けはパソコンによるネットラジオで「オペラ専門チャンネル」を聴き、一段落したらドラマやスポーツ中継などを含んで「ブルーレイ」が主流となり、お客さんが見えたときには「CDトラポ」の出番といったパタ~ン。
3者の中で首を傾げるほどの「音の差」はないので、どうしても便利さの方を優先してCDトラポが遅れをとっている感じ。
たしかにハイレゾの時代に今さら「CDトラポ」でもあるまいと思うし、実際に高級な「CDトラポ」の新製品がまったく出回らなくなっている。
ただし、長年の習慣で「回りもの」が無いと寂しい気持ちがするのも事実なので(CDトラポは)新規購入はしないまでも故障したら即修理という態勢だ。
現用の「CDトラポ」はCECの「TL3 3.0」(ベルトドライブ方式)でほぼ満足している。もう1台の「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)の方は一昨年修理を終えて戻ってきたもののスペアという感じ。
ブルーレイの場合は曲目の頭出しがリモコンで自由自在なので重宝している。仲間からしきりに煽られているのが「ブルーレイをグレードアップしましょうよ」。
現用中の「ブルーレイ」は「光端子」出力が無いので「HDMI」端子でいったんテレビに放り込んでから音出ししているので、迂回路が無くなればもっと「いい音」になるはずというわけ。
ソニー製のテレビ(55インチ)を使っているが、「パナソニック」のブルーレイでも相性が良さそう。
✰ DAコンバーター
周知のとおり、デジタル・オーディオの要となる機器である。
現用中の機器は3台あって「エルガー プラス」(英国:dCS) と「HD-7A192」(フェイズメーション)、そして2021年の夏に仲間入りした「A22」(GUSTARD)。
「旧型2台」と「新鋭1台」の対決の構図だが、新鋭を黄金ヒューズに代えてから旧型の出番がめっきり減ってきた。ちなみに「A22」の電源ケーブルはPADの「ドミナス」をあてがっている。
3台ともにテレビからの「光端子」を3分割して繋いでおり、すべて瞬時にプリアンプで切り替えることが出来るが、中国製は安価と引き換えに故障したときが不安で、いったい修理をどこに頼めばいいのか、というわけで他のDACを迂闊に処分できない。
✰ プリアンプ・パワーアンプ
音の増幅部分に当たるが、今のところ台数に不足はないし、性能的にもさしたる不満はないので新規購入はまったく考えてない。
むしろ、その逆でぼちぼち縮小整理する方向で考えているが、どれも愛着があってなかなか・・(笑)。
✰ スピーカー
最後はオーディオの「華」ともいえるスピーカー。ここを代えると本質的に音が様変わりするので一番味わい深いところ。
ただし、今のところ特に欲しいと思うものが無いのがちょっと淋しい。
7系統のスピーカーとも満足度はハイレベルで、これ以上欲張るとオーディオの神様から罰が当たりそうな気がしている(笑)。
というわけで、今年は万一故障したときの対応に終わりそうです。
いずれにしても、オーディオ機器の存在を意識させず、音楽に純粋に浸れるシステムこそが望むまれるところです。
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昨日(1日)頂いた年賀状の中で「後期高齢者」を、あえて「高貴高齢者」と表現したのがあって、思わず笑っちゃいました!
たしかに、75歳以上は保険の負担が割増されるなどで「高貴」な存在かもですねえ。
さて、ここ4年ほどのことだが年始になると「新春初夢物語」と題して同じ内容を繰り返して投稿している。
大半の方が「忘却の彼方」だろうから今年も懲りずに以下の通り投稿させてもらおう。
「継続は力なり」ですからね(笑)。
大好きな音楽がより身近にそしてより魅力的な存在になるかどうか、それはひとえに「オーディオシステム」のレベルにかかっているといっても過言ではあるまい。
そういう点でオーディオシステムの責任は重いが、それは本人の熱意はもとより、ある程度「情報網」で成り立っているという事実も争えないところ。
たとえば、その源としてのオーディオ専門誌、ブログ、仲間などが挙げられるが、やはり「百見は一聴に如かず」で実際に現場で聴かせてもらうのがいちばん有効ではなかろうか。
そこで、少しでも現場体験を得るにはどうしたらいいか、その「仕組み」づくりとやらを卒爾ながら提案してみよう。
それは、一言でいえば「全国のオーディオ愛好家のネットワークづくり」である。
自分の好きな音楽を少しでも「気に入った音で聴きたい」と、オーディオシステムを熱心に弄るのが「オーディオ愛好家」だとすれば、出来るだけ自分の殻に閉じこもらず広く他人のシステムを訪ね歩いて聴かせてもらい自らの「糧」にするのが一番望ましいし、効率的だ。
もちろん、日頃とはまったく違う音質に接することも参考になるが、システム構築のノウハウの情報交換もたいへん貴重だと思う。
つまり、国内を観光旅行する機会があればその傍ら、そういった見ず知らずのオーディオ愛好家を気軽に訪問して聴かせてもらう交流の仕組みがあってもいいと思う。
そのための「ネットワークづくり」となる。
具体的には、まず「協会」をつくって事務局を置く。オーディオ訪問を希望する側と受け入れ可能側の両方の登録(身元確認)を行っておく。基本的に「やり取り」はすべてメールだ。
登録料は千円ぐらいとする。
具体的なやり取りは次のようになる。
1 事務局あてにメールが届く。「今度、〇〇方面に観光旅行に行くのですが、試聴可能の愛好家がおりますか。」
2 「ハイ、事務局です。3名の方が登録されています。好きな音楽のジャンル、システムの概要、部屋の大きさなどはそれぞれ次のようになっています」と申し込み者に提示。
3 訪問者側から「検討の結果、AさんとBさん宅に訪問したいのですが」と、メール。
4 それではAさん、Bさんのメルアドを教えますので訪問日時などは具体的に双方で連絡し合って決めてください。
試聴料ですが、基本的には試聴1回当たり2時間として2千円です。二人で訪問のときは1.5倍、三人の場合は2倍になります。当日、その場で受け入れ側にお支払いください。
時間超過や繰り返しの訪問時のケースは双方でご納得のうえ決めてください。
5 訪問終了後に双方の側から相手の印象度について「総合評価」(5点満点)を事務局あていただく。
「5点」非常に良い 「4点」良い 「3点」普通 「2点」悪い 「1点」非常に悪い
「2点」以下が2回に達した者は会費返還のうえ登録抹消とする。
とまあ、かなりいいアイデアだと自惚れているが一番大切なことを忘れていた。
誰がこんな「1円の得にもならない」仕組みの実行人になるんだろうか(笑)。
ヤル気のある「メーカー」さんか「オーディオショップ」さんとか、どっかいないかな~。機器の売り上げにも貢献できると思うんだけどなあ。
ちなみに、過去の「反響」はまったくありませんでした(笑)。
さらに、今年は”もう少しグレードアップ”してみようかな。
まず「音楽&オーディオ協会」を設立する。目的は音楽&オーディオを通じて豊かな心と潤いのある社会づくりに貢献する。
仕事の内容は、前述のネットワークづくりに加えて、物故した愛好家のオーディオ機器やソフト(レコードやCD)を遺族の求めに応じて、オークションに出品する手続きを代行する。
というもの。
こういう協会があったら、後顧の憂いなく命尽きる間際まで「音楽&オーディオ」を愉しめるんと思うんだけどなあ~(笑)。
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新年あけましておめでとうございます
卯年はどんな年
卯(うさぎ)は穏やかで温厚な性質であることから、「家内安全」な意味を示します。 また、その跳び姿から「飛躍」、「向上」を象徴するから親しまれてきました。 他にも草木が地面を蔽うようになった状態を表していますので、新しいことに挑戦するのに最適な年と言われています。
とても穏やかな天気のもとで新年を迎えられたが、午前中に行く神社で次の願い事をする積り。
「世界平和」とか「コロナ終焉」とか、大それたことは止めておきます(笑)。
✰ 家族全員が健康でありますように
✰ クルマがらみで「無事故」「無違反」でありますように
✰ 音楽&オーディオがもっと前進しますように
✰ 面白い本に出会えますように
✰ MLBの大谷選手ほか日本人選手がもっと活躍しますように
☆ ブログが質量ともに充実しますように、ついでに人気の方も~(笑)
最後に、今年もよろしくお願いします。
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