前回からの続きです。
今回のお客さんお二人のうち「Y」さんは「ジャンルを問わず何でも聴きますよ」という方だったが、「U」さんはジャズ・オンリーの方のようである。我が家のシステムは完全にクラシック向きなので内心、トホホ~。
中高音域を受け持つSPユニット「AXIOM80」は、しなやかさの面ではGOODだが、”ガツン”と来るアタック音の力強さや音の厚みという点ではチョット物足りない。ジャズにもっとも必要な「力強いスイング感」に欠けるという意味で明らかにジャズ向きではない。
はたして専門家の耳に我が家で鳴らすジャズはどう聴こえるんだろうと、ホリー・コールの「temptation」、アート・ペッパーの「meets THE Rhythm Section」(ビクター xrcd盤)、そして我が家の試聴用リファレンスとなっているソニー・ロリンズの「SAXOPHONE COLOSSUS」(ビクター xrcd盤、以下、「サキコロ」)を次々にかけてみた。
そういえば、サキコロに関して9/29に奈良のMさんからメールが入ってきたのを思い出した。
「近くの開放倉庫店で偶然見つけました。半額セールでもジャズ盤はいい値段で、7,000円の半額3,500円でした。レコードのタスキには2,200円の定価表示、〇〇さんが試聴用リファレンスにされているとのことで購入しました。3曲目のストロード・ロードが気に入りました。モノラルもまた良いものですね!!」
「サキコロがそんなに安かったとは驚きです。実にいい買い物をされましたね。流石に”ゲルダー”の名録音となるとステレオとかモノラルとか、もう次元を越えてますね。むしろモノラルの方が聴きやすいみたいです。」と、すぐに返信したがサキコロをいずれレコードで聴いてみたいという誘惑にはとても抗いきれそうにない。
さて、ジャズの次は再びクラシックに戻ってヒラリー・ハーンの「プレイズ・バッハ」(ヴァイオリン)、内田光子さんの「ピアノ・ソナタ30番~32番」(ベートーヴェン)。
最後に映像の視聴に移って「クラシカ・ジャパン」(CS放送)で録画したムター女史の「ヴィオリン・ソナタ」(モーツァルト)を鑑賞してもらった。
時間はあっという間に流れていって、もうお昼どき~。
お二人とも、具体的に我が家の音に言及されることは無かったが、きわめて「実験的なシステム」だとの感想をお持ちになったことは間違いない。試聴席が暖まらないほどと言っても過言ではないほどシステムをしげしげと、そして珍しげに見て回っておられた。
そういえば我が家のシステムは音の入り口に当たるデジタル系の機器を除いて、すべて既製品を改造したり他人に作ってもらったり、そして独自に編成したものばかりなので市販品のままなのは一つもない。初めての方にはいかにも異質な印象を与えたことだろう。
ここで、手前勝手なオーディオ論をひとくさり。チョット堅苦しくなるがまあ、聞いて欲しい。
メーカー既成の製品を最上のものとしてそのまま使うのか、あるいはためらわずに改造しようとするのか、さらに大げさに言えば初めから(性能に対して)疑惑の眼(まなこ)を向けるのか、いずれの姿勢を選択するかでオーディオに対するアプローチは随分違ってくるように思う。
もちろんどちらが”いい”とか”悪い”とかいうことではないし、双方にそれぞれ言い分があると思うが、自分はここ10年ばかり明らかに後者の立場をとっている。
正直言って音楽に興味のない連中が機械的に作った可能性がある既製品はどうも信用する気になれない。もちろん中には誠実な製品もあるだろうし、あくまでも確率の問題として考えるべきなのは分かっている。それに、定評のあるメーカーであればまず間違いないのだろうが、それでも信頼のおける製作者が手を加えた製品や自作の方が安心して使用できるから、こればかりはどうしようもない。
オーディオ機器への信頼の目安を思いつくままに挙げてみると、「ブランド」、「価格」、「オーディオ評論家の意見」、「世間の評判」、「信頼できる知人・友人の薦め」、「実際に試聴してみた結果」のいずれかだろうが、おそらくプライオリティはそれぞれ人によって違うことだろう。
これまで散々失敗してきた経験から言わせてもらうと、つくづくオーディオに権威主義は必要ないと思っている。どんなに一流のブランドでも好みの音を出してくれない機器に対して無理に自分から寄り添っていく必要は毛頭ないし、そういうときは思い切って機器をいじって自分の好みに持っていく方がいいのではあるまいか。もちろん失敗する可能性もあるので修復できる範囲という条件付き。
オーディオ製品は明らかに一般的な工業製品とは違う役割を担っている。それは電気回路を通して音楽を創りだしハーモニーを奏でて人間の心の中に奥深く潜む情感を揺り動かすという極めてデリケートな役目である。そもそも機器に血が通ってなければ人間のハートを動かすなんてとても無理な相談。
「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きているのだ。」(村上春樹著「意味がなければスイングはない」)
いつも自分の世界に閉じこもって黙々と取り組んでいるオーディオだが、日頃の自己勝手流を客観的に眺める機会を得られたのは今回の収穫だった。
どうやらオーディオの世界に限っては「文明の衝突」(サミュエル・P・ハンチントン教授、著)は有意義のようである。
「Y」さんには我が家にわざわざ来ていただいたので、今度はこちらから7日(日)の午後に湯布院のAさんともども訪問させていただくことになった。アキュフェーズの高級システムに加えてフルートの音色も楽しみだが、自宅からクルマでわずか10分ぐらいのところだから大いに助かる。