「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「楽隠居」と「素(す)隠居」

2012年10月14日 | 独り言

このたびの山中教授の「ノーベル賞」(医学・生理学部門)受賞は久しぶりに明るい話題。

万能とされるIPS細胞が難病治療に応用できるようになるのは、遅かれ早かれ時間の問題と言っていいだろうが、こういう恩恵を日本にことさら無理難題をふっかけるアジアの某国にだけ利用できないようにする手立てはないものかな~(笑)。

気取ることなく、人柄の良さそうな同教授の喜びのインタビューを観ていたら、「10回のうち9回は失敗する、それでもくじけない」という趣旨のことを仰っていた。「根気が大切」ということなんだろうが、一方では、9回も失敗してそれが許される環境というのも非常に大切だという気がした。

「物事の本質」というと大げさだが、それに類するものをある程度極めていくためには、何といっても能力と情熱だろうが、それに加えて時間的、心理的なゆとりも必要なのではあるまいか。


ノーベル賞を引き合いに出すのはおこがましいが、文化的な分野においても同じことが言えそうな気がする。

一昨日(10月12日)のNHK-BSハイで「伊能忠敬~国の要・日本地図への挑戦~」という番組をやってた。

周知のとおり、伊能忠敬(いのう ただたか)は、婿養子として入った下総の造り酒屋で財を成した後、50歳であっさり身代を後継者に譲って隠居生活に入り、その後は江戸に出て大好きな天文学に打ち込み、その知識を応用して56歳から72歳まで、ほぼ日本全国を踏破して測量したうえで画期的な日本地図を完成させた。

踏破した距離はおよそ4万キロでほぼ地球一周分。

当時(江戸時代後期)の欧米列強は未開の中国をはじめアジア諸国を次々に植民地化同然のことをしていったが、日本だけはそれをためらわせるものがあったという。その要因の一つとして当時としては画期的な日本地図があったことが挙げられると番組の中で言っていた。

来日した欧米人は日本地図の精密さに驚嘆したそうだが、それはいわば文明的に自立できる国民の証明みたいなもので、日本を尊敬させた地図として伊能忠敬の功績は実に大きい。

番組の解説者によると「当時、浮世絵を始め世界に冠たる江戸の絢爛たる文化を担っていたのは市井の民だが、その中で大切な役割を果たしていたのが隠居だった。侍の場合は隠居料が支払われ、町民の場合は隠居するときに取り分が保証されていた。時代的に自由さを許す許容度がそのまま文化度に繋がっていた」

          


北斎しかり、広重だって画業に専念できる隠居同然の身分だったし、それこそ伊能忠敬みたいな隠居が市井には溢れていて、何かにつけ、実際に手と足を動かし、口うるさく講釈を垂れていたことだろう。

毎日、きまった仕事に追われることがない、子供も成長して家族の世話をしなくていい、暇をたっぷり持て余して金儲けを考えずに好きなことに没頭できる隠居たち。時間的、心理的なゆとりに恵まれていたことは言うまでもない。

現代に当てはめてみると、定年退職後の団塊の世代がそうである。能力は別として経験と知識はあるんだから、もっと世の中に貢献するような文化的パワーの創造と発揮が出来ないものかといつも思う。

さて、そういう隠居さんにも「楽(らく)隠居」「素(す)隠居」とがあり、「楽隠居」とはお金持ちの隠居のことであり、「素隠居」とはお金がない隠居を言うそうな。

たとえば広辞苑によると、「素」という言葉は「素顔」「素手」とあるように「ありのまま」という意味があり、さらに軽蔑の意味を込めて”みすぼらしい”とあって、「素寒貧」(すかんぴん)、「素浪人」などという用語例がある。

はたして自分は「楽隠居」と「素隠居」のどっちなんだろう?

もちろん、乏しい年金生活なので「素隠居」に決まっている!(笑)。

 


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