昨日(19日)は恒例の定期検診日だったので猛暑の中、午前と午後に分けてお医者さん巡り。
午前中は内科だったが、恒例の血糖値の検査の結果は前回の「HBA1C=7.0」に対して「6.9」と、またもや改善していた。注射を打たないで内服薬だけでこの結果ですからねえ。
改めて、くどいようだがコロナ禍によって「スポーツジム閉鎖」のため仕方なく始めた「坂道ウォーキング」の効果は測り知れないほどで、まさに、「禍転じて福」となる!
「ずっとこの調子で!」と、お医者さんも太鼓判を押してくれた。
この話を「同病相哀れむ仲」の姉(福岡市)にしたところ、「香港在住者の長生きは有名だけど、その原因の一つに挙げられているのはとても坂道が多くて心臓が鍛えられているからだそうよ」。
なるほどねえ。とはいえ、むやみな長生願望も考え物だが(笑)。
話は戻って、「先生、最近左足の親指の付け根が痛いんですが」と言って、実際に靴下を脱いで患部を見せたところ、少し赤くなって腫れていた。
「これは痛風かもしれないよ!最近酒量が増えたということはありませんか?」「いやあ、実はちょっと思い当たります・・」「そうでしょう。これからしばらく飲酒を控えてください。湿布薬を出しておきます。」とのご託宣。
そして、午後は整形外科へ。
ここでも馴染みの医師に「先生、左足の・・・」と患部を見せたところ、「これは痛風ではありませんよ。赤くなっているのは歩行の際に靴と擦れたときの摩擦のせいでしょう。外反母趾で骨が変形しているかもしれませんので念のためレントゲンをとってみましょう。」
その結果、「骨は変形していないようです。だいたい1日どのくらい歩いているんですか?」
「ハイ、1日に1万2千歩くらいは歩いてます」
「そんなに歩いているんですか!えらい健康的ですね。」
「はい、“歩かないと死ぬ”という覚悟で歩いてます(笑)。しかし、どうして左足だけ悪くなるんでしょう?」
「歩くときに自然と左側に重心がかかっているせいでしょう。どうしても個人差がありますが、○○さんは極端のようですね。これからは足の形にあった靴を履くことが大事ですね。適切なインナーソール(中敷き)を入れて足の甲を高くすると負担が少なくなりますよ。」
「ハイ、わかりました」
それにしても、同じひとつの身体なのに左と右とでどうしてこうも重心が違うのだろうか。
ふと、ずっと以前に「左と右の違い」についてブログで薀蓄を傾けた記憶が蘇った。大半の方が忘却の彼方だろうから、以下、再掲してみよう。
私たちの日常生活の中であらゆる場面に影響を及ぼしている「左」と「右」との区分。
日頃、当たり前のことと受け止めて特に意識することはないが改めてその意義に気付かせてくれたのが次の本。
著者は「小沢康甫」(おざわ やすとし)氏。
民間企業の勤務経験を持つごく普通の方で学者さんではない。個人的な興味のもとに長いこと「左右の探求」を両脇に抱え込んで「病膏肓」(やまいこうこう)に入られた方である。
とにかくあらゆる分野にわたって「左」と「右」の概念が追求される。たとえば、「衣服の右前・左前」「男雛・女雛の並べ方」「野球の走者はなぜ左回りか」「人は右、車は左」「イスラムの右優越」など。
とても全部を紹介しきれないので興味を覚えた部分をごく一部抜粋してみた。
☆ 語源を探る
「右」は ”口”と”ナ”からなり、「口を使い、手を用いて相助ける意」。のちに”佑”(助ける)が本義となり「右」は単なる右手の意となる。
熟語として「天佑」「佑筆(貴人のそばで文書を書く人)」など。
「左」は 工具の意を表す「工」と”ナ”からなる。のちに”佐”(助ける)が本義となる。工具を左手に持って仕事を助ける意。
熟語として「補佐」「佐幕」。
筆者註:こうしてみると我が県のお隣の「佐賀県」という県名はたいへん語源がいい。「賀(祝うこと)」を「佐〔助ける)」とある。それに比べてわが大分県は「滑って転んで大痛県」と揶揄されるのが関の山!(笑)
左右はとかく左翼・右翼のように対立の関係で捉えられがちだが語源をたずねると左右双方から人や物事を助けていく、或いは左右相補ってことが進む点にこそ真骨頂がある。
次に、言い回しの由来を記してみよう。
☆ 左うちわ
安楽な暮らしのたとえ。利き手でない左手で仰ぐと力が弱く、いかにもゆったりしている。そこから差し迫っていない、余裕のある暮らしに意味を通わせた。同様の例として、最も信頼する有力な部下を指す「右腕」がある。
☆ トラック競技の左回り
現在、陸上競技の競争は「規則」により「走ったり歩いたりする方向は、左手が内側になるようにする」とある。
根拠は不明だが有力な説が7つほどあって、そのうちの一つがこれ。
男性の場合、「睾丸」の左右のうち左の方が低い位置にあり、心臓が左によっていることもあって重心は左にかかる。走るには重心寄りに、つまり左に回った方が楽。
男性にとって日頃まったく意識しない「睾丸」の左右の違いを指摘されて本当に「目からウロコ」だが、これについては別項の「人体ウォッチング」にも次のようにある。
「睾丸」は一般に左の方が右よりも低い位置にある。大島清氏(生殖生理学)によると、その率は日本人で75%、米国人で65%。
その理由をこう述べる。
大半の人は右利き、つまり左脳優位であり右の挙睾筋〔睾丸を上げる筋肉)を収縮させるので右の睾丸が吊上がり、左側が相対的に下がった状態になる。つまり、左右の脳に差のあることが睾丸の高さの左右差をつくり、歩いても走っても激しい運動をしても、睾丸同士が衝突しないようにできている。
左右の睾丸が重なったりぶつかったりすれば、双方とも傷つく恐れがある。睾丸は精子の製造工場だから、これは由々しき一大事。左右差は子孫を残すための「天の配剤」といえる。
以上のとおり、本書は「左右」学の薀蓄(うんちく)極まるところ、通常まったく意識しない人体の微小な差異にまで及び、まことに新鮮味があって面白かった。
というわけで、自分の場合(右利き)も含めて男性たるものどうして左足に重心がかかるのか疑問が氷解した次第(笑)。
この内容に共感された方は励ましのクリックを →