「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

政治とカネ、そして「天敵」の存在

2024年03月19日 | 独り言

☆ 政治とカネ

周知のとおり、現在自民党は「パーティー券の還流疑惑」で、 てんやわんや の大騒ぎです~。

いったい、そういう くすねたお金 をどこにどう使ったのだろうか。そもそも、政治になぜそんなにお金がかかるんだろう?

以前、このブログで取り上げたが、霞が関の現役官僚が覆面で書いたとされる「原発 ホワイトアウト」の中で、昨今2世代議士たちが多くなったとあり、それには功罪あるけれども、お金の心配をしなくていいので政策に没頭できる利点があると書いてあった。

周知のとおり「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちると ただの人 」という言葉がある。厳しい選挙に勝ち抜いてようやく「代議士=先生」になったものの、次回の選挙でもしかして落選するかもしれないという恐怖心は余人にはとうてい計り難いものがあるのだろう。

したがって、国策よりもむしろ地元対策に余念がないのは容易に想像できるし、そのためには先立つものが要るというわけだが、「具体的なお金の使い道となると、いったい何だろう・・」というわけでネットでググってみるとこういう事例があった。

「ある代議士の後援会の収支報告書では、約2886万の支出。事務所費約702万・宣伝事業費約614万・人件費約521万・パーティー開催事業費約321万…ポスターやチラシを作るのも、パーティーで金を集めるのも、カネ・カネ・カネなんです。マスコミにたびたび登場するひとでさえコレなので、無名の新人を多数立候補させ、自分の派閥(グループ)に入れようとしたら、億単位の銭…それが現実です。」

現在、代議士については必要な経費の一部をたしか国が負担しているはずだが、それではとうてい足りないのだろう。

ここはひとつ、せっかく代表として選ばれた代議士さんたちだから純粋に国策に打ち込めるような環境整備をしてあげるのが一番だと思う。

そこで提案。

国が経費を現在の2倍負担する代わりに、代議士の定数を半分にしたらどうだろうか。もし、それがダメなら有害無益な参議院をいっそのこと廃止したらいいと思うがどうだろうか。ちょっと短絡的かな~(笑)。

☆ 「天敵の存在」

「丹羽 宇一郎」氏といえば、伊藤忠商事の会長を経て、中国大使(民主党時代)を務められた方。会長当時は通勤には地下鉄を使い、乗っているクルマは「カローラ」という極めてユニークな方である。まるで「古武士」の風格を感じさせるような人物・・。

いつぞやの新聞に「のほほん天国 日本」と題して、寄稿されていたので紹介しよう。

「このほど米国の首都ワシントンとニューヨークを訪問してきた。もっぱら学者と政治家にあったが、その時に話したのが、ナマコとカニをめぐる次のような日本の言い伝えだ。

ナマコは弱りやすく漁師が沖合で捕っても港へ着くまでにほとんど死んでしまうが、そのナマコの群れの中にカニを1匹入れておくと、生きたまま持ち帰れるという。なぜか。

カニはナマコの天敵に当たり、緊張するため死なないといわれている。科学的にはナマコの天敵はカニではないようだが、 “何事も新鮮であり続けるためには天敵が必要” とのたとえ話として彼らに紹介した。」

この話の流れは、ソ連の崩壊とともに資本主義へのチェック機能が働かなくなり、リーマンショックをはじめとする金融危機などの暴走が始まったことにあるのだが、これを現代の日本になぞらえると「天敵=カニ」に当たるのは中国ではあるまいか。

我が国の領土「尖閣諸島」へのしつこい執着、在留邦人のスパイ容疑の逮捕、それに「原発処理水」についての科学的根拠のないイチャモンは目に余るものがある。

多くの国民がまったく「厄介な隣人だ!」と、心理的にくたびれているのは想像に難くないですね。

しかし、モノは考えようでこういう「天敵」のおかげで日本は絶え間ない緊張感のもとでモチベーションが維持できるとしたら、(天敵の存在は)かえっていいことなのかもしれないと上記の丹羽さんの寄稿を読んで思った次第。

次に、この話を身近なレベルに降ろしてみよう。

組織で仕事をしたことのある人ならお分かりのとおり、中間管理職というものは上役と部下の板挟みになる厄介なポストだが、不思議なことに両方に恵まれることはまずない。

人事異動のたびに経験したが、何かしら歯が合わずムシの好かない輩が上役や部下のうちのどちらかに必ず居るものである(笑)。


しかし、振り返ってみるとたいして偉くもならなかったが、気の緩みから大きなポカをしなくて済んだのもそういう連中のおかげだったのかもしれないと思う今日この頃。

したがって、もし組織の中で現在働いている方で周囲に「天敵」がいるとするなら、ここはひとつ前向きに考えることも一つの方法ですよ~。もちろん “度が過ぎる天敵” ともなると別問題でしょうが・・。

たしか司馬遼太郎さんの著作「翔ぶが如く」だったと思うが鹿児島の方言で「泣こかい、飛ぼかい、泣くよかひっ飛べ」という言葉が出てくる。

つまり「泣き寝入りするよりも立ち向かっていけ」ということだが、「飛ぶ」は「逃げるのもあり」かもしれませんね・・(笑)。


アッ、そういえば我が家にも “度が過ぎる天敵” がいた!

おかげさまで「緊張と闘争」の毎日が続いて、いつもフレッシュ状態ですぞ(笑)。



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