「河合隼雄(かわい はやお)」さんといえば日本におけるユング心理学の第一人者であり、「京都大学教授」→「文化庁長官」として活躍された方。
2007年に長官として在職中に「脳梗塞」で急逝された(享年79歳)が、自分と肌合いがいいというのか、この人が書いた著作はいつも心情的にピッタリ来るので畏敬の念を持っている存在。
とりわけ記憶に残っている言葉が「一流の芸術はその底流に死を内在させている」。
で、図書館で気に入った新刊が見つからないときに、遠方の大型書店まで足を延ばすことがあるが、河合さんの著作が目に入るとつい買ってしまう。
「老い先」が短いんだから、これ以上蔵書は増やしたくないんだけどなあ~(笑)。
そういう河合さんだが、このほど図書館の新刊コーナーで特集を発見!
まさに「猫に小判」いや「猫に鰹節」かな~。
じっくり熟読玩味し「拳拳服膺」(けんけんふくよう)させてもらうつもりだが、その中に「一枚のCDーバッハ フルートソナタ集 」という小節があった。
クラシック音楽のエッセイとしても見逃せないので記録しておこう。
「忙しくて、音楽会はおろかCDを聴いている時間もあまりない、というのが実状で、まことに情けないことである。
自分がフルートを吹くのでやはりフルートの曲を聴くことが多い。以前は自己嫌悪に陥るので、むしろフルート曲は敬遠していたが、最近は心境が変化して、よく聴く。その中でもいちばんよく聴くのが、このCDであろう。
バッハは大好きである。ロマン派の音楽と違って聞くともなく聞く、ほかのことをしながら聞く、一心に聴く、などどんなときにでもお構いなく、ちゃんとたましいに響いてくるものがある。
これに収録されている十一の曲の中には、最近の研究によって、大バッハのものではないと言われているものがあるそうだが私にとっては、あまり関係がない。すべてバッハで結構と思える。
ランパルの演奏もまた素晴らしい。私はチューリッヒでランパルの演奏を聴いたことがある。チューリッヒの交響楽団とモーツァルトのフルート協奏曲を演奏した後に、アンコールとして、バッハの無伴奏パルティータを吹いた。
さっきまでオーケストラが響いていた空間に、笛一本の音を響かせるが、それがまったく同等の感じとして聴こえてくるのだから大したものである。人間の器量(うつわ)ということを如実に感じさせられた。一人が千人に対応する。
バッハとランパルという組み合わせは、私にとっては最高に感じられる。人間にはたましいは歩かないかとか、たましいとは何かなどとよく訊かれるが、このCDを聴いてください、と言いたいほどである。これを聴くことによって、どれほど癒されるか、計り知れぬものがある。
心理療法をしているとつらい話を聞くことが多い。それを外に出さず一人でかかえていることが大切なのだが、なかなかそれはできないので、スーパーバイザーという人がいる。その人に話を聞いてもらう。それによって支えられて仕事ができる。
ところが、スーパーバイザー自身も耐えられないときがある。そうなると、その人がもっと器量の大きいスーパーバイザーを訪ねてゆく。私はそんな玉突きゲームのいちばん後に立っているような役割なので、「先生のスーパーバイザーは誰ですか」と訊かれるときがある。
私は有難いことにたくさんのスーパーバイザーをもっている。バッハやモーツァルトがそうである。ほかにもあるが、やはりこの二人が私にとっては双璧であろう。
この世では誰にも話せず、墓場にもっていくより仕方のないたくさんの荷物を私はもっている。しかし、有難いことに、これらのスーパーバイザーが私を支え、浄化してくれる。
それらのなかで、ランパルの奏するバッハのフルートソナタが、私にとっては最高のものと言っていいだろう。よいスーパーバイザーに恵まれて有難いことである。」
いいですねえ・・、世に哲学者や評論家は数あれど、クラシック通となると極端に少なくなる。
「ランパル」といえば、モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」があるが、今もって「極めつけの名演」として知られている。
誰しも世知辛い世の中を生きていこうとすると「脛に一つや二つ」以上の傷ができるはず・・、そういうものを癒してくれる「スーパーバイザー」が芸術だなんて最高だと思う。
「筋肉は裏切らない」転じて「芸術は裏切らない」(笑)。
それにしても、クラシックはバッハ、モーツァルト、そしてベートーヴェンに尽きると思うが「ベートーヴェン」が「スーパーバイザー」に入っていないのはどうしたことか。
そのヒントらしきものが文中にあるが、何となくわかる気がする・・。
さて、「You Tube」でさっそく、バッハの「フルートソナタ」を検索したが、残念なことに「ランパル」は見当たらなかった。
仕方がない・・、ネットでさっそく注文しましたぞ~(笑)。
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