「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ヒューマンエラーを防ぐ知恵

2017年12月04日 | 復刻シリーズ

悲惨な事故のきっかけになることが多いヒューマンエラー。人間の「うっかりミス」による悲劇はいまだに後を絶たない。

たとえば乗り物でいえば、自動車のアクセルとブレーキの踏み間違い、飛行機の整備ミスによる墜落や落下物など枚挙にいとまがない。

地震とか台風とかいった自然災害ならともかく、ヒューマンエラーが原因の事故ともなると、加害者も被害者側にとっても悔やんでも悔やみきれないだろう。

このヒューマンエラーをどうやって防げばよいのか。

「ヒューマンエラーを防ぐ知恵」(2007年3月20日、化学同人社刊)   

著者
:中田 亨氏、2001年東京大学大学院工学系研究科博士課程先端学際工学専攻終了。工学博士。

この本は次のエピソードから始まる。

「ある男が避暑のために静かな田舎に引っ越してきた。ところが、早朝に近所のニワトリの鳴き声がうるさくて熟睡できない。そこで男は睡眠薬を買ってきて、ニワトリの餌に混ぜてみた。」

一見冗談のような話だが、この話は原因を除去するという発想に立つことの重要性を説明しており、事故分析と事故予防を考えるうえで大切な教訓を与えている。

この本の構成は次のとおり。

第1章 ヒューマンエラーとは何か
第2章 なぜ事故は起こるのか
第3章 ヒューマンエラー解決法
第4章 事故が起こる前に・・・・ヒューマンエラー防止法
第5章 実践 ヒューマンエラー防止活動
第6章 あなただったらどう考えますか
第7章 学びとヒューマンエラー 

各章ごとの解説は長くなるので省略するが、第6章「あなただったらどう考えますか」に28の事例があり、興味深いと思ったものをいくつか抜粋してみた。

☆ 医師が書いたメモが悪筆で、部下の看護師が読めない場合どうしたらよいか。

まず、なぜ看護師は読めないメモを医師に突き返さないのかと、素朴な疑問を第一の問題の捉え方とする。

医師と看護師の間で権威の落差(権威勾配)が大きすぎることが問題の原因。これでは、たとえメモの問題が解決したとしても権威勾配を背景にした別の事故が起こりかねない。事故防止のためには、たとえ権威のある人でも行動に間違いがあればそれを正す仕組みを作り出す必要がある。

たとえば偉い人の間違いを正す体験や部下に正される体験をする模擬演習が効果的。
偉い先生が「これから私はわざといくつかミスをするので変だと思ったら質問してください。また、私から「やれ」といわれても、不審な点があったら従わないでください」と宣言し、この訓練を年に1回でも実施する。

(こういう模擬演習に協力してくれるような先生なら、そもそも最初から権威勾配なんて起きそうもないがとは筆者の独り言)

☆ 高速道路をオートバイで二人乗りする場合は事故が少ないといわれているが何故か。

緊張感は人間を慎重にさせる。高速道でのバイクの二人乗りは一歩間違えれば危険な状況であり、バイクの運転者は背後の同乗者の命への責任を感じ安全運転を心がける。周りの自動車の運転者も警戒する。

この緊張感に関連して、古典「徒然草」百九段の箇所が有名。「高名の木登り」。

木から下りようとする人を、木登りの名人が監督していた。高くて危ないところでは何も言わず、低いところになってから”注意せよ”と声を掛けた。

緊張のレベルが高い段階では何も言わなくても自分で気をつける、緊張のレベルが下がる局面で油断が生じ、怪我をしやすい。だからそこで声を掛ける。緊張レベルの適正化
は現代の人間工学でも重要事項となっている。

☆ 名前の呪い

専門用語には名前の付け方が不適切なため誤解や事故のもととなることがある。例えば”自閉症”という字面は”自分の殻に閉じこもっている精神症状”と誤解を招く。なぜ、このような呼称になったのか。

専門用語は学問の歴史と密接な関係があり、発見者が命名権をもち、それが名誉となる。このため、研究が未成熟の段階で憶測を含んだ名称をつけてしまうことが頻発する。

つまり命名は名誉や権力の証ということだが、正しい命名法としては客観的で控えめな名前をつけるべきで憶測や価値観を匂わせる名称は控えること。事柄を何かにたとえた名称も避けるべき。たとえば”うどん粉病”はうどん粉とは関係がない。

以上のほかにも、
・自動車の速度計がアナログ方式とデジタル方式のどちらを選択するか
・人気のラーメン店で店頭で順番を待つのとレストランの店内でオーダーをとられて待つのと客の心理はどう違うかなど面白い事例があった。

さて、読後感だが本書の内容は失敗を予防する面からの記述に尽きるが”失敗は成功の母”という言葉にもあるように、世の中には実際に失敗してこそ成長の糧となるケースも多々あるのは周知のとおり。

卑近な例だが自分も50年近いオーディオ人生の中で数限りない失敗を繰り返し、高~い授業料を払ってきたおかげでどうにか現状の「そこそこの段階」に至った。まあ、けっして自慢できる話ではないが(笑)。

その点、「あとがき」で次のように申し添えてあった。

学 校 → 教えたことを間違えない生徒が有利

社会人 → 間違いをしても原因に気づきその後に生かせるタイプが有利

とあって、「学校での成績が必ずしも社会人としての成功と直結しない」とあった。この辺は実感される方が多いのではあるまいか。

そういえば、「輝かしい学歴と経歴」の持ち主たちが仕出かしたとてつもない失敗事例を思い出した。政策的な失敗は多くの人命の損失、国家の損失につながるのだから、とてもヒューマンエラーで片付けられる次元ではない。

話はあのケネディ政権の時代にさかのぼる。

当時の政権の中枢にいた「一流大学を飛びっきり優秀な成績で卒業し、光り輝く経歴の持ち主」たちが引き起こした「ベトナム戦争」をはじめとした政策の失敗の数々はまだ記憶に新しい。

これらについて鋭く問題提起した本が「ベスト・アンド・ブライテスト」(ハルバースタム著)だが、彼らに欠けていたのは「歴史観と展望力」だと指摘されていた。

「人間の知力とはいったい何か」について深く考えさせられる本である。


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