「現役から退くと、暇を持て余してたいへんだよ。今からでもいいからぜひ何か熱中できる趣味を持っていた方がいいよ~」と、親切な先輩から散々聞かされていたが、いざその身分になってみると「音楽とオーディオ」という趣味をやっているせいで、時間がいくらあっても足りないほどでつくづく恵まれていると思っている。
この趣味はあまりにも面白くて魅力的すぎる!
ただ、その結果、一時的なフィーバーから身分不相応の”とんでもない”高額の機器を買いたくなったりするので、そういうときはちょっと熱を冷ます工夫が必要である。
これまでを振り返ってみて自分の経験でいえば、無理して購入するよりも後になって「購入しないでよかった、助かった」と思うことのほうが多かった。
欲しくて欲しくてたまらなくなったときには、以前は「魚釣り」に行ったりして自分の気分を紛らわせていたものだが、近年は何となく「魚釣り」も億劫になりつつあって困っている。
あれは不思議なもので一度行くと病み付きになって次々に行きだすのだが、行かないとなるとパタリと途切れてそれがずっと続く。「釣り紀行」が中断してからもう2年半が経過している。
やはり家庭内で手軽に楽しめる趣味は間断なく長続きするというわけだが、若い頃の情熱ほどではないが今でも欲しくてたまらないものが2~3つあるので、なるべく意識して、本を読んだり、テレビを観たりして幅広く「ムダ知識」の取得にも精をだし、趣味の振幅を広げることにしている。
そういうわけで、前置きが長くなったが今回は久しぶりに肩の凝らない「雑学」を四題ほどご提供。
☆ 左腕投手をなぜ「サウスポー」と呼ぶのか
左利きの投手のことをサウスポー(southpaw)といい、左利きのボクサーもそのようにいう。サウス(south)は「南」、ポー(paw)は「手」を意味する。
それがどうして「左利き」になるのか。
サウスポーという言葉は19世紀末、アメリカの野球から生まれたものだった。その由来については二つの説がある。
まず一番目の説はかってアメリカのプロ野球では、南部出身の投手に左利きが多かったそうで、そこからこの言葉が起こったという。
二番目の説は、シカゴの野球場に由来するという説。その野球場は打者の目にまぶしい夕日が当たらないように、本塁が西側にあり、投手は東の方角から投球した。そうすると、左腕投手がボールを投げるとき、利き腕(左腕)が南に向くことになる。
そこから左腕投手のことをサウスポー(南の手)と呼ぶようになったという。果たしてどちらが正解なのだろう。
☆ 「スクール」は暇人が行くところ
英語のスクール(school)は、江戸時代には「書塾」「学習処」「稽古所」などと訳されていた。それを「学校」と訳するようになったのは、明治時代になってから。
もともとスクールとは古代ギリシア人にとっては暇つぶしの場であった。
スクール(school)の語源をたどっていくと、ギリシア語のスコーレ(schole)に行き着くがそのスコーレの意味は「暇、余暇」。
そこには「学ぶ」という意味はなかった。それがどうして「学校」という意味になったのか。古代ギリシアでは肉体労働は奴隷に任せ、学者や芸術家などの文化人や裕福な市民たちは暇を有意義に使って哲学や芸術などについて議論したりした。
そこからスコーレは「学問をするための暇」→「学問をする場所」に転じ、さらに「学校」という意味を持つようになった。そしてスコーレをもとに、英語のスクールが生まれた。
☆ 「コーチ」は本来、馬車のこと
スポーツなどの技術の指導や訓練をすること、またはその人のことをコーチ(coach)という。しかし、それはコーチの本来の意味ではない。英語のcoachは、もともとは馬車をいう言葉であった。
15世紀、ハンガリーの首都ブダペストの近くのコーチという町で乗り心地のよい馬車(4頭立て4輪馬車)が作られ、ヨーロッパ中に広まり英語ではそれをコーチ(coach)といった。
それがのちに「家庭教師」「指導者」と言う意味にも用いられるようになる。それはどうしてか。
馬車(コーチ)は人を早く目的地へ運んでくれる。家庭教師の役割は教え子を訓練・指導して目的地(目標)へ連れていくこと。あるいは、馬車を走らせるには御者は相当の訓練・技術を要し勉強を教える家庭教師の役割と同じほど大切である。そんなところから、馬車と家庭教師が結びつくことになり、家庭教師のことをコーチと称するようになった。
そして、さらにスポーツの指導者を意味するようになった。
☆ 「ハンサム」はなぜ”手”と関係があるのか
目鼻だちの良い男、容姿の整った男のことをハンサム(handsome)という。(ただし近年、日本ではイケメンともいうが)。
英語のハンサムは形容詞で「立派な」「端麗な」という意味なのだが、日本語では名詞として用いられている。
handsomeのhandはもちろん「手」のことで、someは適性や傾向などを表わす形容詞語尾で、「~しやすい」「~の傾向がある」という意味。すなわちhandsomeとは「手が~しやすい」「手で扱いやすい」という意味。それがどうして美男子、好男子を意味するようになったのか。
あまり大きいもの、あまりに小さいものは手で扱いにくいし、形がいびつなものも扱いにくい。手で扱いやすいもの、それは形が良くて適当な大きさのものである。
そこから、手で扱いやすいことを意味するhandsomeは、転じて「形が良い」「立派な」→「顔立ちや風采が良い」という意味を持ったわけである。