こんなに人間の平均寿命が長くなると、やはり最後には自分の人生を納得しながらニッコリ笑って死にたいもの。
去る9月に94歳と11か月の長寿をまっとうした母を振り返ってみると、やっぱり「現在」というのが一番大切みたいで、「今さえ良ければ過去は全て帳消し」のような印象を受けた。
あるテレビ番組で「晩年は人生の総決算」で、マラソンを人生にたとえるとヤマ場は後半にありラストで勝負が決まるようなものと言っていたが、その重要な50歳代以降の人生の指針を36名の著名人が記載している本がある。
「一個人主義」(2008.4.25、KKベストセラーズ刊)
それぞれに読み応えがあったが、作家などの自由業が多いためか「人生後半は楽しく遊んだ人の勝ち」みたいな論調が多かった。
たとえば、浅田次郎(作家)さん
「定年まであと何年」と考えるから苦しくなる。「100歳まで生きる」と思い込めば、人生が楽しくなるんです。
次に、大前研一(経営コンサルタント)さん
「50歳になったら成仏して、好きなことだけをやる生き方に目標を変える。」
という具合。
たしかに共感を覚える部分もあるが、後半期になっても人それぞれの環境が違うので、こういう自由人たちの意見を紹介しても意味がなさそう。もっと精神的に指針となる生き方を問いたいものだ。
さて、36人の中で一番印象に残ったのは、「鎌田 實」(医師:諏訪中央病院名誉院長)さんだった。
「どん底の人生でも、投げ出さない人が幸せになれる」と題した小文。ややシリアスな内容だが自らの体験を率直に綴っただけにズシリと心に響いてくるものがある。
~以下引用~。
『人間の中には”獣”がいるって僕はそう思っているんです。実際、僕は18歳のときにオヤジの首に手をかけているんです。
親父はタクシーの運転手をしていて、心臓病を患った女房を抱えて少しでもいい治療を受けさせたい、医療費を稼ごうと苦労して毎日15時間くらい働いていた。家も貧しかった。
高3の春に親父に「大学にいかせてくれ」と言ったら「うちは大学なんかにいかなくていい、いく必要はない」とつっぱねられた。泣きながら何度言っても、ただ「ダメだ」とだけ。理由すら説明してくれない。反対されるなんて考えてもいなかったからたいへんなショック。
だけど夏休みになっても、どうしても進学をあきらめきれなくて・・・。自分の人生だから投げ出すわけにはいかない。もう1回泣きながら、親父と対決するんです。「どうしても大学にいきたいんだ」と言いながら首に手をかけた。でも、締めあげなかった。首をゆすりながら、泣き叫んだんです。
そしたら、親父も泣き出してふたりで床にへたりこんだ。そのあとで親父に言われたんです。「好きなようにしろ。だが、何もしてやれないぞ」「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」と。
昨年の秋、関西で16歳の子が父親の首を斧で切断した事件がありましたがほんのわずかな差なんです、18歳の僕とその16歳の子と・・・。僕にはいまも18歳のときに現われたその獣が潜んでいるんですから。
獣は16歳の子だけじゃなくて、誰にも潜んでいると思うんです。人間の中の獣を暴れさせないために、感動するような音楽や小説、素晴らしい絵があり、いい家族が必要なのではないか。
その獣を暴れさせないための仕組みがもともと日本には豊かにあったのに、地域社会が壊れたし、成果主義を前面に押し出してからますます社会がギスギスしてそのうえ家族までもがうまくいかなくなった・・・。
世の中の獣が暴れださない仕組みがものすごく弱まっていると思うんです。』
~以下略~。
※ 鎌田さんが両親の実子でなかったことをはじめて知るのは35歳のときだった。
さて、「誰にも潜んでいる”獣”」で連想するのが、どなたの記憶にも残っている先年の秋葉原の通り魔殺人事件。7人の犠牲者が出た大惨事である。
加害者は派遣社員で年齢は30歳前後、背景にあるのが家族との断絶、現状に対する不満、将来への不安、ハケ口のなさなどで現代の世相と見事に織り重なっている。
「一体どういう育て方をしたんだ」と親に対する非難の目を向けることはたやすいが、一方では我が子でさえも、置かれた状況によっては心の中に潜んでいた獣性を一気に爆発させる行為をおこす可能性だってなきにしもあらずと、戦慄を覚える向きだってあるかもしれない。
この種の犯罪によって無辜(むこ)の被害者をこれ以上増やさないためにもこういう「人間の中の獣」を暴れさせないための何らかの妙案がないものかとつい考えてしまう。
芸術、文化、スポーツ、読書など何か一つでもいいから熱中できる趣味を持つのが一番ではなかろうか。
昨日(16日)のNHKの人気番組「ためしてガッテン」では誰もが悩む腰痛の原因は意外にも腰ではなくて脳の「側坐核」がストレスで機能しなくなるのが大きな原因だと報じていた。
犬を飼い始めるとストレスが緩和して腰痛が良くなった実例が紹介されていたが、犬の飼育と同様に音楽やオーディオの趣味もけっして無意味ではなく実は体調維持に非常に効果があると分かって、まさしく「我が意を得たり」の思いだった。
ただし、あまりに趣味が高じるとかえってストレスになるようで「ほどほど」がいいようだが、果たして「凝り性」の自分はどうなんだろう?