「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~「映像付きの音楽」に思う~

2010年07月26日 | 音楽談義

7月24日(土)の早朝のこと。久しぶりに湯布院のA永さんから電話があった。

「今日はご在宅ですか?よろしかったらちょっと聴かせてください、9時半頃にお伺いします。」

いつも取り立てて用事のない身なので大歓迎である。それに、たまには第三者の耳で冷静に我が家のオーディオ・システムの音を聴いてもらって忌憚のない意見をもらったほうがいいくらい。

何といっても自分のためになる。まあ、それだけ遠慮しなくてもいい間柄でもある。

9時ごろに窓を閉め切って冷房とともにオーディオ装置のスイッチをオン。アンプのスイッチだけでも6本(真空管4機、トランジスター2機)だし、順番もあるので結構ややこしい。

人間もそうだが機械だってウォーミング・アップは大切で、取り分け真空管アンプがフルに能力を発揮するのはおよそ30分後ぐらいからと相場が決まっている。

今回聴いていただく曲目の順番をあれこれ考えていると予定時間ジャストにお見えになった。

最初に、最近よく聴く「ハイビジョン」を録画した「アンネ・ゾフィー・ムター」のヴァイオリン協奏曲〔モーツアルト)を聴いていただいた。

           

いつもと違って、映像入りの音楽、しかも演奏者が女流で別嬪さんのヴァイオリニストときているので、興味深そうに視聴されている。

「テレビの音もこのくらいだと聴けますね」
というのが第一声だった。重ねて「やはりヴァイオリンの音色の再生にかけてはアキシオム80の右に出るユニットはありません」。

「そうでしょうかね~」と、控え目に言うものの思わず頬が緩む。

最近になってアキシオム80用の真空管アンプをPX25(イギリス製出力菅)からWE300B(オールド)に替えたばかりだが後者のほうが能力が「上かも」という考えがチラリとよぎる。

ひとしきり聴いた後、今度は同じ曲(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲1番)をCDで聴いてもらった。CDを聴くのは久しぶり、とはいっても1週間前くらいが最後。

ワディアのDAコンバーターは共通だが、CDトランスポートは「ワディア270」、そして演奏者は「ダヴィド・オイストラフ」。

              

あまりの違いに愕然となってしまった。

ここで今さら、まるで手の平を返したように「ムター」の悪口を言うのは止しておこう。美人ぶりにウットリとしながら直前まで愛でたヴァイオリニストだからあまりにも
”軽薄”と言われそう。

それにしてもオイストラフの演奏の素晴らしさは何と形容したらいいのだろうか。
「感動できる演奏」とは、まさにこういうものを指す。

「実にヴァイオリンの音色が多彩ですね。それに芸格の違いはいかんともしようがありません」とアッサリ断言されるA永さん。

「いやあ、”いい歳”をして」と、見てくれのいい映像に”うつつ”をぬかし、肝心の演奏に注意力が散漫となってしまった自分がちょっぴり恥ずかしくなってしまった。

昔、オペラ「魔笛」(モーツァルト)を頻繁に鑑賞していたときだって「一度映像を見ておきさえすれば後は聴くだけの方がいい」と散々言い聞かせてきたのにいつの間にか記憶が消え失せてしまっている。

「視覚」と「聴覚」を同時に使うときは、前者のほうが情報量が多いためにどうしても聴覚の方が鈍くなってしまう。これは例外なく誰でもそうだろう。

音楽を「楽しむ」だけの目的ならどういう聴き方でもいいが、最終的に音楽に芸術性を求めるのであれば映像(視覚)は出来るだけ排除したほうがいい、そもそも「感動の質が違う」
 ように思えるのだがどうだろうか。

言い換えると「娯楽」と「芸術」のレベルの違いといってもいい。

それから、「ハイビジョン・レコーダー」と「CDトランスポート」の再生能力の違いも顕著だった。

出てくる音質が、どうのこうのというよりもまるっきり
静寂感が違う。演奏の背後にある空気感の再現性とでもいったらいいのだろうか。まあ、価格が6桁そこそこと7桁とでは大きく違うんだから仕方ないといえばそれまで。

以上、映像につられて、つい聴覚がおろそかになってしまったという「安易な聴き方」を猛省する一幕でした。

 


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