タミーノ(王子)役はオペラ魔笛の完成度を大きく左右するともいえるほどの一番重要な役。この役はリリック・テノールの典型といわれ、その当時の一流と目されるテノール歌手達が続々と登場する。順を追ってみてみよう。
♯1 ビーチャム盤(1937)
ヘルゲ・ロスヴェンゲ(1897~1972) デンマーク
20~30年代、ベルリンとウィーンの寵児であり伝説的な高音の王者である。ドイツ語によるイタリア・オペラで沢山の録音を残している。ほとんど独学で声楽を習得しており、最大の教師はレコードで聴くカルーゾーだった。この盤以外にもCDライブのトスカニーニ盤(1937)にも出演している。
♯2 カラヤン盤(1950)
アントン・デルモータ(1910~1989) ユーゴスラヴィア
ユーゴ生まれながらウィーンで舞台デビューし、引退後もウィーン音楽大学で教えたというから文字通りウィーンに捧げた一生だった。中庸で控えめな「モーツァルト・アンサンブル」の趣味の良さには定評がある。
♯3 カイルベルト盤(1954)
ルドルフ・ショック(1915~1986) ドイツ
声に甘さと力強さが程よく混ざっておりヒロイックな役からオペレッタ、映画音楽まで幅広く活躍した。ベルリンでテレビ・ショーを受け持ちシュトライヒとのデュエットなどで人気を博した。
♯4 フリッチャイ盤(1955)
エルンスト・ヘフリガー(1919~ )スイス
デルモータと同系の中庸で控えめな歌唱は禁欲的とさえいえる楷書体そのもの。一点一画に至るまでごまかしのないもので、ある種の「色気」を歌いこもうとしたヴンダーリヒとは対照的。
♯5 ベーム盤(1955)
レオポルド・シモノー(1918~ ) カナダ
リリカルな美声で繊細な表現、響きの美しさで勝負できた歌手で、聖地ザルツブルクでも高い評価を得た。
♯6 クレンペラー盤(1964)
ニコライ・ゲッダ(1925~ ) スウェーデン
父はロシア人歌手、母がスウェーデン。語学の天才で六ヶ国語を流暢に操ったが特にフランス語は見事だった。透明な美声と知的な解釈で際立っており、多芸多才としてドミンゴと並ぶほどの録音に恵まれた。
♯7 ベーム盤(1964)
フリッツ・ヴンダーリヒ(1930~1966)ドイツ
絶頂のさなかに事故死したヴンダーリヒへの賛辞はいまだに尽きない。天性の美声、音楽性やテクニックの高さなど万人が認めるところ。抒情性と気品と輝かしさが三位一体となった屈指のタミーノ役だった。この盤は彼の代表的な録音で第一幕の弁者との対話が最大の聴きものになっている。
♯8 ショルティ盤(1969)
スチュワート・バロウズ(1933~ ) イギリス
イギリスからは伝統的に沢山のモーツァルト・テナーの逸材が出た。その中でもバロウズはやや陰りと湿り気を帯びた声で独特のタミーノ像をつくった。
♯9 スイトナー盤(1970)
♯10 サバリッシュ盤(1972)
♯13 デービス盤(1984)
ペーター・シュライアー(1935~ ) ドイツ
ヴンダーリヒの急死後、魔笛を始めとするドイツ・オペラのリリック・テノールの役はレコーディング上ではシュライアーの独占状態になった。それは、この3つの盤の録音が裏付けている。天性の才を持ちながらもその基礎は少年時代に十字架合唱団で培った実直で素朴な音楽性だった。キャリアの後半で作為的な技巧に専念した時期があり「よくしゃべるジャーナリスト」と揶揄された。現在は宗教音楽の指揮者となって余生を送っている。
♯11 カラヤン盤(1980)
♯15 マリナー盤(1989)
フランシスコ・アライザ(1950~ ) メキシコ
メキシコ出身ながらミュンヘンで完璧なドイツ語を学んだ。70年代末から80年代にかけては実に素晴らしいロッシーニ歌手だった。その頃の録音、例えば「チェネレントラ」などは、美しい声と技巧にほれぼれとさせられる。
♯12 ハイティンク盤(1981)
ジーグフリート・イェルザレム(1940~ ) ドイツ
ジークフリート役で知られワーグナー・テノールといわれる。ただし、声の威力に頼れない歌手で美声ではないし、力強くもない。しかし、賢明なことに無理をしないで柔軟かつ多様に演じたことで一定の評価を得た。最初のオペラ録音は本盤のタミーノ役。
♯14 アーノンクール(1987)
♯19 クリスティ盤(1995)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(1952~ ) ドイツ
シュライアーの次の世代として台頭した。フランクフルトで鍛錬を積み彼の登場で「より軽く、俊敏で、透明な」モーツァルト歌唱の志向が先鋭化する。彼が当代一のタミーノ役として認めざるを得ないが、やや軽い印象がシュライアーの上位に置けない理由。
♯18 エストマン盤(1992)
クルト・ストレイト(1959~ )アメリカ
ドイツ系アメリカ人。ブロホヴィッツと同門の「古楽の旗手」だが、重厚な役づくりとは対照的な究極の軽さに辿りついたといわれる。
以上だが、段々と近年に近づくにつれてタミ-ノ役の歌手が小粒となり役柄も軽くなっている。これも古楽演奏の影響だろうか。
ずっと昔の、ロスヴェンゲ、デルモータ、ヴンダーリヒ、シュライアーたちの本格的な歌唱に没入した自分にとってはやはり物足りない。