モーツァルトは好きだけど魔笛はどうもよく分からないという事例をときどき見聞するが、このオペラを聴いて最初から好きになる人はよほどの音楽通であり、感性が豊かな人だろうと思う。
一般的にいって、このかなり馴染みにくいオペラを自分の中で消化し溶け込ませていくにはある程度の精神的なゆとりと時間が必要な気がする。つまり始めから身構えて「さあ魔笛を理解するぞ」とオーディオ装置とにらみ合うのは少々息苦しい感じが付きまとうし、そういう類の音楽ではないような気がする。まあ、人それぞれなのだろうが・・。
とにかく、そうやって万一退屈感を覚えればその人は二度と魔笛を聴こうとしないのが通例だ。この稀有の名曲に対してまことにもったいないと思う。
音楽にはズブの素人で、凡庸という言葉がよく似合うと自覚している自分の拙い経験で言わせてもらうと、35歳前後に片道1時間半の距離を2年間、車で通勤したが(一番不遇な時期だったが、今振り返ってみるともっとも豊穣な実りを与えてもらった)そのドライブの行き帰りに何回も、それこそ何回も魔笛をカーオーディオで何の気なしに聴いているうちに、まるで泉のようにこんこんと湧き出てくる妙(たえ)なるメロディが頭にこびりついてしまい自然に口ずさみながらとうとう深みにはまってしまった。
この2時間半に及ぶ壮大なオペラには、彼の晩年の作品が持つ澄み切った秋の空のような美しさ、晴朗さが顕著に現れておりとても筆舌に尽くしがたい。
こうして魔笛から入ってほかにも彼のいろんな作品を聴きこんだが、シンフォニーや協奏曲などの曲の一部分ではもうこれ以上は要らないというほど妙なる旋律もあるが、全体の構成からみると同じフレーズの繰り返しが気になって、せっかくの才能が十分に生かされていない感じがつきまとう(ただし、一連のピアノソナタは別格だと思うが・・・・)。
3楽章とか4楽章形式とかいう既存の枠組みの中で自由に羽ばたきが出来ないモーツァルトをつい連想してしまうのだ。
ドン・ジョバンニは魔笛と肩を並べる大傑作だと思うが、これらのオペラで感じる豊かな音楽言語(♪=言葉)がモーツァルトを読み解く鍵になるのだろう。どうしようもないほど好きというモーツァルト愛好家は例外なくオペラファンに多いという記事を見たことがあるがまったく同感。
やはり、あれほどの早熟の天才でも年の功というものは必要なのだなと妙な納得をしている。(ベートーベンの後期の作品も同様の趣があるが・・・・)。
ともかく、世間は広いので私以上に魔笛を深く鑑賞し、貴重な情報や盤をお持ちの方がいらっしゃると思う。このブログを通じて、そうした方々と魔笛に関する情報交換や音を聴かせていただければ幸いだと考えている。
なお、最近入手したCD盤『フルート四重奏によるモーツァルト「魔笛」』:ウォルフガング・シュルツ&ウィーン弦楽四重奏団(収録2001年)は録音もよく、シュルツ(ウィーンフィルの首席フルーティスト)のフルートの香りと気配が漂ってくるようで、まさに文字通りのMagic Flute(魔法の笛)。とにかく、魔笛ファン、フルートファンにはこたえられない1枚。
2006年2月に同様のスタイルで「ドン・ジョバンニ」盤の発売が検索で分かったので早速注文したところ在庫切れで今のところ入荷待ちの状態。やはり、オペラファンは根強くて多い。