歴代志上 7:1-5
イッサカルの子らはトラ、プワ、ヤシュブ、シムロムの四人。 トラの子らはウジ、レパヤ、エリエル、ヤマイ、エブサム、サムエル。これは皆トラの子で、その氏族の長である。その子孫の大勇士たる者はダビデの世にはその数二万二千六百人であった。 ウジの子はイズラヒヤ、イズラヒヤの子らはミカエル、オバデヤ、ヨエル、イシアの五人で、みな長たる者であった。 その子孫のうちに、その氏族に従えば軍勢の士卒三万六千人あった。これは彼らが妻子を多くもっていたからである。 イッサカルのすべての氏族のうちの兄弟たちで系図によって数えられた大勇士は合わせて八万七千人あった。
7章は今まで出てこなかったイスラエル12部族のうち、北イスラエル王国に属した6部族の系図が記されています。イッサカル族はガリラヤ湖の南西に嗣業の地があり、ダビデの世に数えられた勇士の数が合計8万7千人であったと、領土の大きさの割には多くの勇士を輩出しました。神は行くところすべてで祝福されるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.1-5.ja1955
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歴代志上 7:6-12
ベニヤミンの子らはベラ、ベケル、エデアエルの三人。 ベラの子らはエヅボン、ウジ、ウジエル、エレモテ、イリの五人で、皆その氏族の長である。その系図によって数えられた大勇士は二万二千三十四人あった。 ベケルの子らはゼミラ、ヨアシ、エリエゼル、エリオエナイ、オムリ、エレモテ、アビヤ、アナトテ、アラメテで皆ベケルの子らである。 その子孫のうち、その氏族の長として系図によって数えられた大勇士は二万二百人あった。 エデアエルの子はビルハン。ビルハンの子らはエウシ、ベニヤミン、エホデ、ケナアナ、ゼタン、タルシシ、アヒシャハル。 皆エデアエルの子らで氏族の長であった。その子孫のうちには、いくさに出てよく戦う大勇士が一万七千二百人あった。 またイルの子らはシュパムとホパム。アヘルの子はホシムである。
次いでベニヤミン族の系図が記されています。ベニヤミン族の嗣業の地はイスラエルの首都エルサレムのある一帯で、領地はさほど大きくはなく、ダビデの時代に人口調査を行った際にも勇士の数が合計59,494人と、さほど多くはありません。しかしベニヤミン族からはイスラエル初代の王サウルを輩出し、また新約聖書の時代には使徒パウロがベニヤミン族の出身です。いわばイスラエルの歴史でも重要な役割を担った民族でした。神は数の原理で人を用いられるのではなく、むしろ弱い者を強めて用いられるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.6-12.ja1955
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歴代志上 7:13
ナフタリの子らはヤハジエル、グニ、エゼル、シャルムで皆ビルハの産んだ子である。
ナフタリ族の系図は、たった一節だけの説明ですませており、その人数も記されていません。しかし7章までに紹介されたイスラエル12部族のうち、ゼブルン族とダン部族はその名すら全く出てきません。これは歴代志が記されたのがバビロン捕囚からの帰還後、すなわち北イスラエル王国の人々がアッスリヤに捕らえ移され、そのアッスリヤ王国を滅ぼしたバビロン王国さえも滅んでしまった後となっては、もはや系図を辿ることができないほど四散してしまったことから考えると、その氏族の名が記されているだけでも奇跡的と言っていいほどです。やがて再臨の日に神のご支配される永遠の御国が完成するときには、イスラエル12部族が復興するとあります。今なお世界中に流浪の民となっているイスラエルが再び集められる日を、私たちも待ち望みたいと思います。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.13.ja1955
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歴代志上 7:14-19
マナセの子らはそのそばめであるスリヤの女の産んだアスリエル。彼女はまたギレアデの父マキルを産んだ。 マキルはホパムとシュパムの妹マアカという者を妻にめとった。二番目の子はゼロペハデという。ゼロペハデには女の子だけがあった。 マキルの妻マアカは男の子を産んで名をペレシと名づけた。その弟の名はシャレシ。シャレシの子らはウラムとラケムである。 ウラムの子はベダン。これらはマナセの子マキルの子であるギレアデの子らである。 その妹ハンモレケテはイシホデ、アビエゼル、マヘラを産んだ。 セミダの子らはアヒアン、シケム、リキ、アニアムである。
次に紹介されるのはマナセ族のうち、ヨルダン川東岸に残った人々たちではない残りの半部族の系図が記されています。マナセの嗣業の地はヨルダン川をはさんで東と西にまたがる形で、広く増え広がりました。その系図の中にゼロペハデという名が記されていますが、彼には娘しか生まれなかったため、その嗣業の地が他の部族に移ることのないよう、マナセ族の中で結婚したことが、民数記27章と36章に記されています。彼女たちが父の嗣業の地を守ろうとした姿勢が、領地の祝福となって返ってきたようにも思えます。神の祝福を受け継ぐことを最重要課題として取り組む者は、多くの祝福を受けることができるようになります。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.14-19.ja1955
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歴代志上 7:20-29
エフライムの子はシュテラ、その子はベレデ、その子はタハテ、その子はエラダ、その子はタハテ、 その子はザバデ、その子はシュテラである。エゼルとエレアデはガテの土人らに殺された。これは彼らが下って行ってその家畜を奪おうとしたからである。 父エフライムが日久しくこのために悲しんだので、その兄弟たちが来て彼を慰めた。 そののち、エフライムは妻のところにはいった。妻ははらんで男の子を産み、その名をベリアと名づけた。その家に災があったからである。 エフライムの娘セラは上と下のベテホロンおよびウゼン・セラを建てた。 ベリアの子はレパ、その子はレセフ、その子はテラ、その子はタハン、 その子はラダン、その子はアミホデ、その子はエリシャマ、 その子はヌン、その子はヨシュア。 エフライムの子孫の領地と住所はベテルとその村々、また東の方ではナアラン、西の方ではゲゼルとその村々、またシケムとその村々、アワとその村々。 またマナセの子孫の国境に沿って、ベテシャンとその村々、タアナクとその村々、メギドンとその村々、ドルとその村々で、イスラエルの子ヨセフの子孫はこれらの所に住んだ。
次に紹介されるのはエフライム族の系図です。エフライムの嗣業の地はベニヤミン族とマナセ族の嗣業の地の間、イスラエルの地形全体の中心的な地域にあります。イスラエル民族の系図としては、父祖ヤコブの長子の特権を受け継いだのがヨセフの子エフライムでしたから、最も多くの祝福を受け継いだ部族でした。都市としても、シケム、ベテル、シロと、ダビデ王が首都をエルサレムに移す前はイスラエルの中心的な都市でした。にもかかわらず王を輩出することがなかったのは、その豊かな祝福を受け継いだことに高慢になり、日和見主義のくせに何か起こるとしゃしゃり出てきて自己主張する、鼻持ちならぬ部族となってしまったからではないかと思います。私たちも神の祝福を受け継いだ者の一人として、エフライムのように傲慢な態度を取ることなく、むしろ謙遜に、神と人とに仕える忠実な僕の姿勢を忘れてはなりません。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.20-29.ja1955
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歴代志上 7:30-40
アセルの子らはイムナ、イシワ、エスイ、ベリアおよびその姉妹セラ。 ベリアの子らはヘベルとマルキエル。マルキエルはビルザヒテの父である。 ヘベルはヤフレテ、ショメル、ホタムおよびその姉妹シュアを生んだ。 ヤフレテの子らはパサク、ビムハル、アシワテ。これらはヤレフテの子らである。 彼の兄弟ショメルの子らはロガ、ホバおよびアラム。 ショメルの兄弟ヘレムの子らはゾパ、イムナ、シレシ、アマル。 ゾパの子らはスア、ハルネペル、シュアル、ベリ、イムラ、 ベゼル、ホド、シャンマ、シルシャ、イテラン、ベエラ。 エテルの子らはエフンネ、ピスパおよびアラ。 ウラの子らはアラ、ハニエル、およびリヂア。 これらは皆アセルの子孫であって、その氏族の長、えりぬきの大勇士、つかさたちのかしらであった。その系図によって数えられた者で、いくさに出てよく戦う者の数は二万六千人であった。
イスラエルの系図の最後に登場するのがアセル族です。アセル族の嗣業の地は、イスラエル北部の地中海沿岸、都市名でいうとツロとシドンがある一帯になります。これはソロモンの神殿建築の際、ツロの王ヒラムがレバノン杉を切り出し陸揚げした、貿易で栄えた地域です。その裕福さの故に、罪のはびこる町になってしまいました。この世の富に目がくらむと神の恵みを軽んじ、信仰的に堕落して祝福を受け損なってしまいます。私たちは経済的な繁栄には特に注意しなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/1ch.7.30-40.ja1955