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【COGHCC聖書通読】 2020/05/11

2020-05-11 12:55:30 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 20:1-6

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。

聖書の出来事は必ずしも時系列で記されている訳ではありません。今日の通読で1節と12節にある「そのころ」という時期がいつなのか、特定されていませんが、これはおそらく19章の記事でアッスリヤの大軍がエルサレムを包囲する前の出来事であろうと思われます。隣国の北イスラエル王国の滅亡を目の当たりにし、主に信頼しきることができず、アッスリヤの脅迫に屈して主の宮の金をはぎ取って献上したヒゼキヤの不信仰に、主は死に至る病をもって懲らしめられたのではないかと思われます。しかし預言者イザヤから死を宣告されたヒゼキヤの涙を主は顧み、その祈りを聞かれ、その寿命を15年延ばし、3日後には主の宮に上ることができるようになると告げられました。それはアッスリヤからダビデ王家とエルサレムを守るためであるとし、その間に再びアッスリヤが侵攻してくるときに備えるように、ヒゼキヤに新たな使命を与えられたのです。だからこそヒゼキヤは再びセナケリブがエルサレムを包囲したときは、金銀を貢いでアッスリヤに屈することなく、ただ主に信頼して徹底抗戦する勇気が与えられたのです。神様は真実に仕える者の祈りを聞かれ、たとい一度は失敗したとしても、もう一度やり直す機会を与えられるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/2ki.20.1-6.ja1955

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列王紀下 20:7-11

そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。

死に至る病を宣告された後、主の憐れみにより延命されたヒゼキヤは、自らの病が癒されるとの御告げに、そのしるしを主に求めました。主はヒゼキヤの求めに応じられ、日時計を10度進ませるか、逆戻りさせるか、どちらかを選びなさいと選択させると、ヒゼキヤは日時計を逆戻りさせる、すなわち時間を遡ることを選びました。すると主は本当に日時計を10度退けられ、ヒゼキヤの求めに答えられました。私たちの信じるまことの神、主は、世界の歴史を司られ、時間をもご支配されるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/2ki.20.7-11.ja1955

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列王紀下 20:12-15

そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。

主の癒しによって死の病から癒されたヒゼキヤの元に、アッスリヤよりも遠い新興国バビロンの王から、快気祝いの親書と贈り物を携えた特使が派遣されてきました。はるばる遠方からの表敬訪問に気を良くしたヒゼキヤは彼らを歓迎し、ユダの宝物倉や武器庫に至るまで、本来は国家機密であるものすべて、彼らに見せてしまいました。すると預言者イザヤがヒゼキヤの元にきて、彼らはどこの人々で、何をしに来たのかと問いつめましたが、ヒゼキヤは遠くバビロンの国から来た人々だと答え、特に気に留めていませんでした。ヒゼキヤは自分の病が癒されたこと、そのためにはるばる遠方の国から特使が派遣されてきたことに気を大きくして、油断しきってしまったのです。たとい今は小さな新興国であったとしても、軍事機密まで見せてしまうことは、命取りになることです。私たちも自分にとって良いことがあったとき、順調なときこそ、気が緩んで油断してしまいがちですから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/2ki.20.12-15.ja1955

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列王紀下 20:16-21

そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。 ヒゼキヤのその他の事績とその武勇および、彼が貯水池と水道を作って、町に水を引いた事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。 ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠って、その子マナセが代って王となった。

死に至る病から癒されて油断し、自分の犯した決定的な過ちにも気付かなかったヒゼキヤに対し、イザヤは、バビロンからの特使に見せた湯殿財産や宝物がすべてバビロンに持ち去られる日が来ると、警告を発しました。驚くべき事に、すでにこのとき、ユダのバビロン捕囚が預言されていたのです。しかしヒゼキヤは神からの忠告を、それは結構ですと、軽く受け止め、聞き流しました。それはヒゼキヤが、自分が王として生き長らえている間だけ自国の平和が保たれていればよいと、自己中心で身勝手な考え方をしていたからです。南ユダ王国の中興の名君ヒゼキヤかダビデに及ばなかったのは、神の御心にどれほど心を傾けているか、永遠の思いを抱いているかという、神の視点が欠落していたのです。私たちも、今さえよければそれでよいと、刹那的に考え、現世利益にしか目を留めないようであれば、ヒゼキヤのように大きな過ちを犯してしまいます。ダビデのように、主と同じ心を持つこと、永遠の祝福を求める心を持つことが、私たちにとって最も重要です。

https://www.bible.com/bible/81/2ki.20.16-21.ja1955
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【今日の聖句】 2020/05/11

2020-05-11 05:50:16 | 今日の聖句
コロサイの信徒への手紙 3:17 新共同訳

そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

主イエスの十字架の購いを信じ、主イエスの復活と共に永遠に生きる者となった私たちは、日々の生活においても主イエスに倣って生きるべきです。私たちの言動が主イエスの聖なる御名を汚すことのないよう、御言葉に忠実に従い、父なる神に感謝しつつ、この世の生涯を全うする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/col.3.17.新共同訳
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