私は高齢者の相談にのることが多いが、時々
「お布施」の話題になることがある。
「お布施」=お寺へのお金の寄付
これが普通の解釈である。しかし、そのこと
により、生活が苦しくなっている場合もある。
だからこそ、もともとの意味を考えることも
必要ではないだろうか。
持っているもの、身につけているもの、肩書
などなど。人はそのことにより「執着」が生
まれ、迷い、煩悩がうまれる。
だから切り離すこと、捨て去ることにより、
「執着」から解放される。これがお布施の本
来の意味であろう。
有名な良寛和尚の
盗人に 取り残されし 窓の月
われわれ凡人はここまでなれない。
お寺や教団にお金を寄付することは、お布施
の意味の、ごくごく、ごく一部であること。
さらには、お金や物ではない「無財七施」と
いう言葉もある。要は、お金や物でなくても
よいのだ。
新興宗教のなかには、「お金は多いほど良い」
「お金=ご利益」などと、ねじ曲げた解釈の
うわさを聞くことがある。
私は、家の玄関に「無財七施」の7項目を書
いて、貼りだしておくようにとすすめたこと
がある。
お話は、さらに引っ越しなどによる「断捨離」
になることも多い。
これは、「言うは易く行うは難し」だ。そう
いう私も「煩悩」が多く、できないと思って
いる。
しかし、最後はバッグふたつで、施設に入る
ケースも多い。
先日、有料老人ホームに入る方のお手伝いを
した。
ほとんど処分し、身のまわりのものだけしか
持っていけない。それは多くが6畳一間の生
活空間になるから。
その結果、明るくなった方がいる。
仏教の教えには人生訓や生活の知恵が多い。
そういえば、マルクスも聖書からの引用が多
い。私のように、神や仏を信じていなくても、
人類が営々と積み重ねてきた思想や知恵は大
切にしたいものだ。
それにしても不祥事多発の政治家(屋)をみ
ていると、お布施の精神とは無縁としかいえ
ない。