社会はかわるし、かえられる!

格差社会の縮小めざして、誰もが安心できる社会をめざして!
 

困難な生活相談 1

2015-05-31 06:23:29 | 日記

議員活動における相談で、大変なのは「依存症」です。
こちらも振り回され、裏切られ、徒労におわることも数多くあります。
それでも普通の生活にもどれるよう支援していきますが、家族や他人を巻き込んでいく、困難が多い病気のひとつです。

「はしどい」の7月号に寄稿しました。3回にわたって掲載します。

 

もっとも困難な相談
  ――依存症――
                          石川明美

   初則人呑酒
   次則酒呑酒
   後則酒呑人
 はるか昔の五言詩といわれている。
 いわゆる「人酒を飲み、酒酒を飲む、酒人を飲む」ことである。中国の漢詩には、大酒飲みや酒こそ人生だと豪語する詩が多い。とりわけ酒に強いほど「男があがる」という古今東西の文化は連綿と続いている。しかし、今の若い人は、そうしたジェンダーの影響はうすれているのではないか。私たちの年代と比べても先輩からスナックなどで無理強いされることは少なくなっていると聞く。スナックなど飲み屋ではな、コンビニなどで購入し、仲間内で飲むスタイルのようだ。
 お酒は、森の猿酒といわれるように、人類の歴史とともに登場したといわれてい。
 C2H5-OH
 物理的にはなんと単純な組み合わせであろうか。しかし、この炭素二つに水酸基(―OH)の組み合わせが人を惑わし、人生に豊かな文化とともに地獄をも提供するものとなっている。
 昔、労働組合で「酒は団結の武器」だとよく話されたが、確かにそうでもあり危ない話でもある。お酒は人のコミュニケーションや仲間との関係を豊かにする反面、さまざまなトラブルや依存症という地獄の入り口でもある。「至酔性」を持つ飲み物のため、販売が厳しく制限されていたが、例によって「規制緩和」の流れに乗って、いつでもどこでも買えるようになってしまった。

「苦しい、助けて・・・」
 夜中に電話が入った。私は急いで駆けつけた。居間にはごみと一緒に焼酎のビンが転がっていた。
 これで何回目のスリップであろうか。いつもは水を飲ませたりして時間が経つと落ち着くのだが、今回はあまりにも苦しがっているため救急車を呼び、夜間救急センターに運んだ。医者は点滴をうち、少し休めば大丈夫だろうとのことであった。
 四時間後、私の車にのせて自宅に帰し、すぐ横にした。当然に焼酎はすべて処分した。部屋はゴミの山となっており、足の踏み場はない。なぜかベッドとストーブのまわりだけは大丈夫だ。落ちついたようなので、私は帰ることにした。
 アルコールとのたたかいに終点はない。一生涯続く。
 Kさんは、若いときからお酒を相当飲んでおり、いわゆる「多量飲酒」を続けてきた人である。酒が原因で離婚し、家族は崩壊していた。依存症という病にかかるまで「二十年」といわれる。四十歳以上から危険な状態となる。六十代のKさんもこのパターンを踏んでいた。
 私がKさんと知り合ったのは、「お酒を飲んで暴れて困っている」という相談からであった。本人も転んでケガをしており、反省しきりの状態であった。そして部屋はごみ屋敷になっていた。
「アルコールは、自分とのたたかいだよ」
「わかっている。だけど自分はダメな人間なんだ」
「ダメな人間なんてどこにもいない。失敗して、失敗して、そこからだよ」
「どうすればいいんだ。なんとかしたい」
 私はチャンスだと思った。いわゆる「底を打った」状態ではないか。
「病院に入院して、徹底的に治療してみないかい」
「どこの病院?」
「精神科のある病院で、アルコール依存症の治療をやっている」
「どのくらい入院するの」
「三ヶ月、どう、チャレンジしてみるかい」
 普通は「精神科」というと拒否されるが、Kさんはすんなりと了解してくれた。
よっぽどまいっていたのであろう。この瞬間しかないと、直ちに病院に一緒に行き、受診となった。同時に病院のケースワーカーに、この間の長年の経緯を説明し、本人が「立ち直りたい」と決意を持っていることを伝えた。医師も入院・治療を許可してくれた。
 ここから三ヶ月という長い入院・治療がはじまった。
 月に一度、お見舞いを兼ねて様子を見に行った。本人は体調も良くなり、いたっ
て元気である。まあ当然といえば当然。一滴のアルコールも飲んでいないし、三食きちんと食べているので血色もよくなっていた。
 予定通り、元気になって三ヶ月後に退院した。
 しかし、持ったのは数か月。再びスリップした。断酒会にも行っていない。結局、この繰り返しが晩年まで続いた。しかし、ヘルパーさんの掃除により、ごみの部屋ではなくなったため、入院前の状態より明るくなっていた。近くのデイサービスのボランティアをはじめて、お年寄りから何かと頼りにされ活き活きしていた。新たな人とのつながりがもどってきた。それでも、数ヶ月に一回はスリップしていたが、以前ほどではなく、立ち直っていた。
数年後、突然死で亡くなった。

・・・・・続く


戦死

2015-05-30 06:31:04 | 日記

安倍首相は、アフガニスタンでのISAFへの参加を最後まで否定しなかった。
ということは、新しい「戦争法案」で、自衛隊員を参加させることを意味する。

ISAF(国際治安支援部隊)では、3,500人の戦死者がうまれた。

そして、アメリカの戦争に「ノー」と言えない安倍首相、自民党政府。

今回の戦争法案が通れば、間違いなく戦後初の自衛隊員の戦死者がうまれる。
安倍首相は口を開けば「命と平和を守る」と繰り返すが、過去の為政者は、必
ず平和、防衛を口にして戦争を行ってきた。ましてや先の大戦を「間違った戦
争」と言えない安倍首相。ポツダム宣言を読んでいない、いや読むことに嫌悪
感をおぼえるのであろう。それはおじいちゃんを否定することにつながるから
である。だからこそ「おぼっちゃん」といわれる所以である。
ひょっとすると日本国憲法さえ、読んでいないのではなかろうか。

戦争法案の安倍首相の答弁は、あまりにも抽象的で、自衛隊員の戦死について
は、ひとこともふれす、うそとゴマカシ、そしてテープレコーダーの答弁ばか
りが目につく。
災害救助と自国が攻撃されたときに、との思いで入隊した若き自衛隊員の心情
がまったく理解されていない。
木をまったく見ていない。さらに森は、アメリカの森とおじいちゃんの目を通
した戦前の森ばかり見ている。

戦争法案は、このまま「廃案」するしかない。

 

 


釧路市議団のHPのアドレス変更

2015-05-29 06:57:57 | 日記

懸案事項となっていた党釧路市議団のホームページの引っ越しが終わりました。
プロバイダをOCNからplalaに移行したため。一昨日は、もとのプロバイダか
らすべてのデータをダウンロード。それを再び新しいプロバイダに転送して終了。
昨日は新しい市議団の写真、議員団構成をアップしました。

OCNから突然「PageONのサービス終了」のメールが送られてきました。
選挙もあり、まったく手つかずでした。

左側のロールオーバーボタンなど、一部不具合もあります。またCGIも違うよ
うなのですが、とりあえず同じ形式で再開しました。
新しいアドレスは

http://www13.plala.or.jp/jcpksigi/

新しい釧路市議団を紹介しました。
今後ともよろしくお願いします。

今の時代は、ホームページより簡単にできるブログやフェイスブックなど、
クラウドが主流になっていますが、私はなかなか踏み切れません。
ブログは昨年にようやくはじめたばかりです。
フェイスブックは、やりません。
一番の大きな理由は24時間対話型のSNSということです。LINEなどは
私たちの世代では、疲れてしまいます。

もうひとつ大きな理由は、フェイスブックは民間のたった1社ですべての情
報を管理してしまう怖さです。
10億人が実名で登録し、毎日情報を蓄積している。1日0.5ペタバイトが
(50万ギガバイト)増えているといわれますが、その膨大な量をたった1社
が蓄積していることに恐怖を覚えます。当然、民主的管理はありえません。
これだけのサーバーを維持し増やしていくには、かなりの資金が必要ではな
いでしょうか。そしてそれが無料で使える、疑問に思ったことはないでしょ
うか。
情報の民主的管理が、政治的課題にまだ登場していませんが、いずれ大きな
問題になると思っています。

フェイスブックはなぜ無料なのか。よく考えてみることも必要です。

なぜか私は「1984」の世界を想像してしまいます。
70年前の日本は、「1984」の世界でしたから。

 


これでは詐欺ではないか!

2015-05-28 07:08:08 | 日記

戦争法案の審議がはじまった。

「戦争に参加するものではない」
「後方支援と武力行使は違う」
「戦闘行為がないところに行く」
「武器の使用は自己保存だ」
安倍首相の答弁には、”あきれる”を通りこして、こんな首相に若き自衛隊員の
命をあずけることは無責任このうえない。
そして、法律案と首相の判断をごっちゃにしている。首相が変われば、内閣が
変われば、法律上できることがいっぱいある。自衛隊員を派遣する具体化は、
法律に書かれていない。
安倍首相が、いくら「安全」、「戦闘地域には行かない」といっても、首相が
かわれば、どうにでも変えられる。それも「法律に則って」。

あまりにも無責任だ。

というより、国家的「詐欺」ではないか。
戦争法案を「平和安全法案」と呼ぶくらいだから。

先日、駐屯地の近くに住んでいる人から電話がきた。
「誰が責任をとるのか」
自衛隊員が遠い外国で戦死した場合、安倍首相が責任をとるのか。
ありえない。
という趣旨であった。話しの中身から、保守系の人であったが、
これが国民の”思い”ではないか。

 

 

 


国連ハビタット

2015-05-24 05:57:50 | 日記

川崎の簡易宿泊所の火災は多くの人の心を痛めている。
高度成長期に出稼ぎなど、働きに働いたきた人たちの最後の終着駅が3畳一間で火災であっというまに燃えてしまう状況であった。
悲しいとしかいいようがない、そして憤りがわきあがってくる。

こうした事故をみるたびに、長い間の自公政治の貧困な住宅政策が否が応でも目につく。
「ハビタット」という言葉をご存じだろうか。
人間にとって居住は基本的人権であることを、明確にうたい、そのための行動計画である。

アフリカなど、遠い国の話ではない。足元の日本国のもとで、どれだけ貧困な住宅に住み続けているのか。自公政権、そして自民党系の知事のもとでは公営住宅の建設はなかなか進まない。東京都などは長年にわたって公営住宅の建設をやめていたのではないか。
亡くなった私の姉は、1DKで家賃7万円のアパートであった。
公営住宅に入りたかったと話していた。

「住」は基本的人権である。

このことをいっそう声高にだしていかなければならない。
でなければ亡くなった方々へ申しわけない。


事実誤認・・・ポツダム宣言

2015-05-22 06:32:40 | 日記

党首討論後の志位委員長の記者会見をみた。
追加の話しがあった。

月刊誌ボイス2005年7月号に安倍自民党幹事長代理として対談が掲載され、その
なかでポツダム宣言の認識を述べていた。
「ポツダム宣言というのはアメリカが原子爆弾を2発も落としたあと、日本に大
変な惨状を与えたあと”どうだ”とばかり、たたきつけたものであります。こんな
ものを持ち出し、あたかも自分自身が戦勝国であるような態度で、日本の総理を
責め上げる、大変な違和感を覚えました。」
当時、ポツダム宣言を引いて、総理の基本姿勢を質したのが民主党議員でした。

彼にとっては、戦勝国が勝手な要求を突きつけたものであって、破り棄てたいと、
いうのが本当の気持ちだろうし、これが本心であり、ああいう答弁になったが、
この本心を言うわけにはいかない。

若干事実誤認がある。
二つ原爆を落としたあと”たたきつけた”と言っているが、ポツダム宣言が発せられ
たのが7月26日、その受諾を通知したのが8月14日、正式に調印したのが9月2日、
これが歴史の事実。
原爆を落とされてから突き付けられたものではない。
こういう一連の発言をみますと、ほんとうに読んでなかったのだと、伺われる。
安倍首相の最大の政治信条は戦後レジュームの打破ですが、戦後の政治体制の原点
中の原点がポツダム宣言でありますが、それをよく読まないで、戦後レジュームの
打破といっても、政治家の根本的な資質が疑われる。

以上が記者会見のお話でした。

安倍首相の異常なまでの”戦前の日本にもどしたい”という行動様式、認識が、
憲法無視の「戦争法案」を国会に平然と出す土壌になっている。
秘密保護法、そして今の「司法改悪」など、どんどん戦前に引きもどしている。

20年前の”小選挙区制は戦争への道”と訴えた内容が現実的な問題になっている。
まずは自民党内が”異論”を許さない独裁体制に近づいている。

 そういえば、ドラマ「天使と悪魔」で、ようやく司法取引は冤罪をうむという
点にふれているが、本質とはなっていない。
司法取引による冤罪の悲劇をぜひ描いてほしい。

 


 


驚き! 安倍首相はポツダム宣言を・・・

2015-05-21 08:41:57 | 日記

昨日、車で志位委員長と安倍首相の党首討論を聞いていたが、安倍首相から「ポツダム宣言をつまびらかには読んでいないが」などと流れた。
・・・「読んでいない」・・・
私は驚いた。
戦後の国際体制をかたちづくった重要な文書である。
そして、「まちがった戦争」にはいっさい答えず、ポツダム宣言のもっとも重要なものさえ、まったく答えなかった。

安倍首相の頭にあるのは、戦前の体制を否定するものには、いっさい答えないという姿勢があまりにも強い。

これは、ヨーロッパやアメリカなど、海外のマスコミでも大きく取り上げられるのではないか。

こんな首相が、日本を代表して、海外の国々に訪問するなど、とんでもない。
日本国憲法前文「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」がまったく抜けていることを意味する。
「戦争法案」を語る資格はない。

 


橋下政治とは、

2015-05-18 12:54:35 | 日記

住民投票により、「大阪都」構想は終了した。
議会にかかわった人間として、大阪市の住民投票には、大きな関心をもっていた。北海道からみていた状況であるが、彼の「乱暴」な手法にはあきれるとともに、市民の不満、閉塞感を利用して、大阪市を解体することに懸念をもっていた。なぜなら、北海道は道州制を知事が掲げているから。違いは、道州制は国が掲げている。

橋下氏の手法に、かなりの国民が危機感を持っているのではないか。
なかには、ドイツのヒットラーが政権をとるにあたっての手法に似ている、また市民の声を聞かず、マスコミを利用し、上からの破壊をすすめる手法など、自治体関係者からも不安の声が聞かれた。

自・公政権による新自由主義路線から、自治体を「住民福祉の増進」ではなく、大企業に「奉仕」する仕組みに変える流れが強まっている。
「地方創生」といいながら、町村を中核都市に集約し、町村の自治を失わせていく流れも強まっている。本来の地方自治を衰退にむかわせることにつながる。

橋下政治と安倍首相の政治手法はかなり似ている側面がある。
国民の生活をいっそう引き下げていきながら、そこから来る閉塞感を、逆手にとり、マスコミを利用しながら、いっそうの強権政治をつらぬく。

今度は国会。
「戦争法」がついに国会に上程された。
これが3~40年以上前なら、労働組合のゼネストが起きてもおかしくはないと思う。憲法9条を持つ国が、世界のどこにでも、自衛隊を派遣できるとなると、なんのための憲法なのか、わからなくなる。国の憲法をここまで貶める首相は初めてである。
派遣法の改悪も、可決されればいっそう労働者の生活は低下する。そこから来るさらなる閉塞感。
自由と民主主義の危機を感じるのは私だけではない。
国民的反撃がいよいよ求められている。


志布志事件

2015-05-17 06:31:34 | 日記

警察によってねつ造された「買収」により公選法違反とされた「志布志事件」。
無罪が確定したあとの損害賠償も認められた。
取り調べは「踏み字」で自白を強要するなど、すさまじい「自白」をせまったものと言われている。ドラマでもあったが「事件は取調室で起きている」といわれる所以ではないか。

こうした実態に、司法取引が導入されたなら、いっそうの「冤罪」が多発する可能性がある。
前回の「天使と悪魔」は、麻薬取引を見逃す代わりに証言を引き出している。
まさに法の下の平等を覆すものだ。

秘密保護法、司法取引など、政府の力がどんどん大きくなっている。
そして「戦争立法」である。

常に戦争は「平和のため」に行われている。
安倍首相の「絶対にアメリカの戦争に参加しない」は、「絶対にアメリカについていきます。自衛隊員をアメリカ兵とともに」としか聞こえない。

さらに本音も出ている。
「今までも1,800人の隊員が殉職している」
しかし、これは戦死者ではない。

あたかも、これから「戦死」が当然のごとく聞こえた。

一日もはやく、安倍首相には辞めてもらわなくでは。

 


20億円+新支援策?

2015-05-16 07:22:58 | 日記

原発からの高レベル放射性廃棄物の最終処分場が、いまだに決まらない。文献調
査だけでも、自治体にに20億円という巨額なお金を用意してもどこも手を上げな
い。
「手上げ方式ではもうダメ」と業を煮やした政府(?)は、指名方式に切り替え
ようとしている。
その場合、さらなる支援策が必要と考えはじめている。

今日の北海道新聞(16日付)に、「経産省は新たな支援策の検討に入った」、
「15日に開かれた有識者作業部会で方針を示した」と報道されている。

ある地質学者が、日本の台地で地質学的に安定している場所は、3か所しかない。
その一つが、釧路~厚岸~浜中の沿岸台地である、と発表している。
厚岸町議会では、反対決議を上げている。

この新しい支援策が何を意味するのか。

 

いずれにしても、地震、津波、火山の集中する日本の台地には、高レベル廃棄物
処分場の場所はどこにもない。そのためにも、原発の再稼働はやめなければなら
ない。誰にでもわかる理屈ではないか。

全原発が停止している今こそ、このまま全原発の廃止、そして世界最高の廃炉
技術をもつ技術大国日本をめざそうではないか。

 

 

 

 


若者を戦場に送るな!

2015-05-15 07:29:14 | 日記

ついに安倍首相と自民・公明両党は、「戦争立法」を国会に提出する。
それも11本まとめた一括法案として。本来は、一つひとつ議論しなければならないほど重要な問題をもつ法案にも関わらず。
この一括法案という方式が、地方自治体の条例提案にも同じように使われている。市の複数の条例に係わる法律改正があったとき、やはり一括条例として、改正するやり方である。

 戦場に行った兵士とその家族に何が起きるのか。
そのリアルな、そして残酷な姿をドキュメンタリーとした本が出ている。

亜紀書房ノンフクションシリーズ
本体価格2,300円

 タイトルには、イラク・アフガニスタンから生還した200万人のうち、50万人がPTSD、毎年250人が自殺する。
84ページに「赤ん坊を産み、どういうわけかその赤ん坊を圧力鍋に入れる夢だ。恐ろしくて目が覚めても、ひとりで震えるしかなかった」という妻の言葉がある。家族まで破壊されていく。

これを読まずして、「戦争立法」を審議するな! と言いたい。

さらに、イラク戦争などの現代戦は、後方地域・戦闘地域・戦闘現場の区分けの意味がまったくなさないことがよくわかる。安倍首相の観念的な、そして大ウソがよくわかる。

 戦死するのは、安倍首相や大臣ではない。今の政治家でもない。戦場に行くのは、私たちの子どもや孫である。
時代の「大ウソ」が、また始まろうとしている。

先の大戦に協力した先輩をもつ政党、宗教団体、文化団体、マスコミ人の「戦争立法反対」の奮起が必要ではないか。
先輩たちが、なぜ戦後「戦争への協力を反省」したか。その「思い」を再び!

「戦争立法」反対の1点で、壮大な共同を!!! 

 


ホームレス・・・リーマンショック(3)

2015-05-14 06:53:46 | 日記

・・・続き・・・

 

「声をかけても動かないし、何かおかしい」
 私は、直ちに救急車を呼ぶことを伝えて、とりあえずかけつけた。すでに救急隊員が到着しており、隊員から「すでに亡くなっていた」と報告された。死後数時間もたっていたため警察を呼び、救急車は帰っていった。
「突然死」
 たった二日間の出会いであった。まさに「一期一会」であった。Tさんの人生最後の話をじっくりと聞いたのが私であった。どのような人生であったのか。思いを馳せざるをえない。とても他人事とは思えない。火葬場で、下宿の女将さんと私の二人で骨を拾った。市役所で調べてもらうと、大阪に親戚がいることがわかった。
「ホームレス」。この言葉の裏には、「絆」が断ち切られ、あまりにも多くの失われたものがある。一人ひとり、かけがえのない人生なのに個人の努力ではどうしようもないところに追い込まれている。一人ひとり、要因はさまざまであるが、共通していることは、規制緩和による非正規雇用の増大、格差拡大による低賃金化、いわゆるワーキングプアが重い影を落としている。
 これは政治による数々の法改正によって生まれ、はじかれた人々である。国会では自・公・民など、相も変わらず「規制緩和」の大合唱を唄い、「岩盤規制をドリルで破壊」などと勇ましい言葉も飛び交っている。「自由」という名のもとに強いものが生き残る。こんなやさしくない社会がますます広がっている。上からの「絆」と「和」というかけ声のもとに・・・

 

*二つのケースは実例にもとづくものであるが、いくつかの相談事例を組み合わせ、プライバシーに配慮しました。
*バイスティックの7原則: ケースワーク業務の基本のひとつ。相談活動に関わる人たちの入門でもある。
--------- 終わり -------------------------

 

70年代の石油ショックや90年代のバブル崩壊でも、2008年のリーマンショックによる「ハケン村」騒動にはならなかった。違いは、「規制緩和」による派遣労働の常態化、そして製造業が多数の派遣労働で維持されるようになってからである。当時は「ワンコールハケン」など、携帯で今日1日の仕事を指図す形態までうまれてしまった。使用者側は1日限りの「使い捨て」なので、非人間的な過酷な労働がまん延していった。
国会で「規制緩和」を進めてきた自・公・民に反省はみられない。

 国会で悪法が次から次へと成立させられ、その実施は北海道、市町村へと降りてくる。地方議会は、賛成多数でそれを追認する。これが自民党のよくいう「中央との太いパイプ」の姿である。
日本共産党は、自治体を住民生活の「防波堤」として、がっぷり四つに取り組んでいる。
これに対して必ず「なんでも反対の共産党」と攻撃してくる。
事実はまったく逆である。共産党議員団は首長の提案する予算や条例の90~100%は賛成しているのが実態である。それよりも「何でも賛成」の方が怖い

今月からオープンした釧路市の市役所防災庁舎の建設には共産党議員団は賛成をした。31億円の庁舎であるが5億円の負担で完成したからである。通常の庁舎建設には補助金はなく、全額市民負担というケースが多いため、市民負担をさせないため、さまざまな提案を行い、反対することも多い。

議会は、さまざまな市民の声を代弁する議論の場である。 

国会で指定管理者制度が可決され、いまや本来の自治体業務が、安上がりの「民間委託」として、多くのワーキングプアを生み出してきた。いわゆる官制ワーキングプアである。こうした立場の若い人は、重要な仕事をしているにもかかわらず、生活の将来性は見えない。地方議会として、その問題点を指摘し反対を貫いてきたのが共産党議員団であった。

釧路でも行われた「事業仕分け」で、関係団体から「給料を上げてほしい、このままでは人材が育たない」という悲鳴があげられた。
いままた、介護保険では、今年度の制度改正により、同じ轍を踏もうとしている。
さらに安倍首相による「残業代ゼロ」、「生涯ハケン」という派遣法の大改悪が強行されようとしている。

 追記
Sさんから党事務所にSOSの電話が来たが、後日「どうして共産党に電話をかけたの?」と聞いた。そうすると、最後に泊まった旅館の女将さんから、「あんた本当に困ったら、ごまかされたと思っても、共産党に電話してごらん」と言われたとのこと。女将さんから「あぶない」と思われたのだろう。

こうしたケースがけっこうある、というのが今の世の中の実態でもある。

その1 にもどる→ 


ホームレス・・・リーマンショック(2)

2015-05-13 06:42:55 | 日記

・・・続き・・・

  翌朝、市役所の議員控室で生活保護の申請に必要な状況をいろいろ尋ねた。
 ホームレスになった方はあまり過去を話したがらないが、Sさんは大企業に勤めていたことがあり、そこからドロップアウトしたことをポツリポツリと話し始めた。本人は「うつ病」だと思っているようで、過去に大学病院で治療していたとのこと。今は病院に行くお金もなく薬もない。
 リーマンショック以来、釧路にもかなりホームレスになった方が来ている。私はすでに十人以上相談にのっているが、一人ひとりさまざまな理由と条件、ルートを通って今に至っている。人の人生を見るにつけ、ひょっとすると私と相談者が入れ替わっていたかもしれないという思いがうまれることもある。
 世間で流されている「自己責任論」はきわめて薄っぺらなものであることがよくわかる。けっして本人の責任ではない。
 新自由主義の信奉者でもある某首相は「誰でもがチャンスをもてる平等な」などと繰り返しているが、現実とどれだけかけ離れているか、私はほとんど妄想に近い考えではないかと思う。「年越し派遣村」の村長であった湯浅誠氏は、「すべり台社会」と形容しており、はい上がることが非常に困難な社会になっている。
 Sさんもその一人であった。
 精神的な不調がみられるので、精神科の受診をすすめた。本人から「受診してよかった。今までうつ病だと思っていたが、実は統合失調症だったとわかった。」と報告があり、これまでの悩みがスッキリしたことを語ってくれた。
 半年後、アパート住まいとなり、パソコンの練習をして自立に向けて準備をすすめている。
 生活の安定を取り戻したSさんは、公園生活のことも気軽に話すようになった。当時は空き缶拾いで少しのお金をつくっていたとのこと。ただ、ホームレスになって、勝手にやっていると文句を言われる。公園のホームレスの代表のような人にきちんとあいさつすると生活するうえでの様々な情報をもらえるし、地域を分けて空き缶をあつめることができた、と話してくれた。自然発生的にホームレス社会のルールがあるようだ。そして支援団体や教会の「炊き出し」が一番ありがたかったと当時をふり返っていた。
 私は議員という立場からさまざまな相談が来る。そうした中でもホームレスや追いつめられた方の相談は難しいものがある。バイスティックの七原則のうち、「意図的な感情表出の原則」と「制御された情緒関与の原則」は、とりわけ難しい。正解というものはないのであろう。

  そうこうするうちに、「駅にホームレスの人がいて困っている。話を聞いてほしい」と電話がかかってきた。夕方で暗くなっていたが、待合室に行くと一人の年配の人がいた。
「Tさんですか」と声をかけると頷いた。
 痩せており七十歳代だと思ったが、五十代後半であった。小さなバック一つの生活であった。相当疲れていることと夜も遅いので、必要最小限のことを聞き旅館に泊まってもらうことにした。
 翌日、本人から事情を聞くと、釧路に来て泊まるお金がなく、夜は寒いので三日間も歩き通していた。昼は待合室や市の施設などでうつらうつらと寝ていた。もうべるお金もなかった。まずは「食と住」を下宿に定め、市役所に生活保護申請を行った。
「衣」の着替えがないので、東日本大震災のときに共産党に寄せられていた衣服のうち、古くて送れなかったもののなかから良いものを選び届けた。下着は下宿の方から、買って使っていないものがあるからといただいた。ありがたいと思った。
 次の日の早朝、下宿から突然電話が来た。
「朝食に起きて来ない!」

 ・・・その3 に続く→・・・


ホームレス・・・リーマンショック

2015-05-12 06:20:08 | 日記

リーマンショック
アメリカからの経済的破局が日本の経済に打撃を与えたが、その時の日本の経済がいかに脆くなっていたか。
小泉政権などによる「労働者の流動化政策」により、次から次へと法律が変えられていった。いわゆる「規制緩和」の名のもとに。
1999年の派遣の「原則自由化」、そして2003年の製造業への派遣、その脆くなった労働基準法へ、襲いかかったのがリーマンショックによる経済的破局。いわゆる「恐慌」であった。製造業からいっきに労働者が駆逐されホームレスに。北の寒い釧路にも流れてきた。
今年の3月に、その時の経験を少しまとめた。以下、掲載させていただく。

 

「絆」という名のもとで
              石川明美

「今、隣町にいるんだけど、お金も食べるものもない」
 突然事務所に電話が入った。
 土曜日なので役所は閉まっている。
 電話でのやり取りで、切迫性を感じた私は直ちに車を走らせた。約一時間後に約束どおり、公衆電話前にいた。
 背は高く痩せている。荷物は手持ちのバッグひとつで、着ている服は小ざっぱりしている。表情は暗く、目に「気力」がない。ひと目見て「ホームレス」とわかる状況であった。
「お腹すいてない?」
「・・・」
「お金少し持ってるの?」
「・・・ん〜、切符代でお金が無くなり、昨日から何もたべていない」
「そうか」といって、私は途中のコンビに寄りパンと牛乳を買った。暗くなっているので、今晩の泊まる場所を考えなければならない。
 車の中では慎重に、そしてきさくに声をかけた。早急にあれもこれも聞くのはご法度。
「どちらから」
「神奈川・・・、ある街の公園で生活しながら、教会のお世話になっていた」
「そろそろ冬が近づいているのでこれから大変だね」
「冬の寒さはやだね」
 はらの底から滲み出るような声であった。小さいころ、この町にいたことがあるとボソッと話した。私はゾッとした。人生をこの町で終えようとした形跡が窺がえる。経験からいって危険な状況であった。まずは暖かい食事と布団である。これは人間としての最低限のものであり、落ち着かせることが必要だ。知り合いの旅館に電話。
「夜遅いけど、これから一人お願いしたい」
「今日は満杯で無理」
 二件目は「もう無理ですよ。明日きてくれれば受け入れられるけど」
心配した通りであった。
 三件目の旅館で「夕食はもうないけど泊まるぐらいならいいですよ」
 内心ほっとした。
 平日の日中ならば、すぐ対応できるのだが、曜日と時間帯では苦労する。
「明日の朝九時に迎えにくるからね」
「まずはゆっくり休んで」
 顔の表情からは変化は読み取れない。身体全体からは多少の落ち着きは感じられた。すべては明日からだ。

  快晴―釧路の秋はこの言葉通りのすばらしい「抜けるような青空」であった。
「Sさん。おはようございます」
少し笑顔があり、昨日感じた「危うさ」とは別の落ち着いた雰囲気が感じられた。
「ご飯はおいしかった?」
「全部食べたさ。だけど、あんまり寝れんかった」
「これから私の知り合いの下宿に行くけど、とりあえずそこにしばらく泊まってもらうから。ご飯もたべさせてもらえるから」
「・・・世話になります」
 朝のうちに了解していただいた下宿にSさんを案内した。この下宿の女将さんには以前もずい分と世話になっている。お金が一銭もない人を、食事と宿泊をさせてもらっている。もちろん生活保護を申請するという前提である。

 ・・・その2 に続く→・・・ 


新茶

2015-05-11 06:32:22 | 日記

「新茶が届きました」
電話が入り、さっそく和商に受け取りに行きました。
季節をいただく、これほど贅沢はないと思っています。お店の方から、「自然薯のむかごをたくさん送ってもらっているが、どう食べたら」との話しがでました。むかごもやはり季節です。私の子どものころは、やまいも掘りで、ついでにむかごも採って、炊き込みごはんでよく食べていました。
これは子どもが喜ぶご飯ですね。むかごも今は贅沢品の部類になってきているのでは、と思う。

 

私の田舎は埼玉県。狭山茶の産地でもあります。子どものころには、家の周辺に茶畑がけっこうありました。恰好のかくれんぼの場所でしたが、その後、家が建ち開発がすすみ姿を消していきました。

 

初ものといえば、
「女房を質にいれても初鰹」
「秋茄子は嫁に食わすな」など、とんでもない格言もありますが、それだけ季節を大切にしてきたのではないでしょうか。

需要があれば季節を無視して生産する。人間の工夫ですが、やはり季節は大切にしたいものですね。