東京で桜が満開とのニュースがながれた。
梅の満開が終わり、続けて桜が・・・
子どものころ、近くに梅の木があった。
梅の花は桜に劣らない。
寒い冬を通りぬけ、最初に咲く梅の花には昔から格別の思いがある。
厳しさを乗りこえ、花ひらくという想いが。
人々はそこに人生を重ねる。
藤沢周平文学には梅の花がよくでてくる。
「三屋清左衛門残日録」には、清左衛門が若い女性を梅の花で救う話がでてくる。
「山桜」は不幸な結婚を強いられた女性が「手折って進ぜよう」と声をかけられ、その桜の花が新たな人生を、女性みずからが切り開いていく。「花のあと」は少女時代の淡い恋心が武士階級という制度に拒まれ、桜の花とともに進行していく。
人は咲きほこる桜の花にはまた別の意味をこめる。
悪い例は「華やかに咲き、さっと散る」、これが兵士を戦場に駆り出す道具となった。「御国のために潔く散る」と戦前の軍国主義に使われた。同時に「武士道」も歪められて。
今年は戦後80年になる。
二度と戦争はしないと誓った戦後の出発点だ。
しかし80年のいま、確実に戦争する日本につきすすんでいる。
「安保三文書」により、米軍との集団的自衛権の行使にまっしぐらの感がある。
この「安保三文書」により、自衛隊「統合作戦司令部」が先日発足した。
これは過去、1人の司令官に権限が集中しすぎる危険から見送られたことがある。
いまはそれすら考慮されない。
さらに深刻な問題は米軍の「指揮下」ということである。
自公政府は「そんなことはない」とさかんに否定するが、肝心な「軍事情報」は米軍頼りだ。
すでに他国攻撃できるトマホークを多数保持し、F35、実質的な「空母」まで所有している。
「スタンドオフミサイル」も自衛隊の中核的な武器システムになっている。
まさに米軍の最前線に。
日本国内では「日本が攻撃される」と盛んにあおっているが、他国からみれば「米軍とともに日本軍が再び攻めてくる」と疑心暗鬼だ。
異常なまでの軍事予算を可決した自民・公明、維新。協力的な国民民主。
トランプいいなりに、3%の防衛費へ突き進んでいる。
この危険な流れをストップさせなければ。
国連憲章の精神と日本国憲法9条の立場にたつ政治的流れを強めることが大切だ。
まもなく憲法記念日、そして参議院選挙だ。
寒い冬をくぐりぬけ咲く梅の花のように。
桜の花を決して兵士の鼓舞に使われないように。
(今日は思いつくまま、気軽に、脈絡なく書きました)


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