ふろしき王子のブログ◎
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明日はいくつかの宿題を進めながらも、
また絵を描こう。たいていは、今体験してることを描こうとしている。
寒ければ冬の絵。カレー食べたらカレーの絵というように。

しかし、それとはまた違う、僕の定番のテーマが以前より存在する。
・潮干狩り
・海女さん
・シマウマ(縞々)水着
他は蓮の花と葉も好きであり、
ちょいとアンニュイな女学生、そして鶏も。

海辺や水辺が多いのは、水辺が好きなことや
色香の相乗さるる所によるフェティシズムをはらんでいるものか。

思春期6年間を男子校で過ごしたお蔭か、胸の奥に
永遠の乙女像が暮らしている。
それは理想や空想であると共に、自分自身かもしれない。

基本的に、人の持つ隙や鬱々しさをも肯定したい心情があるのだが、
絵になる女性なら許される、という安心感もあるのか。

悲愴なお爺さまを描くのはつらい。これまでの人生を肯定したいから、
味がありつつ穏やかな表情にしたい。

だけれど少女ならば、今がつれない氣分であれ、光ある
行く末が期待できるし、何といっても女性はつよいイキモノという確信。

男は女に誉めてほしくて生きてる寄生獣のようなものだが、
女性は一人でも地球のために生きることができる。
しかも、男性のように物語を創ってかえって人生を
締めつけることもなく、今ある現状を受け入れ生かす
したたかな生命力がある。

何を書こうとも、「僕にとっては」という前置詞が潜んで
いるわけだが、ともあれ、そんな風に
僕の潜在には女性讃歌があり、少女に限らず
揺り籠から墓場までの女性を描きたい。
ときに男性も添えるが、よく見ると男性のメタファー(暗喩)といえそうな
様々な脇役?が存在している。
そのほとんどが生き物であるらし。

乙女が金魚を愛でてる絵では、
実は金魚が男性(僕)であり、乙女に愛でられたい希望が
図らずも表れているのかもしれないし、
少女は折り紙を折ったり金魚を愛でていてほしいという
男性側の願望なのか。

解釈は色色できるが、結局は、絵に意味があるのではなく、
好きな意味を持たせることができる。

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