要旨
日本に初めてキリスト教が入ったのは1549年宣教師ザビエルによる。つまり、1549年から「キリスト」の語は日本で使われていたと考えられる。この「キリスト」の語と共に江戸時代以降使われたのが「耶蘇」の語である。本研究は「キリスト」・「耶蘇」の語の伝来に着目し、語の差違を考えたうえで明治期において「キリスト」・「耶蘇」の二語に書き分けがなされているのかどうかを明らかにすることを目的とするものである。
「キリスト」の語は西洋由来の語であり、表記の変遷を経て「キリスト」になったと考え得る。また「耶蘇」の語は中国由来の語であり、中国における外来語受容の傾向をふまえると、音訳と意訳の合体で作られた語であると考え得る。二語に差違がみえることをふまえた上で、『明治文学全集』に収録されている作品・文献のうち「キリスト」・「耶蘇」の語の用例が多いと思われる二葉亭四迷、嵯峨の屋おむろ、内田魯庵、新島襄、植村正久、松村介石のもの29点を選び、それらを雑誌・新聞、書籍、手記・書簡に分類し、雑誌・新聞、書籍を公的なもの、手記・書簡を私的なものとして大別する。以上の分け方でそれぞれに見られる「キリスト」・「耶蘇」の語の数を比較した。比較は全体に加え、作品・文献の初出年代別、各著作者の作品・文献別、対象に含まれる小説の地の文と発話文において行った。
日本に初めてキリスト教が入ったのは1549年宣教師ザビエルによる。つまり、1549年から「キリスト」の語は日本で使われていたと考えられる。この「キリスト」の語と共に江戸時代以降使われたのが「耶蘇」の語である。本研究は「キリスト」・「耶蘇」の語の伝来に着目し、語の差違を考えたうえで明治期において「キリスト」・「耶蘇」の二語に書き分けがなされているのかどうかを明らかにすることを目的とするものである。
「キリスト」の語は西洋由来の語であり、表記の変遷を経て「キリスト」になったと考え得る。また「耶蘇」の語は中国由来の語であり、中国における外来語受容の傾向をふまえると、音訳と意訳の合体で作られた語であると考え得る。二語に差違がみえることをふまえた上で、『明治文学全集』に収録されている作品・文献のうち「キリスト」・「耶蘇」の語の用例が多いと思われる二葉亭四迷、嵯峨の屋おむろ、内田魯庵、新島襄、植村正久、松村介石のもの29点を選び、それらを雑誌・新聞、書籍、手記・書簡に分類し、雑誌・新聞、書籍を公的なもの、手記・書簡を私的なものとして大別する。以上の分け方でそれぞれに見られる「キリスト」・「耶蘇」の語の数を比較した。比較は全体に加え、作品・文献の初出年代別、各著作者の作品・文献別、対象に含まれる小説の地の文と発話文において行った。