日本語おもしろ発見

日々の生活から

飢餓を突破せよ

2008-09-10 17:46:47 | 日本語豆知識
 『中央公論』1946年6月号を読んでいます。太平洋戦争終結が1945年ですから、その次の年ということになります。

 戦後、食糧や物資が足りず、大変貧しい時代でした。そのころの記事ですが、一部を引用しますと、

  各人各家庭がそれぞれの環境において、より積極的な飢餓突破の責任態勢を確立しておくことが、政治の激動期においてとくに要望されねばならない。それは政治をみすてることではなくして、逆に政治に目覚めたる民衆の新しい生き方を示すものであるともいへよう。この民衆の自覚のうへに政治が直結されるとき、単なる飢餓突破を超えて国民の幸福は近づくのである。 

 最初、おやと思ったのは、「飢餓突破」というキーワードでした。日国オンラインの全文検索でざっと調べたところ、「突破」という語は新しい語で、

 ①障害となるものを激しい勢いで押し込んで破ること。特に、戦闘行動で、敵の部隊や艦隊を正面から攻撃して分断すること。

  *歩兵操典〔1928〕第二七五「突入に引続き通常敵の縦深ある配備を突破するを要するに至るを」


 ②ある目的、数量などに達し、それを超えること。

  *記念碑〔1955〕〈堀田善衛〉「小作争議の方は今年に入ってからだけでも三千件を突破しそうになってるんだよ」

 このように、使いますよね。そのほか、①の発展形で、

 *林檎の下の顔〔1971~73〕〈真継伸彦〉四「全市で合格者五十人という難関を突破して」

 こういう例もよく使います。ところが、「飢餓を突破する」というのは珍しいと思いました。戦後らしい表現であると言えますね。

 で、さらに、内容ですが、飢餓を乗り越えるのは、みなさんの責任でよろしく、それこそが政治に参加していることなんです、そして、そうすることによって、幸せになれますよという他力本願というか、無責任な内容に、なんだかなあと・・・今も昔も日本の政治って一体・・・
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