合唱団の有志で小田原に出掛けた。
花見もあったが、主目的は「北原白秋童謡の散歩道」を散策すること。
北原白秋は大正7年に小田原に移り住み、それから約8年過ごしたという。この間、有名な童謡の詞の多くをこの小田原で書いたそうだ。
我が合唱団は、今度の定演で北原白秋・山田耕筰コンビの童謡を演奏する。そのために白秋が童謡を作った足跡を辿り、少しでもその世界に深く触れようということが趣旨だ。
当日は残念ながらどんより曇った花冷えのする生憎の天気。まぁ、雨が降らないだけ良いか。
11時に小田原駅に集合して、西口のバスロータリーから歩き始めた。
最初のうちは住宅街の坂道を昇ってゆく。途中途中に白秋の童謡を記したプレートが立ってる。
僕らはてっきり石碑でも立っているのかと思ったら、樹脂板の簡単なプレートだった。ちょっとがっかり。
でも「へぇ~、この辺りであの詞を書いたんだ!」とか「白秋もここに佇んで、僕らと同じ景色を眺めたんだねぇ~」など、それぞれのプレート設置場所が興味深く、楽しく散策することが出来た。
散策路の真ん中の一番の高台あたりに「からたちの花」の碑があった。
「からたちはどこだ?」…、枳は見つからず。もちろん「まろい金の玉」も今の季節にある訳がない。
でも昔はこの辺に枳がたくさん生えていたのかなぁ。
散歩道の途中から郊外の畑の間を抜ける道となる。案内板があったが、僕らが歩いている尾根のような畑の道は、昔の小田原城の外郭の土塁と空掘の跡だと分かった。「小田原城総構(そうがまえ)」というらしい。
なんとも立派な土塁だ。高台の城山公園辺りは「大堀切」といわれ、鬱蒼とした林の中に高さ10m、幅20mはある大掛かりな土塁が残っている。
凄いなぁ、小田原城って大きかったんだねぇ~!
この城山公園で昼食にした。桜はまだ三分咲きで、すっかり花冷え。寒の戻りで結構寒かったが数組の花見客のグループが鍋をやったり、焼肉をやったりで楽しんでいた。
僕らだって負けていません。持ち寄った弁当やお酒で乾杯!う~ん、桜はまだだし寒いけど、呑めりゃぁ楽しいさ、体も内から暖まるよ。
さぁ、まだ散策路は残っている。頑張って歩きましょう!
高台を下ってきた住宅街に、白秋が暫く暮らした伝肇寺というお寺がある。ここの本堂の側に「木兎の家」と呼ばれた藁葺きの家があり、白秋はそこに住んでいたという。(現存はしていない)
伝肇寺の境内には、樹齢〇〇〇年?の萱の木の大木がある。白秋はこの大木を眺めて「かやの木山」を創ったのだろうか…?こういう想像は楽しい。
そのあとは白秋童謡館を見学し、小田原城に向かった。
この日、小田原城では「かまぼこ祭り」を開催中だった。
本当は早めに小田原城に行って、かまぼこで熱燗を呑もうと話していた。
でも意外と童話の散歩道に時間がかかってしまい、かまぼこ祭りはほとんど終わっていた。残念!
「じゃぁ、軽く体を温めてから帰ろうか」の、本日の幹事Hさんの一言で駅前の居酒屋へ。
地魚刺身盛り合わせや煮魚なども美味かったが、僕が気に入ったのは「旬の山菜の天ぷら」、うど、ぜんまい、こごみ、ふきのとう、たらの芽、etc。
うまいなぁ~、燗酒に合うなぁ。今度家で天ぷらやろうかな。
多少面倒でも、この揚げたてのさくさくした旬の味を堪能できるのなら、挑戦してみたい。
今回の散策は、白秋の足跡を追うことが出来たことももちろん大きな成果だが、さらに小田原城外郭の壮大さや、高台とお城の南側の高級住宅街の見事さに感心した。
考えてみると小田原の市内をこんなに歩いたのは初めて。
仕事で1~2回来たのと、小田原城での花見に2回ほど。あとは伊豆や箱根に行く時に通過しただけだ。
この高級住宅街は、敷地も相当広く車も3台は止められるガレージ付きがほとんど。田園調布の住宅街と引けをとらない。
こんな家は無理としても、将来は小田原あたりに住んでみたなぁ~。
自然も豊かだし海も近いし、美味しい魚もたくさん獲れるし、東京にもまあまあ近いし、男声合唱の練習にも通えるし…。
まぁ我が団のメンバーはこんなものです…