呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

嫁を偲ぶ~母の俳句から

2008-05-26 | 家族のこと
僕の母は、実は俳人である。
地元ではそれなりに知られている存在だ。
その母が、妻の病気のことや入院と逝去、その後の僕ら家族のことは、一切俳句として発表していなかった。
一周忌にあたり、「いくつかは作っていたんだけど、どうしても主観的になって出来はイマイチなので外に出していなかった。でも一周忌だし、身内だけにお見せしようと思って・・・」とまとめてくれた。
82歳の父がパソコンで打ってくれて、参列者に配布した。

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病棟は八階富士の夕焼くる(平19/5/23 S大学病院へ見舞う)

アネモネの開ききったり屈託へ(19/5/23 S大学病院)

病院を出づるなきがら五月闇(19/5/27逝く 五十歳と一ヶ月)

五月逝く一夜枕を並べけり

訃も喪また一字で足れり五月闇

白百合や五十路大事に罷りぬ(19/5/29通夜)

犬を飼う夢のまま逝く夏浅し

百合の香や長男喪主をつとめおり(19/5/30お弔い)

柩埋め尽くす夏菊幼な泣く

荼毘の扉を閉ざして梅雨のひたひたと

骨拾ふ重きしぐさや梅雨明り

打ち水を辿りて墓地を購(あがな)えり(19/6/30霊園にて)

白き布墓石を拭ふ涼あらた(19/9/02百か日法要・納骨)

佛壇の奥行浅く初明り(20/1/1)

亡き人のいつか在るごと年迎ふ

亡き人も一人と数ふ雑煮椀

青年の供華を振り振り冬麗(20/1/2墓参)

拭きゆける墓の眩しも二日晴れ

彼岸参り若き佛に花増やし(20/3/22墓参)

(一部省略)

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前にも書いているように、僕には俳句や和歌を愛でる才能がない。
だからどの句も、正確に理解出来ているわけではない。
しかし、母がこの一年どんな気持ちでいたのか、どんな思いで僕たち親子を見ていてくれたのかが、十分に理解できる。
皆さんにもじっくり読んでいただいて、その時々の情景を想い描いていただければ幸いである。

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晴れたよ!~妻の一周忌

2008-05-26 | 家族のこと

午前中の土砂降りで、やっぱり妻はまだ迷っているのかと思った。
去年の4月25日、妻が入院する日は朝から雨だった。
入院を嫌がり唯でさえ憂鬱そうだったのに、雨でタクシーがなかなか来なかった。
どうせなら、さっさとタクシーで病院に連れて行って欲しかったろう。
タクシーを待つ30分の間、妻は何を思い何を感じ何を見ていたのだろう。
さぞかし辛い30分であったろうと、今でも思う。

そしてその後は五月晴れが続いていたのに、妻が亡くなった日はどんよりと曇っていた。
告別式も曇りで、火葬場に向かうときには小雨が振り出した。まさに妻の涙雨。
今年は雨の多い5月だったが、それにしても一周忌法要のときに振らなくても良いだろうと思う。
霊園の都合もあり、墓地の前で坊さんにお経をあげて貰うことにしていた。
雨じゃ、法要も台無しだ。
Sよ、まだ迷っているのかい?喪明けにはしたくないのかい?

しかし昼過ぎには、雨はすっかり上がっていた。
法要が始まる頃には、もう雨の心配はなくなった。
空も次第に明るくなってきたし。
あぁ~、妻らしいね。
自分のことを差し置いても、人のことを考えるタイプ。
ある意味、気を遣い過ぎるところがあった。
坊さんや家族・親戚が困るようなことをする訳がない。

一周忌により、漸く喪が明ける。
本来はこの1年は、祭事や祝い事に参加することを慎み、行動も控えめにするべき期間であった。
僕は全く以ってそんなことは意識しなかったが、まあ気遣いの女房殿であったから、うるさい事も言わないだろう?
それでもやっぱり一区切り。
これから如何にして生きてゆくか?何が出来るのか?
妻の分も合わせて、充実した人生にして行かなければならない。
それが何よりの妻への供養になるのだと、勝手に思っている。

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