物が存在することは、そこに心意識の働きがなければあることにならない。
その辺に転がっている石ころだって、そこに我々が認識すればこそあることになるのであって、誰にも知られない石ころは石ころに心意識の働きがない以上、存在を知られることなく、ただだまって存在しているだけである。いや、石ころという以上認識されていることになるので、それこそ何ともないことになるのである。
認識されなくても存在するものがある、あるはずだという考えも当然あるであろうが、それは「ある、あるはず」という認識程度に存在しているということである。
存在するもの=物×心