十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

物心一如

2008年08月30日 | 生命

 物が存在することは、そこに心意識の働きがなければあることにならない。


 その辺に転がっている石ころだって、そこに我々が認識すればこそあることになるのであって、誰にも知られない石ころは石ころに心意識の働きがない以上、存在を知られることなく、ただだまって存在しているだけである。いや、石ころという以上認識されていることになるので、それこそ何ともないことになるのである。


 認識されなくても存在するものがある、あるはずだという考えも当然あるであろうが、それは「ある、あるはず」という認識程度に存在しているということである。


 存在するもの=物×心 

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