10月24日(月)晴のち曇
昨日はトルコ東部で大きな地震があったようです。最近と言うか今年は特に世界中で自然の猛威にさらされているようです。どうしてなのか考えてみましたが、原因は多分二つあります。
一つは情報社会になって世界中の隅々までどんなことが起こっているのか我々が知ることができるようになったためなのでしょう。昔なら遠い世界の事件など報道されることもなかったから知らずに過ごしていたことが映像メディアで克明に知らされるようになったことが一番の原因です。
二つ目は高度文明社会を満喫できるようになった人類が文明に頼り切った生活をしていたため、高度文明の前提条件が崩れた時、その影響がより大きくなり世界中に何らかの影響を与えるようになったためだと思います。
大地震も大水害も太古の昔からあったのでしょうけど、人口も少なく経済活動の範囲も限定的だった時代には被害規模も最小にできたのですが、人間が世界中を飛び回れるようになり、経済活動もより広くなったことが、より深刻な事態を招く結果になっているのかもしれません。
話は極端に飛躍しますが、寺田寅彦の随筆の中に神話と地球物理学について記述したものがあります。神話に登場する神々の間に起こる様々な事件や葛藤の場面の描写として自然現象の種々相が採用されているのではないかと言う話です。
日本神話では当然日本の太古の自然現象が象徴的に神話にちりばめられている訳です。八俣(やまた)の大蛇(おろち)は火山から噴き出す溶岩流の光景、天の岩戸を取って投げたのが戸隠山になったのも火山爆発という現象をとらえての話とも考えられる訳です。また出雲風土記の国曳きの神話も大陸移動の事実をとらえたものとも言えます。すなわち神話は古代人の勝手な想像の産物ではなく、その国に起こった太古の自然現象を象徴的にあらわしていると云えなくもないと彼は言っています。そんな視点で神話を読み解いてみるとそれぞれの国々に起こった太古の自然現象を想像することができ、現代に起こっているいろいろな自然災害に対する参考にもなるような気がしました。地震や火山活動だけでなく風水害や津波に対する象徴的な記述もありそうな気がしています。そんな観点から日本の神話をもう一度読んでみるのもおもしろそうです。
小説でもまったくの空想で物語を創ることはできません。何らかの事実を元に想像を膨らませて行ってできあがることを考えれば、世界各国の神話にはその国の太古の事実が隠されているような気がしてきました。
今日はこれまでです。