”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(58)

2006年04月27日 20時23分06秒 | ビジネス
4月27日(木)曇りのち晴れ
今日は朝はちょっと肌寒く雨が降りそうな天気でしたが、午後は急に暖かくなりましたね。夕方医者に行ってやっと原則ギブスをはずしても良いことになりました。ここ2週間原則ギブス着用から、原則はずしても良いですからほっとしています。でも完治ではないようです。リハビリしながら2週間後にもう一度レントゲンで確認して、やっと長かった骨折生活から脱却できるようです。でももう二度と骨折はしたくないものです。このつらさはやったものしか絶対にわからないと思います。多分やったことない人は頭の中で理解していてもその行動が実感としてわからないでしょう。まさに前回の朱子学と陽明学ではないですが、僕は知行合一の陽明学を実践したことになります。こんなことで実践してもしょうがないですけど。
ところで今日は日本の歴史における精神的バックボーンを考えてみたいと思います。日本に大和朝廷ができて、その背景となる哲学は八百万の神々を祀り、祈祷と伝説を規範としていたと言えます。それが聖徳太子の時代に仏教が伝来し神道と仏教の融和思想ができ、後の奈良時代・平安時代は他力本願の仏教が、鎌倉時代は仏教でも自力本願の禅宗が政治的背景となります。鎌倉末期に後醍醐天皇による王政復古の南北朝はその背景に儒学(朱子学)があった話は前回しましたが、その後の室町時代はやはり禅宗が背景にあったように思います。そのあとの戦国時代、安土桃山の時代はどちらかと言うと禅宗的かもしれませんが何も精神的背景のない混沌の時代だったと思います。そして江戸時代になって世の中が落ち着いてくると、封建的な儒学(朱子学)が精神的バックボーンとなり、武士道なる日本的儒学が確立してきます。江戸末期になって一部陽明学をトリガーにして明治維新への動きを加速しますが、明治・大正・昭和の時代は朱子学・武士道を背景とした官僚による時代だったと思います。それが太平洋戦争後武士道を中心とした精神的背景を教育することができなくなり、我々日本人はバックボーンを今失いつつあると言っていいでしょう。戦後の高度成長時代はそれでも、社会的なリーダー達は武士道教育を子供の頃受けていること、さらに戦後生まれの僕達第一世代は親の影響を多分にうけていたことなどから、まだ精神的バックボーンがあったと言えます。問題はこれからの戦後第二世代の時代には精神的バックボーンのない世代が登場してきます。これからの日本の一番の心配は、心の支えとなる道徳がバラバラになっていることだと思います。別に仏教道徳であろうが儒学道徳であろうが武士道的道徳だろうが神道的道徳(?)だろうがかまいませんが、我々日本人の根底となる思想的バックボーンが失われてきつつあることは政治においても、企業においても問題だと自分は思います。どんなことがおきても軸足のぶれない基本となる精神が社会的発展には必要不可欠だと思うからです。これからの若いリーダー達には是非心の支えとなる哲学を身につけてもらいたいものです。お金中心の世の中ですが、お金では買えない心の豊かさを身につけてほしいものです。そしてお金だけで動かない或いは損得だけで動かない人間としての生き方の哲学であってほしいと思います。
だいぶ年寄りじみたお説教のように言われてもしょうがないけど、お金のために魂を売る人達の事件を聞くたびに、またそれを防止する目的だけの法律で縛る今の社会は歴史からみると、長く続いたことはないようです。我々が歴史から消えないようもっと、心のあり方をそれぞれが勉強すべきです。
今日はこの辺で終わりです。ではまた。
コメント
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