”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(57)

2006年04月25日 22時53分57秒 | ビジネス
4月25日(火)曇りのち晴れ
今日も寒い一日でしたね。もうすぐ5月だというのに。
さて今日はどんなことを書きましょうか?最近ネタ不足が顕著になり、どちらかと言うと毎日の話に連続性がないと思いますが、だからよもやま話だと堪えてください。以前朱子学と陽明学の話をしましたが、少し補足をしたいと思います。孔子の教えである儒教は宋代に朱熹によって朱子学として整理されました。朱子学は理を重視した道徳感を体系化した点ですごいことなのですが、あまりにも形式的になりすぎたため、明代に王陽明によって心を重視した実践的な儒教が出てきて”知行合一”と言う言葉に代表されるような考え方でてきた。と言うような話を以前しました。(No38)その時は朱子学は尊王の考えの元に官僚制度のような政治的支配のための学問と思っており、人間本来のあるべき姿は陽明学にこそあると思って書いていました。それはそれで今でもそうだと思っていますが、なぜ陽明学が中国ではあまり評価されていないのかよくわからなかったのですが、最近ちょっとわかったような気がしています。それで今日補足を書いてみる気になりました。おそらく陽明学で言う道徳感はすごく当たり前で正しいと思います。ただあまりにも正しすぎて怖いのかもしれません。本質を突きすぎていて、遊びがまったくない歯車のようなものかも知れないと思ったのです。それと政治を支配する側からみたら統治しにくいのかもしれません。
その点朱子学は尊王の秩序の上に道徳を体系化しているようなので支配側からは扱い易い学問なのでしょう。日本の歴史の中で朱子学は二度とりあげられていますが、皆さんは御存知でしたか?実は僕も徳川幕府が朱子学を奨励したことは知っていましたが、もっと昔に取り入れて朝廷を作った人がいたことは最近までしりませんでした。そのもう一つと言うのは南北朝時代の後醍醐天皇だそうです。後醍醐天皇は宋で起こった朱子学を聞き、単純に本来の王である天皇を中心とした政治に戻すべきとの考えから、鎌倉幕府をつぶしたようです。ただ当時は朱子学を学んだ学者もほとんどいなかったため、あまり支持もえられなかったようです。特に尊王の思想の元に論功褒賞を行ったため、足利尊氏等の武士から不満が出て、北朝の樹立、室町幕府の時代になっていったようです。その点江戸時代には武家の学問として充分な下地ができていたため、明治への大政奉還はスムーズにいったとのことです。(No38と矛盾しているように思われるかもしれませんが、イノベーションのトリガは陽明学的に行われ、政治的な仕組みづくりは朱子学的に行われたと考えればいいと思います。同じ儒学ですから)
僕は陽明学を究めた人間でもないし、まして朱子学の詳しいことはよく知りませんが、いろいろな解説書を読みながら、陽明学は極めて本質的な生き方を示していると思うけど、切れすぎる刀のようなもので使い方を間違えると結構正しいがゆえに怖いものかもしれません。江戸末期の陽明学者の不幸なできごとも、そんなためなのかもしれません。
今日はこの辺でおわりです。明日は飲み会があるのでお休みです。また木曜に会いましょう。
コメント
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