”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(114)

2006年09月15日 23時35分37秒 | ビジネス
9月15日(金)晴時々曇
さていよいよ「大学」も最終回になりました。早く終えてしまおうと思いつつここまで来てしまいました。どうしても一度始めてしまうととりあえずやれるところまできちっとやろうとしてしまうバカな性格なのでしかたないですね。早く見切りをつける現代人が多い中でみるとどんくさいやつかもしれません。前置きはこのぐらいで早速伝九章、伝十章にはいりましょう。

(伝九章)
所謂国を治むるには必ず先ずその家を斉うとは、その家教うべからずして、能く人を教うる者はこれ無し。故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。孝は君に事(つか)うる所以なり。弟は長に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。

康誥に曰く、赤子を保つがごとしと。心誠にして求むれば、中らずと雖も遠からず。・・・・・(中略)・・・・・・・・・これを一言事を僨(やぶ)り、一人国を定むと謂う。

尭舜天下を帥(ひき)いるに仁をもってして民これに従う。桀紂天下を帥(ひき)いるに暴をもってして民これに従う。その令する所その好む所に反して民従わず。・・・・・(中略)・・・・・

詩に曰く、桃の夭々たる、その葉秦々たり。・・・・・(中略)・・・・・

(解釈)
国を治めるにはまずその家をととのうとは自分の我が家さえ教うることができないのに、その国民を教うることができるわけがない。故に君子が国を治めようとするにはただ己の身をもって家を教うれば自然に一国の模範となって、国民はその徳に感化されるのである。親に孝行する心をもって君に仕えればすなわち忠、兄に対する弟の心をもって年上の者に使えればすなわち順、子弟を慈しむ心をもって衆人を使えばすなわち恵である。この忠・順・恵の三つは君子が身を修めて家を教うる元になる心であるが、国民が君に仕え、長に仕え、衆を使うのも同じことなので、君子は家を出ることなく、その教えを国に広めることができるのである。

書経、周書の康誥に、人君が国民を愛するとは母親が赤ん坊を大切にするようにしなさいとある。母親が心から赤ん坊が何を欲しているかを求めようとすれば、あたらずといえども遠からずでだいたい何を求めているかわかるものだ。・・・・・
たった一言で物事をダメにできるし、たった一人の優れた人物で国は安定されるのである。

中国古代の聖人である唐堯(とうぎょう)や虞舜(ぐしゅん)は天下を治めるのに仁をもってしたので、万民皆従ったのである。一方中国古代の暴君である夏桀(かけつ)や殷紂(いんちゅう)はは暴虐をもって天下を治めたので民は皆これに従い互いに相凌ぎ相欺いたのである。すなわち君主の命令することが、君主の好んでいること反していたら国民はその命令には従わないものである。勉強嫌いのお母さんが子供に”勉強しら”と言っても子供は従わないものですとおなじことですね。

詩経に・・・・・・・・あとは省略します。要は家をちゃんとできれば国も治まるということの解釈が伝九章です。

(伝十章)
所謂天下を平らかにするはその国を治むるに在りとは上老を老として民孝に興り、上長を長として民弟に興り、上孤を恤みて民倍かず。ここをもって君子契矩の道あるなり。
上に悪む所、もって下を使うなかれ。・・・・中略・・・・・

詩に曰く、楽しき君子は民の父母と。・・・・略・・・・
この故に君子先ず徳を慎む。徳あればこれ人あり。人あればこれ土あり。土あればこれ財あり。財あればこれ用あり。徳は本なり。財は末なり。・・・・(中略)・・・・
この故に言悖って出づる者は、亦悖って入る。貨悖って入る者は、亦悖って出づ。
・・・・・(中略)・・・・・・・・
仁者は財を以って身を発し、不仁者は身を以って財を発す。未だ上仁を好みて下義を好まざる者あらざるなり。未だ義を好みてその事終わらざる者あらざるなり。未だ府庫の財その財に非ざる者あらざるなり。・・・・・
これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すを謂う。・・・・・・・

(解釈)
天下を大平の世にするはその国を治めるにあると言うのは、人君が老人に仕える心をもって老人を尊べば国民は皆これにならいその父母に孝行するものである。人君が長者に仕える心をもって敬えば、国民はその兄には弟として振舞うものである。人君が幼くして親を亡くした孤児を憐れめば国民は皆これに倣いそむくことはない。このように上に立つものに倣って下の者が行うものである。そこで君子は己を推して人を度(はか)る契矩の道というものがあるのである。
上司が自分を使う時にいやなところがあれば、自分が部下を使う時にそれと同じ事をしてはならない。・・・・

詩経の小雅、南山有台の編に、徳があって楽しむべき君子は国民の父母であると。・・・・
それ故君子はまず第一に徳を慎む。徳があれば人が集まってくる。人が集まってくれば、自然とその領土は広がる。領土が広がれば当然租税も多くなるから財が増える。財が増えて国のためにそれを使えば国は豊かになる。要するに徳は本であり、財は末である。・・・・
それ故君主が道理に外れた言葉を発すれば、国民からも道理にはずれた言葉が帰ってくるものである。道理に外れたやり方で稼いだお金は身につかず出て行くものである。
・・・・・・・・・・
思いやりのある君主は財があればそれを国民のために使うことで自身を奮い立たせ、思いやりのない君主は自身の欲望のままに財をかき集めることに使う。未だかって君主が思いやり慈しむ政治を好んでいるのに、国民が正義の行いをしないということはない。未だかって正義の行いを好んでして、物事を完成させられないと言うことはない。すなわち正しい目的の為の行為は必ず最後には成功するものである。そして正義の行為により成功して得られた財は人の役に立たないと言うことはないのである。・・・・・
君主は私的な利益を利益とするのではなく、国民の正しさこそを利益とするのである。
・・・・・
以上伝の十章の解釈です。

九章、十章はいろいろな例をだして解釈をしており、結構長い文です。とりあえずちょっといいところだけを抜粋して書きましたけど、時間のある方は一度全部目を通してみてください。国を企業と置き換えて解釈してみるとビジネスにも通用することが多いのではないでしょうか。経営者や幹部の立場の方には一度読んでほしいと僕は思いました。と言っても今はそんな時代ではないと笑われそうですが、僕はビジネスにも正しいやり方があると思っているので敢えて書きました。とかく結果さえよければ全てよしなどと言う人もいますが、物事の”本”と”末”は転倒してはいけないことだと自分は思います。
どうも長いお付き合いありがとうございました。これにて「大学」を読むを終わりにします。
明日からは3連休です。ブログもお休みさせていただきます。
それではおやすみなさい。

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