”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2013年09月27日 20時02分13秒 | Weblog

9月27日(金)晴

気持ちの良い天気でした。この天気とともに体調も戻ってきています。
昨日は2週間ぶりに少しお酒も飲んで気持ち良い時を過ごせたような気がします。まぁ何が良いとか悪いとか考えずに自然に振る舞って、世の中の道理にかなっている人生の過ごし方が最善と言うことなのでしょうか。

「雁木の間に出入す」と言う言葉があります。古代の大伴旅人と言う歌人が荘子の寓話から雁や木の立場にこだわらずに悠々と生きていることを表現したものです。

ここまで読んで、多分だれも意味がわからないと思います。荘子の寓話をご存知の方には少し意味がわかってもらえると思いますが。

荘子がある時弟子を連れて旅をしていると、一人のきこりが木を切っていました。きこり曰く「この木は立派で、良い材料になるから切っているのです。」と。それから更行くと、親切な村人が荘子達にごちそうしてくれたそうです。そして村人曰く「この雁は良く鳴かないので殺しました。」と。
これを聞いた弟子の一人が荘子に尋ねました。「先生、さっきは役に立つと言って切られました。そして今度は役に立たないと言って殺されてしまいました。私たちはどうしたらいいのですか?」
そこで荘子は「いや、人間役に立つとか立たないとか考えないで、ごく自然に生きるのが一番なのです。」

要するに役に立つと言うのは良いことですが、役に立とう役に立とうとばかり考えていると生き方がわざとらしくなる。心を自由にした振る舞いをして結果として役に立つ生き方が本当の生き方なのだと言っている訳です。正直、不正直も同じことであまり正直ばかりを考えていては返って身動きが取れなくなってしまいます。もちろん不正直が良いと言っているのではなく、自然に振る舞って正直なのが一番良いと言う事です。

老荘思想の「無為自然」を尊重する生き方です。僕は決して孔子の「論語」を否定する訳ではないが、あまりにも正義とか正直とかに捕われ過ぎると結果として泥沼に入りこんでしまうこと多いような気がします。日本人は古代からこう言ったことを潔癖なまでに追求せずに丸く収める術を持った民族だったような気がします。ところが最近あまりにも正論を突き詰めて、自分達を身動きできないところに持って来過ぎたような気がしてならないのです。

ところで明日はずいぶん昔、東京でいっしょに仕事をした仲間とゴルフに行ってきます。体調は完璧ではありませんが、天気は涼しそうなのでスコアを気にせず楽しんできます。

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