僕の「お初」より:ミックスジュース
僕は、ミックスジュースというものを大学に入ってから初めて飲んだ。
まあ、色々な果物をジューサーで擂り潰してジュースにして飲んだのだ。これを飲んだのは京都の「進々堂」喫茶店である。
今出川通りに面し、通りを越えて南面は京都大学のキャンパスだ。1963年頃か、僕が建築学科の4回生の頃だ。絹谷祐規先生(当時、助教授、教授は西山夘三さん)に連れられて「進々堂」に来て飲んだのがミックスジュースであった。
絹谷さんには色々なことを習ったが、喫茶店でコーヒーではなくミックスジュースと言う僕にとってはハイカラーな飲み物も習ったのだった。
その絹谷さんが、僕が大学院修士1回生の頃(1964年の夏頃)、オランダ留学に出かけ、こともあろうに「交通事故」で亡くなったのは、かえすがえす残念だった。
慕っていた若い先生に先立たれたのも初めてだった。
僕は、ミックスジュースというものを大学に入ってから初めて飲んだ。
まあ、色々な果物をジューサーで擂り潰してジュースにして飲んだのだ。これを飲んだのは京都の「進々堂」喫茶店である。
今出川通りに面し、通りを越えて南面は京都大学のキャンパスだ。1963年頃か、僕が建築学科の4回生の頃だ。絹谷祐規先生(当時、助教授、教授は西山夘三さん)に連れられて「進々堂」に来て飲んだのがミックスジュースであった。
絹谷さんには色々なことを習ったが、喫茶店でコーヒーではなくミックスジュースと言う僕にとってはハイカラーな飲み物も習ったのだった。
その絹谷さんが、僕が大学院修士1回生の頃(1964年の夏頃)、オランダ留学に出かけ、こともあろうに「交通事故」で亡くなったのは、かえすがえす残念だった。
慕っていた若い先生に先立たれたのも初めてだった。