西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

大水害(日本)、ハリケーン、山火事、竜巻(アメリカ)等への対応

2011-09-06 | 思いつきから仮説へ
今年は、3月に東日本大震災が起こり同時に東電福島第一原発が大事故を起こして現在に至っている。「対岸」のアメリカでは、ハリケーンが今度は東海岸を襲い、ニューヨークも含めて大変な事態になっている。更に山火事が起こって人家も飲み込んでいる。また、アメリカではたびたび竜巻が人家も吹き上げている。

まあ、原発事故を除いて最近、自然の異常が人間にも大被害をもたらしている。こういう自然の異常が人類を襲うときには、過去においては、それらの危険が起こりうる場所を避けて移り住むのが当然だった。今後も、そういう流れが中心にあるべきだろうと思う。

しかし、昔は人類は地球上ではまだまだ過疎であって、色んな所に移動できたが、最近では過密になってしまい、移動しようにも移動しにくいというのも実態だろう。

全世界的に、ないし全国的に戦略的移動(移住)政策を確立していくべきだろう。

西山夘三生誕百周年記念イベントに行く(1)

2011-09-04 | 京都の思い出(助手時代)
今年は、「科学的住宅計画」を戦前にほぼ確立した西山夘三先生(京大教授歴任、1994年没)の生誕百周年の年で(ほぼ関係がないが、法然800回忌、親鸞750回忌の年でもある)、昨日から始ったイベントに大阪・梅田北に行った。

近鉄で鶴橋まで行き、JRに乗りついで梅田(大阪駅)まで行った。大阪駅は、橋上駅として生れ変わったようだが、時間的にゆっくり見る間がなく、うろうろした後、北口に出た。ここも2000年頃とすっかり変わってビックリ、交通整理のポリさんに聞いて、梅田スカイビルタワーに行った。真っ直ぐ北に歩いて、皆の流れについて西に行き地下道を抜ければ良いとのことだった。

途中、まあJR西日本の持つ「ヤード」の超高層ビルによる「開発」途中の状態を見ながら進んだ。人間的スケールを遥かに超えて空中に大きな鉄骨が縦横に走っている。こういう側を歩くとは・・・、こういう空間に「疎外」されていると言うべきだ。

南海、東南海そして東海大地震が来たら大変だな、と思わざるをえなかった。

地下道を抜けて地上に上がると梅田スカイビルタワーだった。「ウエスト」に行きエレベーターで22階、ここで13時半から「記念シンポジウム」がある。

その前に最上階に行った。ここでは9月19日まで『昭和の住まい展』がある。西山夘三先生が撮られた写真、描かれたスケッチなどによる戦前、戦後の「昭和の住まい」特に庶民の住まいがずらりと展示されている。2000年にも行われたが、再度精選されての展示である。是非みてほしい。

戦前、戦後を苦労して過ごされた方々には思い当たる風景もあるであろう。建築学科、住居学科等の学生に特に見て欲しいが、夏休み、先生方からメイル等で知らせて欲しい。

最上階の35階から22階のシンポジウム会場に「戻る」のに苦労した。長い長いエスカレーターに乗ったが、こういう時に大地震が起きれば、「落ちる」恐れもある、と話しあった。恐い恐い!

シンポジウムについては、実り多く別に書く。

本イベントの主催は、NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫であるが、協賛は、積水ハウスそして後援が、日本建築学会近畿支部、大阪市住まいのミュージアム、都市住宅学会関西支部、日本住宅会議関西会議、新建築家技術者集団近畿ブロックである。

関係者の皆さん、期間中、是非おいで下さい。


海岸、河岸そして山際などを避ける住宅立地を

2011-09-02 | 地域居住学
台風12号が来ている。テレビを見ると太平洋岸の多くの地点、地域で大きな波が怒涛のように押し寄せている。先の東日本大震災の津波もそうであるが、海岸は「危険な」地域である。

次は河岸、「五月雨や大河を前に家二軒  蕪村」のように河岸も堤防決壊があって「危険な」地域である。

そして、大雨の後、山崩れの恐れがある山際、ここも「危険な」地域と言えよう。

他に大地震で地面が流動化する恐れのある埋立地も「危険な」地域である。

こういう所は避けて住宅等の生活空間をつくるべきなのは当然なのに、未だそういう危険なところに住んでいる人も多い。まあ長い目で、危険な立地を避け、リッチな立地を追求すべきなのは論をまたないだろう。

住宅を選ぶ時、先ず第一に安全な立地かどうかのチェックが最優先なのに、そういうことを「飛ばして」いる人もいる。「家庭科」の住宅の項で先ず第一に教えるべきことであるのに、そうなっていないからであろう。

「家庭科」を教える先生方、頑張ってね。工学部の建築学科(生活環境学部住居学科)でもそういうことは教えるべきだ。