西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

津波、土砂崩れが窓等から「見える」ように

2011-09-14 | 地域居住学
東日本大震災では、海側の「津波」、山側の「土砂崩れ」(これは、主にその後の台風性豪雨による)によって壊滅的被害を受けた、と言ってよい。

どういう復旧、復興をするにせよ、再建された住宅からは「津波」や「土砂崩れ」が、窓等を通じて、はっきりと見えるようにすべきであろう。夜間のことも考えて、外界の音もはっきり聞けるようにすべきでもある。

津波や山崩れが見えるならば、いち早く判断して高台に逃げることも出来るだろう。

再建住宅では、是非、津波や山崩れが見るように窓等の設計をして貰いたい。

西山夘三先生を更に学習し研究する

2011-09-14 | 地域居住学
これは、去る9月11日(日)に行われた「新建」による「西山夘三生誕100周年記念シンポジュウム」「西山夘三の残した業績と受け継ぐもの」で配布された資料集(全26頁)に集録された寄稿の一つで、私が8月11日に書いたものである。

表題は、「西山夘三先生を更に学習し研究する」である。

西山夘三先生を更に学習し研究する 
                2011年8月11日 新建奈良支部 西村 一朗

はじめに 
筆者は、1963年度に京大建築学科の西山(夘三)研究室で卒論を書き、大学院で修士論文を書き、豊田高専に就職の後1970年から1974年まで京大に戻り助手を勤めた。
その間、1972年~1974年の2年間、西山夘三先生が京大を定年退官されるまで最後の助手であった。そこで、日々、西山先生の謦咳に接していた。そういう立場から、西山夘三先生生誕100周年(没後17年)にあたり、影響を受けた幾つかの点と今後更に学習し研究すべき課題についての私見を述べてみたい。

最初の影響―建築評論家としての西山夘三先生
 最初に西山先生の考え方の一端を知ったのは専門課程の3回生になった1962年の夏休みに岩波新書で『現代の建築』を読んだ時だった。この新書(229番、現在絶版)は1956年初版のもので、私が読んだのは1962年7月の第9刷のものだった。結構ロングセラーだったのではないか。この本の成り立ちについて西山研の大先輩とも言うべき扇田 信先生(奈良女子大教授歴任、故人)から伺った話を披露すると、戦後の昭和20年代に近代~現代の世界の建築家の作品や設計の考え方について西山先生を中心に扇田先生を含む何人かで研究会を継続していて、その成果もこの新書に反映しているのではないか、ということだった。 これは、内外の建築家のまとまった批判的紹介であり、言うまでもなく唯物史観が根底に横たわっていた。この新書のソ連の建築の解釈などについて「おかしいな」と思って一度、思い切って西山教授室を訪ねたが、お忙しいのか「いなされてしまった」という経験がある。でも『新建築』や『建築文化』などの雑誌で展開される歯切れの良い建築評論は、いつも愛読し、「出来れば、ああいう風になりたいもの」と秘かに思ったものだ。
再度、読んでみたい。この岩波新書を、再版出来ないだろうか。

卒論に取り組む―住居学者としての西山夘三先生 
1964年の卒業に当たって、筆者のクラスから卒研として卒論か卒計かどちらか一つで良い、となった。色々考えて卒論とした。題名は「ダイニングキッチン成立の歴史的条件および現状についての一考察」ではなかったか。(残念ながら手元にコピーがない。)
先ず読んで参考にしたのが、西山先生の『これからのすまい―住様式の話―』(昭和22年9月10日初版、相模書房)浜口ミホ著『日本住宅の封建性』、そして論文としては西山先生の「〈すまい〉を追い続けて―私の研究生活―」(『建築雑誌』1958年11月号、後に著作集の『住宅計画』に所収)などでした。『これからのすまい』は、毎日出版文化賞を受賞した作品で、一般読者の他にも、建築計画(特に住居計画)専門家のみならず建築家にも長く良く読まれた本で、結構後の雑誌『建築文化』のアンケートでも、建築関係者に良く読まれている本のトップでした。(この『これからのすまい』は、西山夘三記念すまい・まちづくり文庫によって復刻再刊の予定と聞いています。)
『これからのすまい』及び論文の載った『建築雑誌』を、筆者は1963年頃に建築学教室の北側の今出川通りにあった古本屋で手にいれた。これらによって、西山先生が、どのようにして住宅の科学的プランニングの方法に接近していかれたか、良く分かった。勿論、先達の論を参照しつつ、西山先生が、ほぼ独力で方法を確立していく過程に興味を覚えた。海外のものとして、ほぼ唯一とも言うべきドイツのアレキサンダー・クラインの「動線論」を取り上げ、それを一つの足場として前進しておられます。他の多くの工学分野では海外物が大きなベースになっていたようですが、建築計画学は、ほぼ日本独自路線なのだな、と思った。この後を追っていきたい、と大学院に入る時に考えた。

自分史探究者としての西山夘三先生 
筆者が大学院修士課程を終え、西山先生の推挙で豊田高専に助手として就職した頃、1966年(昭和41年)6月に西山先生の『住み方の記』という先生が生れてこのかた、どういう住居に住んできたかの自分史報告といった今までにないユニークな本が文藝春秋新社から出版され、エッセイストクラブ賞を得ました。筆者は熱中して西山先生のプライヴァシーもある程度、垣間見る気分で読みました。自分も何時かこういうものを書いてみたい、と思いました。(筆者著『いい家みつけた―ロンドン借家住まい日誌―』(晶文社刊、1986年4月)は、その一端。)その後、西山先生は、『大正の中学生』(筑摩書房刊、1992年7月)なども書いておられますし、研究自分史として勁草書房より戦前編として「生活空間の探究」上下二冊『建築学入門』(1983年3月)『戦争と住宅』(同年7月)を出しています。
 戦後の足跡についても先生は自ら取り組む意欲を見せておられたが果たせませんでした。誰かが取り組んでまとめるべきものと考えます。又、こういう自分史は、傑出した西山先生級のみならず、普通に生きた経緯としての自分史・個人史も歴史の中では大事と思う。

未来構想家としての西山夘三先生
 西山先生は、1960年代から丹下健三さんの「東京計画1960」に刺激されてか「京都計画」「奈良計画」などの構想計画と言われる系列の仕事をされ、一つの仕上げとして「21世紀の設計」に取り組まれた。日本で幾つかチームが出来たが、関西チームのまとめ役として西山先生が当たられた。丁度、筆者が京大助手をしていた頃である。筆者は、計画設計班の西山先生が代表された「国民生活」部門を、田中恒子さん(当時京大技官、後に奈良教育大、大阪教育大教授歴任)とで支えた。そして、全4巻にまとまった「21世紀の設計シリーズ」の第4巻『国土の構想』(1972年12月刊)の「国民生活」部分は、三人の議論をまとめた筆者の下書をベースに西山先生が手を入れ推敲されたものです。「すべての生活様式を規定する最も大きな要因は、社会的生産の様式である労働の形態である。」(書出し部)

おわりに―今後の一二の課題― 
西山夘三記念すまい・まちづくり文庫(積水ハウス納得工房内)には、メモ魔、記録魔、「資料捨てない派」だった西山先生の未開資料が「山」とある。例えば、連綿と中学時代から亡くなるまで書かれた「日記」には手がついていない。ご自分の著作には赤や青の線や書き込みが沢山書かれており、それらは今後の「発展方向」を示唆していると思われるが、手がついていない。今後の「若手」の取り組みに期待する。(陰の声:分かって いるよ!)
(一部字句を補正しました。2011年9月14日)


「若手」に大いに期待するが、私自らも「地域人間」のかたわらで、「西山生活空間論」の戦後を跡づける努力をしたいと、思う。