西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

西山夘三の生活空間論について

2011-09-18 | 地域居住学
最近、西山夘三著作を再度しっかり読み返したいと考えている。戦前の研究活動と成果については、西山先生自らが勁草書房から「生活空間の探究」上下二冊『建築学入門』(1983年3月)『戦争と住宅』(1983年7月)を刊行して自ら明らかにしている。
しかし、戦後については、まとまって振り返り、展望する「もの」がない。

1964年ころまでについては、西山先生自身が、書いているものがある。1964年にオランダで客死された絹谷祐規(きぬたに・すけのり)助教授の著作集(『生活・住宅・地域計画』勁草書房)の長い「あとがき」に絹谷先生の活動史にふれながら、戦後の西山先生ないし西山研究室の研究活動が大略述べられている。

いまひとつは、西山先生が京大を定年退官された1974年5月に行われた「記念講演」(『生活空間の科学』)では、戦前からの住宅計画の研究も含め、特に「地域生活空間計画学講座」教授になられて以降の活動にふれられている。

その中で、住宅(建築)を「小空間」(分かりやすくいうと「起工式、完工式がきちんとあって出来上がりの「はじめ」と「おわり」がはっきりしている)、地域(コミュニティ)や都市、広域、国土などを「大空間」(全体の起工式、完工式はなく、いつの間にか変化している)と捉えられ、それは亡くなるまで、そのようであったと思う。

私も、生活空間の大きさによって性格が違うから分けて捉えたほうが良いと思うけれど、西山先生の「二分法」と少し違って、「小」「中」「大」と「三分法」で捉え、「中」も三つに分けたらどうか、と考えています。(以下の如し)

「小・中空間」・・・部屋や家→主として家族で決定できる。
「中・中空間」・・・通りや街区→地域住民の合意が必要。
「大・中空間」・・・町や都市等→もっと多くの市民全体の合意が必要。

以上、西山先生の1964年文書、1974年文書も導きの書としながら「生活空間全体」の筋道を明らかにすること、これは「西山学派」(というものがあるとすると)に課せられた課題と思います。

また、「空間計画学」全体に視野を広げると、1966年頃以降、西山研究室から分かれた巽研究室(巽 和夫先生主宰)、上田研究室(上田 篤先生主宰)、そして三村研究室(三村浩史先生主宰)での取り組みも位置づけて発展を跡づける必要がある、と個人的に考えます。

私は1966年頃には、個人的には、巽研究室を「建設・生産学派」、上田研究室を「空間学派」、三村研究室を「生活学派」と位置づけていました。

まあ、これら全体をやるのは、「大風呂敷」過ぎるのでボチボチやっていったら、と思います。