西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

特定非営利活動法人(NPO) 地域支援研究フォーラムなら の立ち上げ

2005-06-27 | 地域居住学
2005年6月25日(土)に「NPO 地域支援研究フォーラムなら」を立ち上げる発会式を奈良市朱雀2丁目のコーポラティブ住宅「つなね」の集会所で行ないました。私(西村一朗)が理事長で、奈良女子大学の中山 徹さん(都市計画学専攻)が副理事長、同じく的場輝佳さん(食物、調理学、食文化論専攻)が監事、理事として上野邦一さん(生活環境学部長、建築史学、居住地文化論専攻)、瀬渡章子さん(住環境計画学、防犯空間論、子供遊び空間論専攻)、藤平真紀子さん(住居管理論、地域木材活用論専攻)、澤井勝さん(地域福祉行政論、男女共同参画論専攻)、前田真子さん(都市農村「つながり」論、戸建て居住地論専攻)の教員陣、院生の井倉雅子さん(商店街活性化論専攻)、阿波根あずささん(都市計画への住民参加論専攻)の7人、計10人がいます。当日は上野、澤井、瀬渡、前田さんが欠席しましたが上野、瀬渡さんからは委任状提出がありました。奈良女子大学の生活環境学部(今のところ住環境学が主ですが)がバックアップしている体勢です。当日、的場先生の紹介でNさんが懇親会に来られた。学研都市成立の経緯など開発問題での興味ある「証言」があった。懐かしい奥田 東先生(むかし京大総長)の名前も出てきていた。私の友人の霜田 稔君(現・鳥取大学教授)の名前も出てきた。
さて本NPOは「研究フォーラム」と言っているが、教育、さしあたり奈良女子大学の教育とリンクしていきたいと思っています。学生諸君にもブログアドレスにアクセスして欲しいと思っています。なお、先生方の括弧内の専攻は私が勝手に書いたものですので先生方には「一寸ちがうで」と思われているかもしれません。あしからず。

住田昌二先生、三宅 醇先生からの便りよりー「つながり」についてー

2005-06-27 | 地域居住学
ここ数日の間に住田昌二先生(大阪市大名誉教授)、三宅 醇先生(豊橋技術科学大学名誉教授)より、私が奈良女子大学を定年で退職したのを期に作成した私家本で、先生方にお送りした『奈良、奈良女子大学と私』(小文集)及び『つながりの豊かな地域居住』(論文集)について感想を書いたお便りをいただいた。ここでは、後者の論文集について少し記したい。
「つながり」というのは、三つのつながり、即ち「人々とのつながり」「環境とのつながり」そして「歴史とのつながり」の総合であると考えている。最近、色々な事情で我々とそれらの「つながり」が切れるか弱まっていることを踏まえて、それらの「つながり」を回復、創造、強化しなければ、という問題意識を持っているわけである。これに対してお二人の先生方から肯定的な評価を頂いたと思っている。住田先生には「つながりは、・・21世紀のキーワードにうまくつながるかもしれません」と言って頂いた。元々この「つながり」というキーワードは住田先生が大阪市大を退職される際の記念座談会(1996年)で私が初めて公に提起したものである。ただ、つめねばならない点がまだまだあると自覚している。これらは、先にあげた「つながり論」で少しずつ論じ詰めていきたい。(なお上記の私家本は希望者にはお送りしますので、住所、氏名をお知らせ下さい)

地域居住(学)に関する投稿テーマ思いつき

2005-06-27 | 地域居住学
2回ほど「窓」や住棟の高さのことなどを喋ったが、日記風に今後「思いつき」を大切に話していきたい。今日は、今後『地域居住』に関してテーマにするであろうことを列挙してみたい。勿論、これで全てではない。
・匂い付けと匂い消し(刻印と削印)
・「つながり論」
・世代つながり論、ご近所つながり論(人々とのつながり)
・住まいと庭(環境とのつながり)
・思い出しと思い入れ(歴史とのつながり)
・思い出す地域 国内・・金沢全体(生まれ故郷)、
 京都あちらこちら(学生時代、助手時代、住まい)、
 奈良(31年間の勤め先、公営団地調査・・一部学位論文掲載)、生駒(駅前商店街活性化取り組 み)、
 今井町(調査地、学位論文に一部掲載)、明日香(最初の奈良の学生の調査地、前田さんと棚田 問題等)、
十津川村(建築学会最初梗概発表調査地)、香芝町(現在は市、調査地)
 高槻(現在の勤め先)、伊根町(漁村調査、観光調査)、
 鹿島コンビナート、四日市、福知山長田野工業団地(工業団地と都市計画)、
 豊田(最初の働き地)、名古屋(結婚地、東海支部)、
 水俣(調査地の一つの原点)、高砂(入り浜権)
 香里団地、千里ニュータウン、
 海外・・ハムステッド田園郊外、ロンドン(在外研究員)、他

超高層の上階窓からは五感を働かせられない

2005-06-25 | 地域居住学
「つなね」の窓は、いわば1階にある。1階や2階の窓からは地表は近く、地表にいる子供達はもちろんのこと、樹木や草花も良く見えるし、子供達の声も聞こえ、草花の香りも漂ってくるのが感じられる。ところが超高層住宅の10階や20階の窓からだったらどうだろうか。子供達の顔も小さくて誰々と判定しにくい、声も良く聞こえない、草花の香りも届かないのである。つまり上階にいくほど五感の多くを働かされず、ただ視覚に頼るのみとなる。だから私は、少なくとも草花の香りがキャッチできる4階位が人間らしい住居の限度ではないかと思っているがどうであろうか。4階位からなら仮に落ちても死ぬこともないだろう。中低層住居を推奨する所以である。
私の関連俳句:超高層 春の香りも 知らざりき  /超高層 降り立ち吹雪に 驚きぬ

住居の窓からの風景

2005-06-25 | 地域居住学
写真は、私の奈良での「つなね」における住居の窓からの風景である。実は、私は2005年の3月に奈良女子大学を63歳の定年で退職した。その記念の会で「一住一切、二住二彩、そして・・」という話をしたのだが、その「二住」とは、「二つ目の住居」という意味で、この住居のことである。今、この住居の窓の前に座って、この文章を書いている。緑が見えているが、これは「つなね」の中庭である。「つなね」というのは23軒でつくった所謂「コーポラティブ住宅地」の名前である。その命名者は奈良女子大学で万葉集の研究などをされている坂本信幸教授である。日本書紀に出てくる名称で、柱と梁を緊縛する「つた」類であり、緊縛の後、長く垂らして「いやさか」を願ったと言う。横文字の多い中で、誠に奈良らしい名前である。
ところで、私は、住居の窓から緑、とりわけ樹木のそれが見えることが重要と考えている。樹木の緑がきちんとあるということは、足元に豊かな大地、養いの水があることであり、空に太陽が輝き、空気が流れ、鳥や虫も飛んでくることである。それらは、とりもなおさず豊かな環境があるということを意味している。私は「つなね」が出来上がった5年ほど前に色紙に「つながりを なお熱を込め 願う家」と「つ、な、ね」を折り込んだ575を書いたが、作者名として「環史人窓」と書いたのである。心はけっして「監視人窓」ではなく、「環境と歴史と人々とをつなぐ窓」ということである。今日は、子供たちが見えないが、緑と共に元気な子供たちを見ながら過去を振り返るのは、私のひそかな楽しみなのである。