西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

超高層の上階窓からは五感を働かせられない

2005-06-25 | 地域居住学
「つなね」の窓は、いわば1階にある。1階や2階の窓からは地表は近く、地表にいる子供達はもちろんのこと、樹木や草花も良く見えるし、子供達の声も聞こえ、草花の香りも漂ってくるのが感じられる。ところが超高層住宅の10階や20階の窓からだったらどうだろうか。子供達の顔も小さくて誰々と判定しにくい、声も良く聞こえない、草花の香りも届かないのである。つまり上階にいくほど五感の多くを働かされず、ただ視覚に頼るのみとなる。だから私は、少なくとも草花の香りがキャッチできる4階位が人間らしい住居の限度ではないかと思っているがどうであろうか。4階位からなら仮に落ちても死ぬこともないだろう。中低層住居を推奨する所以である。
私の関連俳句:超高層 春の香りも 知らざりき  /超高層 降り立ち吹雪に 驚きぬ

住居の窓からの風景

2005-06-25 | 地域居住学
写真は、私の奈良での「つなね」における住居の窓からの風景である。実は、私は2005年の3月に奈良女子大学を63歳の定年で退職した。その記念の会で「一住一切、二住二彩、そして・・」という話をしたのだが、その「二住」とは、「二つ目の住居」という意味で、この住居のことである。今、この住居の窓の前に座って、この文章を書いている。緑が見えているが、これは「つなね」の中庭である。「つなね」というのは23軒でつくった所謂「コーポラティブ住宅地」の名前である。その命名者は奈良女子大学で万葉集の研究などをされている坂本信幸教授である。日本書紀に出てくる名称で、柱と梁を緊縛する「つた」類であり、緊縛の後、長く垂らして「いやさか」を願ったと言う。横文字の多い中で、誠に奈良らしい名前である。
ところで、私は、住居の窓から緑、とりわけ樹木のそれが見えることが重要と考えている。樹木の緑がきちんとあるということは、足元に豊かな大地、養いの水があることであり、空に太陽が輝き、空気が流れ、鳥や虫も飛んでくることである。それらは、とりもなおさず豊かな環境があるということを意味している。私は「つなね」が出来上がった5年ほど前に色紙に「つながりを なお熱を込め 願う家」と「つ、な、ね」を折り込んだ575を書いたが、作者名として「環史人窓」と書いたのである。心はけっして「監視人窓」ではなく、「環境と歴史と人々とをつなぐ窓」ということである。今日は、子供たちが見えないが、緑と共に元気な子供たちを見ながら過去を振り返るのは、私のひそかな楽しみなのである。