西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

何時でも何処でも「耳学問」

2012-01-24 | 地域居住学
昨日、奈良教育大学の非常勤講師に行った。住居学である。

その後で近くの食堂で昼食を食べつつ奈良教育大学の若手教員と駄弁るのが一つの楽しみである。

昨日は、私から「小学校で、児童数が減少して空き教室が出てきたのに対して、小学校自体の対応として各クラス利用可能の教室を二つ以上にすることも可能だし、近所の(増えつつある)高齢者のための溜まり場にするのも可能で、そういうことを児童と共に考えるのが最高にいいことだ」と話した。

何故ならば、先ず言えることは、今後、日本では各地域で人口が減っていく(子供が減り高齢者の割合が増える!)と、公共施設だけでなく地域空間全体として「余裕」がでてくるのは必然だ、ということだ。

その時の大人(今、小学生)は、若い頃に空き教室の使い方で考えたことがあるので、「空地」や「空き施設」の有効利用を考えることが十分出来るだろう、と思う。どうでしょうか。

次に、私が東西南北の昔の言い方を言ったら(十二支)、若い彼女は「戌亥(いぬい、実際には乾)が借りたら辰巳(たつみ、実際には巽)で返せ、という言葉がありますね」という。初耳で勉強になった。

もう一つ、ある町の総合計画たてるため、町歩きをしたら私ら新住民には古い神社仏閣が立派に見えて、そういう意見が多かった、と言ったら、彼女は「学生と町歩きをして何に感心したか聞いたら、○○のおばあちゃんに出してもらった地の漬物の美味しさとおばあちゃんの親切さに感心した、といった「人とその行動」に目が行って、空間は二の次」とのことだった。そうなのか、と思った。

私からは、住居は「住む」(人がすむ)だけでなく「棲む」(虫などがすむ)「澄む」(心がすむ)そして「済む」(最後にすむ)も大事だよ、と学生に話している、と言ったら、彼女は「勉強になりました」と言っていた。

誰に対しても、耳学問する気で交流したい。