西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-1スイス、パリ、地中海

2012-01-05 | 住まい・建築と庭
1月2日のBS・TBSで20世紀最大の建築家ともいうべきル・コルビュジェに関する番組を見た。録画して次の日に再度ノートを取りながら見た。反芻しつつ私の感慨、解釈も加えて大略を記録しておきたい。以下、ル・コルビュジェを愛着を込めコルと略称する。

コルは、19世紀末の1887年にスイスのラ・ショード・フォンで生まれ(本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ)、20世紀の世界の建築界を引っ張り、1965年8月27日南フランスのカップマルタンの海岸で心臓麻痺で溺れて亡くなった。享年77歳だった。当時、私は京大大学院建築学専攻修士1回生だった。「コル亡くなる」のニュースを知って「一時代が終わったな」という感慨だった。

この番組には4人の建築家(建築史家含む)が登場し、コルにたいする「思い」や「思い出」を語っている。フランスのロジェ・オジャムさん(コルの旧助手)、ロベール・ルビュタトさん(コルの晩年カップマルタンで出会う)、日本の伊東豊雄さん(建築家、1964年東大建築学科卒、私と同年)、藤森照信さん(建築史家、信州出身、東北大卒、東大大学院修了、東大名誉教授、私より少し若い)だ。

コルの父親はスイスの時計職人で、コルもその影響でスイスの美術学校に進む、コルが生まれたラ・ショード・フォンのその地名を冠する美術館には、若きコルがデザインし、何かのコンクールに入賞した懐中時計が保存されている。そのデザインは□(四角形)が連なった部分と自然のぐにゃぐにゃゴツゴツの形の合わさったもので、後の建築デザインの原型とも言えるだろう。

コルは、しかし弱視だったので、時計職人で大成するのは無理と見た美術学校の先生(校長)の勧めで「大きな造形」の建築デザインに進むことになるのだ。これがコルが建築家の道に進む第一歩だった。

また、山国のスイスで生まれ成長し、主にパリで活躍し、最後が温暖な地中海沿岸のカップマルタンだったというのも「一つの物語」であろう。(続く)